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第7回
般若湯 2003.5.2
冥い、音のない細胞膜のむろの中
弥栄の水に満たされて外界眺むれば
ひび割れた氷のような月
在りし日の祖婆の
ハンケチの埃っぽい臭いが
赤黒く腐れた鼻喉に蘇ってくる
目を瞑れば
月にかかやく微細な亀裂から
生暖かき羊水がしみあふれ出す
この間、会社で歓送迎会をやったら、なんと酒を飲むのが7人中2人だけで、びっくりしていたんだけんど、今度はその次の週に、「若い人が入ってきたから、僕達はそんなに若くもないけんど、一丁、やりましょうか」という感じで、多少ひがみっぽさの感じられる若手会みたいのをやろうとしたら、今度はなんと7人中、酒を飲む意志のある人間が私1人だけだった。
これはいったいどうイウコトナノデアロウカ?と数日間煩悶してみたものの、やはり、出てくる結論はただ一つ、酒を飲まない人が多くなったということにつきる。
タバコを吸う人というのもホント少なくなったけど、酒を飲む人口がこれほど減るとは、お釈迦様でも、オトミさんでも、微塵も思ってはいなかったのではあるまいか。
結婚して子供ができて、宴会やら何やらの外飲みが少なくなり、外部で起きている変化というものに疎くなっていたらしく、この春のうたげシーズンに、やや!とオソまきながら気づいたのだが、今まで気づかなかった自分の鈍さに改めて驚くとともに、これまでひそめていた非飲酒のマグマが、堰をきって流れ出ていったその経緯というものが、いったいどういうものであったのか、ここで冷静に検証してみることが、せめてもの私自身の酔狂時代に対するはなむけになるのでは、とまあ思った次第でありまして、酒飲まない人にはどーでもいい話ではあるが、この際深く追究してみたいと思ったわけである。
まず、酒というのは言語学的には「さ」と「け」に分かれており、語源としては、「さ」が畏怖や神聖な対象を表わす接頭語であり、例えば桜「さ−くら」、白湯「さ−ゆ」、早乙女「さ−おとめ」なんてのが代表的である。
「け」は食いもん、食事のような意味であるから、つまり、神様やら何やらにお供えする食事、飲みものだったわけで、つまりそういう意味では、酒を飲むという行為にはなんらかの畏敬的な感覚、禁忌を踏み越える、越権的緊張感というものが介在するのである。
それは現代でも、ある年頃まで「酒を飲む」という行為には、法律で禁じられているという束縛以上に精神的な呪縛、一種のタブー感というものが確実に存在しているということからも類推される事実である。
そして、その呪縛を乗り越えたときに感じられる一種の高揚感というものは、バサラやツッパリ、アル中、シャーマンなどを通じて、時代を超えて受け継がれてきた日本人の故郷としての、第三次反抗期の反権力的心情である。
この肛門期時代的心象風景をかりに(A)とする。
そして時は流れ、人類が成長するに従い、酒というものは、人間という種同士が交流を深め、楽しく騒ぐための触媒のような役割を担いはじめ、仲間同士が心を通じ合わせる、そのために酒を飲むのは当然で、飲めない奴、飲まない奴は取り残される。
仕方なく飲む、というあまりにネガティブな酒のみ時代というものがあり(B)、そして現在たどり着いた状況は、飲んでも飲まなくても、みんなで輪になって楽しむ、逆に飲めないものを無理して飲んでブルーになる必要もなく、自分のペースで個人個人が楽しんで終わる、平和と協調の時代(C)に至る、とまあこんな具合になっているわけである。
このように整理してみると、あまりに唯物史観的に時代が流れていく様が無理矢理っぽいが、ただ、これらをあるいは澁澤龍彦風に見るならば、神学的状況(A)から形而上的状況(B)、さらに科学(C)へといたるその道筋は、人間の思考回路、行動様式としての一般的理解としては、素直な見方ともいえるのではないか。
んで、そういう時代の成熟し爛熟した現世相の中、最近の若い奴と飲みに行くと、圧倒的に(A)や(B)という時代をすっ飛ばして、(C)に到達しちゃってる人が多い、というかほとんどですな。
酒なんか飲んだことない、という人が少なくない数、見うけられるのである。
だから、といっていいのか、その(C)という時代の有り難み、というか、先人たちの努力や犠牲というものをおもんばかる思慮なり配慮なりが、若い人たちに根本的に欠けているというところが気になる。
