海洋空間壊死家族2



第16回

爬虫   2003.8.8



白くなめらかに
びらりと光るつややかなる皮膚
するりと腕をすりぬけては
生赤きほそみの舌ぞチラリ

同衾すれば明けの白みに鮮血の首ひとつ
戦慄の虫に這わせる指の感覚もかなし



イモリは両生類でヤモリは爬虫類である、というのは知識的にはよく知られているが、しかし、ヤモリという生物、基本的に都市型熱帯生物であるため、ワタクシ恥ずかしながら、群馬の片田舎にいたときはあまりお見かけしなかったのである。
関西に移民してのち、ホントよく見かけるようになって、最近じゃあ自分の両親よりもよく顔を突き合わせているのであるが、その興味深い生態にいまさらながら目を白黒させている。
はっきり言ってイモリとトカゲとカナヘビは、まだ私が保育園児だった頃からのつき合いで、卵から成体への推移、輪廻まで、飼育して把握していたので、親戚のような親近感があるのだけれど、ヤモリさんとはいまだにそのような信頼関係を築けていない。
しかもその微妙な心理的距離間隔というのは、これ以上縮まらないかも・・という予感に満ちていて、あまりに女学生的な「いいお友達でいましょうよ」という口先と本心の乖離した緊急避難行動に近いものがある。
だいたいヤモリの目というのはあまり誉められた印象ではない気がするのだ。
かわいいと言えばかわいいが、猫娘のようなその瞳は3秒と見つめられない何かがそこに宿っている。
同じように目がイヤな生物に「羊」と「鳩」がいるけど、たぶん彼らとも一生仲良くなれないであろうなという宿命、運命というものが重く低くわが蒼弓の空を覆い尽くしている。

一方でヤモリといえば、語源的には屋守であるから、壁に張りついてはその家に降りかかる凶事を振り払ってくれるありがたい神獣であるはずなのであるが、私の個人的な印象としては、あまりに滑稽な、あまりに喜劇的な印象である。
それはまず、動きが鈍すぎる。
というより、動きに無駄がありすぎる、というのは見た人の共通する認識であろうと思われる。
イモリは基本的に水中生活生物であるからともかく、同じ爬虫類でもトカゲやカナヘビのあのしなやかで伸びのあるスピード感と比べると、まるでリニアモーターカーとトロッコ、ランボルギーニとさなえ(田植え機の一種)、まさに雲泥の差がある。
トカゲのあの青い閃光のような動きはほぼ人間の動体視力で捕らえるのは難しく、ハッと気づいたときには枯れ草の繁みにその姿は吸い込まれているのであるが、ヤモリがひょろひょろっと出てきたのにハッとして目をやると、私が想像して目をやったところより5センチメートルほど手前の辺りをのたらのたらと動いているというようなことが多い。
それはまるで高速道路をブッ飛ばしてきた人間が一般道路に降りたときのイラツキにも似て、あるいは可動部分をマグネットコーティング処理される前のガンダムに対するアムロの嘆きにもよく似ている。
そして、容易に観察できるその肢体を穴のあくまで見つめていると、部外者である人間から見ても顕著なその足運びの動きの無駄、というものに驚愕してしまう。
常識的にいって、現在の生体3次元世界に生きる生物というものはあらゆる艱難にうちかち、競争から勝ち上がってきた、淘汰された選ばれし存在である、というのはダーウィン以来の万国共通のコンセンサスであると思うのであるが、そんな思いもヤモリという生物はコッパ微塵に砕いてくれる。
うちの1歳児がいまハイハイして移動しているのだけど、まさにそんなぬちゃらぬちゃらというのか、じたらばたらというのか、とにかく頭の定まらない、無駄な動作をともなうホフク前進を、ヤモリは生まれて死ぬまで続けているのである。
まあしかし、こんなところでヤモリ君を排撃してみても何となくムナシクなるばかりで、子供を本気でしかった後のような脱力感にぐったりとしてしまうのであるが、そもそもなんでヤモリの話が出てきたかというとですな、最近一週間ほど、ヤモリが就寝中の私を襲撃してくるのである(ちょっと前振り長すぎたね)。

襲撃といっても、噛みついたり引っ掻いたり、しょんべんうんこをひっかけたりしてくるわけではないから、これはもっとふさわしい言葉でいうと、えー、なんらかの意図をもってヤモリが私ににじり寄ってくるのである。
これがヤモリでなく、例えばきれいなおねーちゃんや、グッとくる妙齢の団地妻なんてのが、なんらかの意図をもってにじってくるのであれば、私としてもその淫靡な悪意に満ちた意図というものを10割引に万引きしつつ、柔硬あわせたそれなりの対応もできるのであるが、ま、相手はヤモリである。
必定、はっと起きてぱっと上半身を起こして、さっとなぎ払うという、ブルース・リーもかくやという黄金のスリーアクションを同時反射的に行なうのであるが、ここでもまたヤモリは、私の神経伝達物質の過剰放出による耳鳴りと閃光空間、最高水準の緊迫感を無視した、のたらのたら、という逃走を見せつけてくれるのである。
これだけなら、ただのヤモリ事件という記憶の一ページで済ませられる事態なのであるが、しかし、これが何日も続くとなると、なんだか無気味な感じに思えてくる。
寝る部屋を変えてみたり、いろいろしてみるのだけれど、どうにも毎晩彼は、私だけに的を絞ってにじり寄ってくるのである。
アル中時代だったら完全に「幻覚」で済ませられるのだが、いまのところ私の所属階層は社会通念上「泥酔」止まりのため、そんな規則正しい金太郎飴式の毎晩の幻覚を見ているヒマはない。
そしてまた、家の中にヤモリが大量に発生しているというような現象もなく、奥さん、子供にも同様の爬虫類的仕打ちはなされていない。
そのような帰納的事実から導かれてくる推論は
1−1.ヤモリに好かれている
1−2.ヤモリに恨まれている
2−1.ヤモリへのなんらかの心象風景が夢に投影された
2−2.ヤモリの好む何かしらの分泌物を私が発散している
といったところが妥当なところであろうか。

