海洋空間壊死家族2



第5回

快楽主義   2003.4.10



くそまみれの豚が
臭気むせかえる豚舎で
たまねぎを頬張りながら交尾している

酸えたケロイドの老婆が
恍惚とした表情で
肛門からゆでたまごを飲み込む

 われわれは
 ワケアッテ
 タスケアッテ
 そうして生きていれば
 幸福なんださあ

神の福音にか 生きたらんや
己の快楽にか死にたらんや



満員電車というものがある。
遅め出勤者である私の乗る普通電車には、寝惚けたような夢遊病的年寄り(俺じゃない)と、犬のようにうれしそうにした大学生風などがいるだけで、比較的平和な空間の広がる列車構造となっておるのだが、しかし、ときたま何らかの事情でちょっと早めの電車に乗ってしまったりすると、そこはもう、ワルガイア三兄弟の末弟、ゲドーも真っ青の、凶悪な密集隊形をとったヒトひと人ヒトひとの群れによって占領されている。
しかも、あれだけ人が集まっていると、彼らは人々というよりは、何かしら一定の意志を持った一匹の巨大軟体生物という感じになっており、例えば、その中の構成体一つをえいと傷つけてしまうと、全体がじぇぎあぅおぅぅと悲痛なおたけびをあげるような、そんなおぞましい悪寒感さえする気がしてならないのである。
また、一定の面積に、規定以上というか、通常考えられる限界を超えた人間が密集するからか、あるいは、ただ単に、朝の忙しい時間帯での凶暴心理というものからなのか、いずれにしろ彼らは異常に攻撃的になっているという事実に私は直面したのである。
そしてさらに、彼らは、「混雑しているから仕方ない」という立場を利用して、明らかに過剰防衛とも言える、それ以上の行動、ひいては積極的なる暴力行為を開始するのである。
バッティングやローブローはもちろん、頭突き、ツマサキ踏み、鞄スイング皆殺し作戦など、思いつくかぎりの、ありとあらゆるさりげない、しかしそれでいて邪悪な、ワルガイア三兄弟の次兄、ヒドーもびっくりの仕打ちをくりだしてくるのである。
これは例えば、ある地域に一定以上増えすぎたバッタが、そのからだの形状や色までも変えて狂暴化、攻撃的になり、共食いはもちろん、群れて田畑、森林を襲い、通った後には草木一本残らない、というような話と同レベルの習性であって、人間もやはり一動物に過ぎないことを語るに有り余る例話なのである。

しかし、そんな火事場泥棒的革命と反乱の吹き荒れる電車の中にも、可憐な花一輪、というか、ある意味白痴に近い、高山植物的野の花が咲いていたのである。
その日、私は混雑した電車の窓際で両手を壁に押しつけて自分の存在する空間を死守すべく、恐ろしい満闘員たちの攻撃にひたすらに耐えていた。
するとそのうち、あからさまに私の方に寄りかかってくる一個の物体の存在に気づいた。
しかもそれは、その異空間にあってありがちな、テメェ式の、あるいは、仕様がネェダロタイプの体重移行ではなくて、もっと控え目な、遠慮がちな、優しくも暖かい春の草原のような圧迫感であった。
直後私は「女の額だ」と直感した。
それと同時に「何者だ?」という疑問も沸き起こってくる。
見知ったものでもあるまいに、私の肩を借りて眠るとはいったいどういう了見なのか。
あまりの疲労と眠気に、それともなくそこにあった私の肩に寄りかかってしまったのか、それとも、アタシ、誰のどんな肩でもよかったのさ・・というようなあばずれ的ハスッパ思想の寄りきりなのか。
はたまた、この満員世界にあっては至極当然の、右斜め前30〜60度までにある肩はあなたの肩、というような掟、ルールがあったのだろうか。
私の心は滑走路を探す航空機のようにぐるぐると迷走し始めたが、そこでまた考える。
この女は果たしてどんな女なのか。
かれんな、うら若き、社会人一年生です!というような女性であれば、降りるときにでも咳払い一つ、あらごめんなさいまし、アタシったら、と頬を染めるのももどかしい春の日の縁側に桜の花びらひとつふたつ・・というようなストーリー展開も考えられるが、キャリアウーマンを自らもって任ずるところの、オールドハイミスプレジデント赤ラベルという感じのヒトだったら嫌だな・・この寄りかかられたシャツはその分厚い化粧の餌食になってしまったかも知れないな・・そんで、あらごめんなさい!とシャツをむしり取られ、洗濯しときますわ、明日のこの時間にここで会いましょう、ホホホなんて言われちゃうかも知れないな・・と悪い方へ考え出したらきりがないのである。
しかしどちらにしろ、よく考えると、こんな電車の中で何の躊躇もなく他人の、それも異性の肩にもたれて眠るというのは一種の満員狂気ではないか。
満員電車という、閉鎖された狂的群集空間に入れば、そこには道徳や倫理の退廃した、ある種アナーキーな社会が広がっているのか。
そういえば、満員電車といえば痴漢である。
これはゴホンといえば龍角散という法理よりも一般に流布し、かつ首肯されている理論である。
そんな異常空間においては、寄りかかり眠りも、実際には多く見られる現象の一つなのか。
満員初級者の私にはショックな出来事だが、周りの人たち、満員のつわものどもにとっては日常茶飯事なのか。
そんなのいやだ。
チラリと右肩のほうをさりげないつもりで見る。
若い。
髪の毛もきれいな感じである。
そしてそのチラリと見た視線のかえす刀で窓ガラスに映る女の顔を見た。
結婚を申し込もうと思った。
次の駅でこの女も降りるだろう。
そうしたらその手首をとらまえて開口一番、結婚を前提としたおつきあいをさせてください、などと口走ってしまいそうであった。
この女も私のどこかに否定できない、嫌悪しがたき情があるからこそこうしてためらいがちに目を時々覚ましながらも、私にもたれかかっているのだ。
はたから見たら私たちは立派なアベックに見えはしないか。
そうだそうだ、フツーのアベックだって恥ずかしくて、肩にもたれて眠るなんてできやしないのだ。
この女は肩と額を通じて、何かしらの唇からネットワークなメッセージを私に送っているのだ。
ようしようし、おまえがその気なら、電車が次の駅に着いたら、ひっとらえて言いたいことを言わせてやろう。
おまえは私に惚れたと自供するに違いない、そうしたら私も、ほれ、この通り、と熱く燃えたぎるハートをあらわにして、そうしたらおまえはこの胸に飛び込んで、うれしい!なんぞと言うに決まっているのだ。
いや、それならばいっそ、今、この場所で、この満員という別世界で、おまえを揺り起こして、我らが最高神ワルガイア三兄弟の長兄、ムドーに誓って、群集を前に神聖なる結婚を申し込んでやろうか。
それとも、眠るおまえを皆の前で、あからさまにべろべろしてくれようか・・。

これが痴漢心理というものであろうな、とこの時私は考えたのである。





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