わかりやすくいうと、金の苦労をしたことない道楽息子が金を湯水のように使ってる図というのか、サッカーしてる途中で突然ボールを手で持って駆け出す少年というのか、つまり、はっきりいうと、「酒飲まねんだったら酒飲まないなりに楽しくやろうや」ということである。
よく見かけるのは、みんなでわぁーと盛り上がってるところで、どうでもいいような細かいところを、醒めた頭でつきつめて追求しようとしたり、あるいは、僕はメシを食べてますから好きにしてください、という態度の奴とかである。
若い人のところでついでだから、ねちっこく言ってしまうと、奴らの行動で近頃気になる点が3つある。
1つはよく言われることだが、「人の話を聴かない」、2つ、「じっとしてられない」、3つ、「咳やくしゃみをするのに手をかざさない」、という桃太郎侍のような連続的特徴である。
1と2は、もう、見ている私のほうが、おどおどしてしまうくらい、人の話を聴かないし、じっとしていない。
大人の世界には、この場所では静かにおとなしくしているべき、じっとしてらっしゃい!きっ!というところがいくつか存在する。
コンサート会場みたいなとこや、電車、バスの中のような公共の場、あるいは来賓、主賓がしゃべったりする場面である。
そういう、周りもしんとシズマリカエッテ、耳を澄ませて集中しているところで、彼らはブチャブチャと嬌声をあげ、笑い、携帯を鳴らし、ガサガサと蠢き、歩き回ったりする。
昔、ガイジンの中にそういう人をよく見かけてイライラしていたが、最近は若い日本人もそういう無分別人間たちの仲間入りをしてしまっているのである。
そして、リジョイでもウルトラアリエールでも信じられない、これらの若年性痴呆現象を説明するのにも、代表的かつ伝統的な3つの方法論がある。
まず1つめは「親のしつけが悪い」というところ。
これは自分の子供を見ていて思うのだが、子供はいつでも、大人の顔色うかがって、どこまでやったら怒るかな、とこちらをチラチラ観察しながら何事もやっている。
だから、大人が怒らないと彼らは際限なくつけあがり、それが常識と思い、そこにうんこのようにベンチマーキングする。
んで、そういう無法地帯のリンネシステムの中、怒るという行為にも怒られることにも慣れていない現代人が、どんどんしつけのない子供を量産して、世の中にリリースしていくということになっているのである、という説。
次に2つめは、「最近の若い人は体力がない」という説明の仕方。
じっとしているのにも体力がいる。
これは経験上確かなことである。
最近の若い人は、小さいときから勉強ばかりさせられて、部活動や、破壊活動をしてきていないから、体力が無く、すぐ疲れてしまうから、じっとしてられず、電車の床でもどこでも座り込んでしまう。
いま、街で座り込んでいるホ乳類を見たら、人間の若者か、人間のホームレスのどちらかである。
さらに彼らは反射神経もないから、くしゃみが出てもとっさに手が間に合わない、さらにおしっこをするのにズボンを下ろすのが間に合わない、などなど、というのは楽しい想像のように見えて、実はよく考えると恐ろしくなってきたのでこの辺でやめておく。
そして3つめの説明法は、「若い人ってのは本来そういうもので、実は自分も若いときはじっとしてなかったし、行儀も悪かった」ということ。
これは心情的には最も受け入れがたいが、しかし、いかにも真実をつかれているような気もする。
だいたい、若い人にイライラして、「最近の若い奴は・・」なんて重箱のスミつつくような言動をとるようになったら人間はおしまいである。
さて、本題のほうに戻って、酒の話であるが、実は、私は昔、アル中だったことがあるアル。
なんて言うと、たいていの人は「あっそう」と本気にせず、残りの人も「あっそう」と、つまり、どちらにせよ「どうでもいい」という態度をとる。
まあ実際、本当にどうでもいい話なんだけど、本人と周りの人間はけっこう大変なのよ。
アル中っていうと、昼間から酒飲んで暴れて、酒くさい息をまき散らして周りに迷惑かける人間というイメージがあるが、正直今思うと、反論しようにも、ほぼまったくその通りと言っても過言ではない。
私の場合、ほんとツキナミだけど、まず、朝起きたらノドが乾いてるもんだから、まず冷蔵庫を開けて、なぜかそこに入ってる冷酒をぐびぐびと起きぬけにあおってしまうというところがすでに反社会的ですらある。
ほんで次に、意外にも、散歩したりするのが楽しいので、酒持って外にフラフラ出ていく。