1−1、2はヤモリ側の主観的原因であるが、しかし、ヤモリに好かれたり、恨まれたりするほど濃密な時間というのを過ごした覚えはない。
ある人のように、窓を勢いつけて閉めたらヤモリがマップタツになっていた、というような残酷物語や、子供にいじめられているヤモリを助けてやったというような美談的心持ちというのもワタクシ一切持ち合わせていない。
とすると、自然、結論は2−1、2のような私個人の精神的物理的起因に収束していってしまう。

たしか以前にも、この2−1と少し似た体験というのは経験したことがある。
昔、一人暮らしをしていたとき、私の眠る場所の右手の壁には縦80センチ横20センチくらいの数珠ワクのカガミがかけられていたのだが、あるとき、そこの中から現れる子供に数日間悩まされたことがある。
その子は5〜6歳の男の子で、前髪が顔に覆い被さっていて、表情はよく分からないのだが、毎日のように夢に現れては、「オミケシ」という遊びを私と一緒にしたがるのである。
たぶんオミケシというのは日本全国探しても見つからない、その子オリジナルの遊びであって、漢字表記ではまず「御身消」であろうと思われる。
基本的には砂場でやるのだけれど、まず互いに自分の分身の石というのを作って、その相手の分身の石を、まわりの砂を使って間接的に砂で隠していき、見えなくさせたら勝ち、という、やりだすと、妙にはまる、妙に真剣味の出る遊びなのである。
そして、その勝負に私が負けた場合、かなりの確率で、現実世界には戻れないだろうな、という夢の中ゆえの緊迫した予感があって、子供相手ながら、相当必死になっていた覚えがある。
まあ、たいがい相手は子供だから、ちょっとしたズルをしていつでも勝っていたのだけれど、その後の悔しそうな子供のこちらを睨めつける目というものにギョギョッとして、はあっと目が覚めると、その壁のカガミはぶらぶらと揺れているのであった。
最終的には、私は無敗のチャンピオンで、こうして今でも現世界に暮らしているのであるが、この時の精神状態というのは今思い出しても恐ろしい、いつ死んでもおかしくない、退廃的病疾的精神世界を形成していた、というところから立ち返って考えると、このヤモリの夜な夜な現れる現象というのは本人の気づいていない、追いつめられた精神瀬戸際状況というものを暗示しているのかもしれない。

そうはいっても、現在、選挙ポスターのような明るく正しい、日本国民郵便貯金的生活を送る私としては、そんな自覚症状はまったくなく、生きていく上で一切問題ないのでそれはそれでいいのだが、しかし、ヤモリにいつまでもつきまとわれるのも小癪なので、もう少し原因を突き詰めて考えると、最近ゴキブリを一匹やっつけてしまったという事実に突き当たる。
一寸の虫にも五分の魂。
虫、植物などにも一定の人格のようなものを感じている私としては、どんな理由にせよ、その殺戮と汚辱の独善行動を恥じるというのか、対象の悲惨な結末と無念をいたむ気持ちというものがどこかにあって、それが事後的にひたひたと心の際にうち寄せてくる。
もしかしたらその呵責が、ヤモリの襲撃という形をとって私の精神風土を浄化しているということもおもいっきりありうる話ではある。
占い師的、あるいは新興宗教的にいうならば「憑かれている」、心理哲学的にいうなら「代償行為」、生物医学的にいうなら「代理母出産」といったところであらうか。

それはともかく、2−1というのはこう考えてみると、どうとでも取れるフロイト式万能理屈説明になってしまうので、なんだかなあという感じではあるが、さりとて2−2の分泌系というのも、人間には一人として同じでない匂いがオマケとしてついているビッグワンガムである、ということも考えると、これもどうとでも説明がつき、つまりいろいろ考えたわりには、よく分からない。
そういったなげやりな混沌状態の中、1と2の推察の他にもう一つ可能性のある話で、ウチにはヤモリや、ゴキブリ、ムカデ、その他もろもろにヘンゲする妖怪もののけが存在する、そしてなんらかの意図をもって私のタマシイや命のかかやきを虎視眈々と狙っている、というB級ホラー的推論も成り立つ。
この間、奥さんが階段をこつこつこつと夜中降りてきたのでふと見上げればその肩口から巨大なムカデがしゃらしゃらしゃらとミドリびかりたるその甲をくねらせて這いいでてきたのには心底オラびくりしてしもて、そんでオ、オラ、オラびっくりしてしもて・・・というのは実際にあった話で、これまでも奥さんには疑惑の目を向けていたのだけれど、怪しさの度合いはさらにいや増している。
ということで、私としてはこれからも油断なく観察して、その生態を記録して、ゆくゆくはぐふっ・・・・・。
と思っている。しゅるしゅる。





戻る

表紙