海洋空間壊死家族2



第2回

桜の森の満開の下   2003.3.19



をみなが顔より花とりやらいたらんとて
指とどきたらんにふり散したる花びらばかりにて
をみな掻き消えてむなしくなりたるぞ
いずことてさぐりたればかの指もわれもうせにてけり
ただ残りたるは花弁とつめたき闇ばかりなりとぞ



4月といえば桜の季節であるが、去年の桜は生まれてこのかた、最悪の桜シーズンではなかったか。
4月9日の私の誕生日はいわずもがな、その前後の入園入学式の子供達というのは一生を棒に振る、だいなしにする、トラウマにさえもなりうる衝撃の桜並木の下を、暗い気持ちで母親に手引かれつつ歩いたのではないかと不覚にも涙してしまうような事態ではなかったのか。
去年、桜に興味のなかった人に補足説明しておくと、彼はあまりに早く咲き、そしてあまりに早く散り急いだのである。
確か、3月の中旬に咲き始めて、4月の頭にはもう見るかげもなかった。というのが昨年の桜シーズンの結果だったのである。
これは人間に置き換えれば、「夭折」あるいは「同期の桜」などというきれいな言葉に言い換えられる事実であるが、こと桜に関していえば、常軌を逸した、他人の心を鑑みない利己的な行動、もう少し砕けていうと、てめえふざけんなよ、というような怒りの心象風景なのである。
具体的にいうと、去年私が花見をできたのは大坂城での2〜3時間というのが正確な公式累計数値であって、これは私がNHKの朝の連続ドラマ小説をこの世に生まれ出でてしより現在までに見た累計時間よりもはるかに短いといっても過言ではない。
思えばあの大坂城での花見の最中に降りだした通り雨が、去年の桜にとどめをさして、軍靴のごとく花びらを踏みしだいて行ったのだ。

私は桜が大好きなのである。
日本人なら皆好きなのかも知れないが、私にとっては特に思い入れのある花なのである。
まず桜の季節に生まれたということもあるが、私は極端に我慢弱いということもあって、夏と冬が大嫌いなのである。
脱ぐところまで脱いでしまうとそれ以上どうにもならない夏。
着込んでも着込んでも寒さが骨までしみ込んでくる冬。
私はこの両季節、極力目立たぬよう、動かぬさなぎのように、あるいはつつかれ続けるダンゴ虫のように腹筋を緊張させ身を固くしたままやがて来る春を待つのである。
そして、ようやく、人としての心地がつき始める3月終わりごろから、私の季節が始まり、7月上旬には終わりを告げるという、まるでセミやカゲロウの様な儚い人生を30年近くも続けてきたわけである。
そういう抑圧された人間にとって、その暗闇から、暗黒の世界から解き放たれる、新しき息吹の芽吹き始まりたる4月に咲き乱れる桜の花というのは、目にもあやな、特別、格別の花なのである。
思い返すも自然と笑みが浮かばれてくるが、中学高校生のときに花見をした高崎城。
今でもカタピーが桜の木に登って桜吹雪をごぉぉーっと降らした情景というものは、美しくも狂おしい、ややもすると百人一首のような純和風の禁色のシーンとして我が心に蘇ってくる。
花見で酔い潰れて、なぜかコンビニで目覚めた朝や、川べりの桜の木の下で泣きくれた夜なども、憔悴感とともにあふれこみあげる我が青春の日々なのである。
しかし、ここまでに私が思っている桜というものに昨年は見事裏切られた。
あまり裏切られた経験のない、田舎の庄屋育ちの坊ちゃんである私は、あまりのショックに去年一年間、呆けたように無為に生活してしまったという実感がある。
桜というのは3月上旬頃からつぼみが中学生の胸のうちのように膨らみはじめ、もっというと、1月2月頃から桜の木の皮自体が桜色に色づきはじめ、私などは桜の花のあの白桜色は、この木の皮の色を出すための材料、染料に過ぎないのではないか、などと通を気取ったりしてみたりするのだが、やはり、やっぱり、桜は花である。
そして酒の入った頭で見上げる夜空の黒にはめこまれた桜の花というものは私の人生のようにまさに酔狂というよりほかなく、私のこころを浮きたたせ、そぞろにするのである。

去年は地球温暖化が桜の意志に関係なく花を散らしてしまったという議論もあるが、野球でいうところの、ストライクゾーンが広がって一試合平均の長さが短くなった、というような外部要因をいいことに、家に帰って早くビールでも飲んで早く寝ちゃおうという態度が桜のほうにもチラリと見えるような気がして、内臓の底のほうにたまる疑念というものがある。
生命保険業界の予定利率下げの問題にも同様な魂胆というものがかいまみえる。
しかしそんなことを言ってみても、やはり桜のほうに去年は悪かったなという自責の念がないこともないはずだというイチルノ期待を胸に、私としてはコンロやビール置きなどの花見グッズの手入れに余念がなかったりしないこともないのである。





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