当時幸か不幸か、家賃2万円の所に住んでいたので、あっこれ大学生の時の話ね、だからフトコロは思いのほか暖かく、いやらしい話、仕送りの残りがなくなるまで、その辺の飲み屋や木の下、友達の家、自分のうちと循環バスのように渡り歩くのである。
自覚症状としては、酒に対する禁断症状というよりは、とにかく「酒を飲まなくちゃ飲まなくちゃ」という脅迫観念と、幻覚、幻聴は当然のようにぐるぐるごろごろしていた。
よく聞く話では、「ピンク色の象が牙を剥いて走ったりする」というのがあるが、残念ながら、そんなファンキーなタイプのは見たことがなく、私がよく見かけたのは、天井を走り回る大量の虫の群れである。
こいつらは、イワシの群れみたいに、あっち行ったと思うと、次の瞬間こちらの方向にどわぁーっと一斉に動いたりして、見ているとせわしないのだけれど、不思議とそういう幻覚を冷静に受けとめて、眺めているもう一人の自分がいて、アル中になりきれなかったような、中途半端な宙ぶらりん感覚があるのが悔しい。
期間中、一番恐かったのは電話で、寝るときは電話線抜いて寝る、というくらいビビっていたのだが、今考えても、あれは幻聴だったのか、夢だったのか、はたまた現実だったのか、判然としない。
ハスキーなかすれごえで、「死ねぇ、死ねぇ・・」という繰り返し電話や、何かを電話で約束させられて、あわてて出かけるのだがどこに出かけていいのかわからないとか、最も恐ろしいのは、明け方に電話が鳴って、取ったときから変な予感があってみがまえるのだけれど、受話器から女の狂ったような高らかな笑い声がいきなり聞こえてきて、ぎっくり腰の脊椎がずれるような、字づらどおり、戦慄の走る衝撃電話であったなあ。
誰か胸に手を当てて、こころの痛む人がいたら、もう時効だから、名乗り出てほしいものである。
このように、私の場合、比較的明るく正しいアル中だったので、たまに泣いたりする以外は平和なもんで、本人はある意味楽しいからいいのだけど、まわりは気が気じゃないから心配してくれるのだ。
あるとき、久しぶりに下宿に帰ると、友人一同が集まっていて(当時カギをかけるという習慣が無かったからよく人が出入りしていた)、何してんのかと思ったら、私があまりに何日も帰ってこないものだから、集まって今後のことをどうするか、会議を開いていたというのには驚いた。
まるで自分の葬式を見ているような、あるいはダメな中学生を囲んでの親族会議のような、そんな感覚である。
何しろ飲んで酔っ払って気がつくとコンビニの前で寝ていたり、家に帰ってるなと思うと、ツメが全部剥がれて、シーツが血まみれになっていたり、今からは想像もつかない、アナーキーな生活だったから、皆さん、私に連絡取れなくなると、連絡網回して、居所を指差し確認、安全的身柄確保、というようなことをしてくれていたのであった。
しかしあの頃はよかった・・とまた後ろ向きの議論に収斂してくるのだが、まわりにヨキ理解者がたくさんいたと思うのである。
一升ビンかかえて「よっ」とヒトんちのアパートの玄関をくぐると、そこは飲み屋だった・・という状況や、酔っ払って正体無くしても「仕方ねえなあ」と肩をレンタルしつつ、担いでくれる奴とか、酔っ払いに対する、まわりの暖かい支援、「ヒトが優しすぎる」という感慨があったと今にして思うのである。
安心して酔っ払いあえる空間があちこちに存在していたはずなのである。
それに引き換え、現在の状況というのはほとんど目も当てられない。
酔狂な人間に対する風当たりというものはますます強くなり、その立場も断崖的に先鋭化しつつあり、追いつめられた私の立場には立錐の地ももはや残されていない、というような状況になっているのである。
我々現代人がたどり着いた、平和憲法の象徴、(C)的状況での「個人個人が楽しく自分のペースで」という決まりも、最近では、この人は酔ってるから・・というような逆差別逆選別のようなアンビバレンツな状況もありうるところまで来ていると言っても過言ではない。
個人個人に平等な権利を与えるという、名目上の平等社会であるはずの共産主義社会に突入するや、血の粛正を始めた、社会主義国家内の抗争をも連想させる、阿鼻叫喚の恐怖政治的状況が現出しつつあるというのが、現代という時代の正しい考察なのかも知れない。
古きよき時代を知る私としては、その状況から抜け出すため、ウロウロと亡命先を探しては、エサをねだったりしているのだが、所詮酔って半目のマナコ、どこにいっても元アル中はお断わりなのが寂しいところなのである。
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