連載30回記念〜これまでのあらすじ 2003.12.9 何はともあれ30回を数えた我が「壊死家族2」を今この文章まで読んでいただいている皆様と、黒塗りや発禁にせずに全文章掲載してくれている編酋長にまずは感謝すべきなのであろうな。 南無南無。 それと同時に、ある意味このお世辞にも読みやすいとはいえない謎の文体につきあいきれている(と思われる)というその才能に賞賛の拍手を個人的には差し上げてしまいたい。 こういうことを作者が言ってしまうのも何であるが、もしかしてもしかするぞぉ・・というヤッターマン確率の法則の第一命題をもとに今回冒頭で説明すると、この無理矢理に格調高く?無意味なほどに難解風な人をケムに巻くべく文節を敷衍した文章、というのは多大に意図的であって、それはあらゆる学術系、文雅系の蝶ネクタイお出かけ風のおぼっちゃまたちに対する私なりのアイロニー、アンチテーゼなのである。 奴らの言ってることを単純にシンプルにすると、なんてことはない、3、4行で終わる話をしかつめらしく引き伸ばしているに過ぎない、コーヒー一杯で3時間は粘るそこらのヒマなオジサンと大差ない、ということを身を持って示す心の灯台なのである。 そんな気取ってみたって言ってることややってることは実際には私が扱っているようなドブ板うんころ系のお題なのかもしれないぜ、という話なんである。 つまり、何が言いたいか、というとまあイマサラなんだけどそれほど深刻な話はしてませんよ、本気でこんなくっちゃい文章書いてるんじゃないんですよお母さん、という言い訳のような言い逃れのようないやらしい心根が見え隠れする冒頭の言なのである。 ということでいつもながら前振りが長くて要点が掴めないのであるが、今回、いままで掲載されてきた30のお題をずらりと眺めて、よくもまあ・・という坦懐の心情と同時に、果たしてこれを初めて見た人はどこから手をつけていったらいいのだろうか・・?という親切かつお節介な疑問がむらむらとわいてきて、夜も寝むれず考えた挙げ句、その解決策として、それぞれのお題の簡単なプロフィールというのか、ほら、よく文庫本の巻末のほうに新刊旧刊取り混ぜて紹介しているコーナーみたいのがあるでしょ、「被害者の娘・小雪を追いかけてタッピ岬に向かった埴輪警部がその渦巻き逆巻く海峡の霧の風の果てに見たものは・・」なんていうあれね、あの短くも催淫的なコメント群をずらりずらりとと並べ立ててみようと思いたったわけである。 何しろ壊死家族2・全30回を読もうと思ったらまず半日はかかってしまうのではないか、というくらい深くて考えさせられるグローバルでユニバーサルな話題を毎回テーマとして選択していると言っても過言ではないのである。 それをここではダイジェストで10分程度で大筋を掴めてしまうという、人間10万年の歴史も地球時間ではほんの0.4秒程度の瞬間であった、というくらいの驚きと感動の超速読術なのである。 ということでよく分からないけど早速いってみよー。 第1回 地震 記念すべき第一回。 第2回 桜の森の満開の下 言わずと知れた坂口安吾の名作の本歌取り。 第3回 屠畜 野性のおたけびか、家畜の逆襲か!? 第4回 堕天使 腐っても鯛、堕ちても天使というのは最近どこかで聞いたような話であるが、いわゆる悪魔は天使である。 第5回 快楽主義 自らの意志に究極的に素直に向き合ったある男の朝の物語。 第6回 罪と罰 ドストエフスキーの名作が平成日本に蘇る。 第7回 般若湯 日本仏教界で言うところの、葬式の後に呑むちょっと胸の熱くなるいい話。 第8回 ホムンクルス 古今東西の人造人間の歴史から人間の本質を自己愛と看破する話題作。 第9回 空中庭園 ウタを忘れた小鳥と、言葉を忘れた司会者、沈黙を金に変える錬金術師とのイキヅマル三つ巴の戦いを描いたユーフラテス3部作。 第10回 謝肉祭 …あらわになった皮膚の裂け目から乳化したような桃色の肉汁がしたたって…病院に担ぎ込まれた私は麻酔も無しに縫合手術を行なわれ…その女医の目は哀れみの心など微塵も見せず、かといって笑ってもいず、それはまったく、今晩のおかずを考えているかのような飛んだ表情で私の皮膚をちくちくと裁縫したのであった…。 第11回 ネクロフィリア 光は闇で生は死だ! 第12回 厨子王 山椒太夫にうたわれた安寿と厨子王の悲話を、新たな視点からとらえ直す意欲作。 第13回 サティー いまだインドに残る風習サティー。 第14回 気功法 腰痛の人間必見。 第15回 マタンゴ トイレットペーパーがびっしょりとなるほどの湿気の中、人間のあざとい制肘や妬みの心にじわじわと菌糸をのばすオバケきのこマタンゴ。 第16回 爬虫 あなたの横で無邪気に微笑むその家族が実は爬虫の萌えだったら…? 第17回 携帯電話 いまだ携帯電話を持たない非文化的日本人が見つけたコカコーラの瓶に吹きつける低いため息の記録。 第18回 メメントモリ 中世ヨーロッパの聖職者に流行したビビッドでスプラッターな習慣「メメントモリ=死を想う」ことの幼稚さを犬の遠吠えのように評論する、ある意味卑怯で怯懦な精神の吐露。 第19回 童子 街のねずみと田舎のねずみの因果関係を民俗的視点の対立軸から描き出した超文化論。 第20回 齷齪 あくせく働いても所詮何十年かの命、というそれを言っちゃあおしめーよの大団円。 第21回 菜食 肉を食うのか?菜っ葉を食うのか?と訊かれたらいまのところ肉を食ってしまう若さへの礼賛。 第22回 果実 果実アレルギーに冒された筆者の、残された時間に対する真摯でひたむきな生のあり方と、無意識に、無目的に生きる若者への警告と啓発の書。 第23回 感冒 題名を見ても何を書いたのかさっぱり思い出せない。 第24回 天動小説 地動説にたたなければ小説という文学ジャンルは読めない。 第25回 鬼子 常識的遺伝学に真っ向から反旗を翻した反重力学者が送る、半世紀後の常識の科学。 第26回 獣蹊 獣が通る獣みち。 第27回 蛹 過去を振り返ったとき、ある時期の自分がサナギの様に見えることがあるが、現在の自分もどこからか眺めればサナギに等しい、という説教臭い真理を子供の頃の欲望に託して送る追憶のスイートメモリーズ。 第28回 稚児 自分から見てイラツク人間をすべてコドモダカラしょうがない、と決着をつける心理内処理は果たして最終的にどこに流れ着くのか・・。 第29回 ハロウィーン なんだか低質で、なんだかそれほど楽しくなくて、なんだか盛り上がらない日本社会におけるハロウィーンの三次元的位置づけを狙った話題作。 第30回 断食 アメリカの戦略によって非平和社会=非繁栄社会のロジックにおとしこまれていく日本のネオナショナリズムのアホづらとうまづらを、これまたウマ鹿の平和絶対主義者たちの尻尾カミカミくるくる回転とともに俯観する、大多数日本人の般若心経。 ということでやっぱり読む気せんな。 |