海洋空間壊死家族2



第15回

マタンゴ   2003.7.31



募集人員・・・・若干名
資格・条件・・・特になし、気概にあふれる方
        草や土が皮膚に触れても奇声を発しないレベル
        デジカメ優遇します
応召方法・・・・口約束(メール・掲示板等)
期間・・・・・・2003年秋〜億劫
活動内容・・・・一子相伝
その他・・・・・若いです雰囲気たまらないいとをかし
        あぐぅっうったあぁあぁぁ
        雨天決行



「マンドラゴラ」という植物がある。
断頭台で首をちょんぎられるときや、13階段で首が絞まったりするとき、人間というのはその穴という穴から、断末魔のような欲望の物理的吐露を行なうのであるが、中世ヨーロッパにおいて、その断頭台で首のすっ飛んだ死刑囚のその瞬間に放出された精液が地面に落ちたところに生えるとされた根菜がマンドラゴラである。
まるで人間の執着の至極のような植物なのであるが、その植物が何に使われるかはともかくとして、あまたの人間がそれを採取しようと躍起になってきた、というのはよく聞く、ありがちな話である。
しかしさすがにそんな経歴の植物が簡単に獲得採取されるはずもなく、万に一つ、やっとこさ見つけて、何ゲニそいつを引っこ抜こうとすると「きぎぃぇっ」と身につまされるような声を出し、その悲鳴を聞いたものは3日以内に死んでしまうという、三年ゴロシ的特徴を持つ、アヤメ科の一種ともいわれる恐ろしい地下茎肥大植物なのである。
それとはまた別に「マタンゴ」という毒キノコのお化けが絶海の孤島にいて、たしかドラクエ上では甘い息を吐いて人を眠らせる特異技を持っていたと思うのだけど、とにかくそういうおどろおどろの博物的具象というのは私、昔から大好きなのである。
例えばそこには日本的キマイラ鵺であるとか、七つの首を持つ水蛇、ヒュドラであるとか、そういう人間世界を超越したキテレツ動物というのもいて、確かに興味そそられるのだけれど、私の場合、そういう驚異の隠れキリシタン的生物なんかより、もっとつつましやかな、無機的な物体にひかれるという特質があるのである。
普段からそこにあって、フとした拍子に、この別段変わりないこのもの言わぬ構造物が、私の見ていないところで、口にはできないような恐ろしくもけたたましい阿鼻叫喚の地獄絵図を展開しているのかも知れない・・という可能性を激しく妄想的に追求すると、もう私の体は素直に反応しちゃって黙ってはいられない感じになる。
それは「13日の金曜日」を見てもあまり興奮、激情しないのに、例えば、横溝正史の「悪魔の手毬唄」に代表されるような、無音・静的・想像誘発恐怖にも似たモノトーン状態に陥ると、私の三半器管、うずまき管が過大な耳鳴りとともに爆発して、心は情念的エクスタシーへネコまっしぐらということになるのにもよく似ている。
岸恵子(!)が犯人役ででていた一昔前の金田一シリーズのそれは、ちょっとうろ覚えだけど、カラーフィルムなのにほぼモノトーンに彩られた映像で、不必要なBGMがいっさい挿入されず、時たま狂ったような琵琶の音がびびんと突然入ってくるという、子供の教育上良くない、あまりに恐ろしすぎる、サスペンスホラーというもおろかなおどろ映像であった。
子供の頃、恐ろしいテレビ映像を見ると、ワタクシこたつの中に潜り込んでしまうという昆虫的な特徴を持っていたのだけれど、今思い出せるこたつ陥入番組はその「悪魔の手毬唄」と、「キャンディキャンディ」と、ジュディオングの「魅せられて」であったというのはある意味象徴的である。
そういうわけで、その張りつめた、何かのきっかけで堰を切ってほとばしる予兆を抱えた無言の静物というのに、過大な期待をともなった好意を寄せてしまうのも、幼児期の心的内傷分析によると無理はないのである。
そんで、いろいろ言ったけど、大人になった今では、そんな異空間的生物がこの世に存在するとも思っているわけではないのではあるが、しかし、たとえばあの「キノコ」という無制約展開的生態を見たとき、なんだか心の奥底のほうから、たゆたいながら浮かび上がってくる高揚感、わくわくする感覚というものを、私は抑えとどめることができないのである。

キノコというのは知られているだけでも何万種類もあって、日本には数千種類自生しているとも言われている。
さらには同じ種類のキノコでも生えているところによって形や色が微妙に異なり、一つとして同じものはない。
また、説によっては毎年その種の数をネズミ算式に増やしているという話もあるから、まったくつかみどころが無い、というか、つかむ意志を持つ人間も果たしているのかどうか、という漠然とした生態なのである。
しかし、そんな生態的かつ疫学的な考察はともかく、やつら、その曖昧な生態の上に、カタチもまったく珍妙な、これまた一つとして同じものの無い、個性の輝きを周囲に放っている。
あの、キノコたるメルクマールである「傘」にも、造形的な必然性というものはいっさい感じられず、そういう意味ではまるで公園の水飲み器具のごとき、あくまでも個人の意志と主張をもとにした蠱惑的なカタチを形成しているというのは、一体なんなのであるか。
そしてその活動成長の糧、エネルギーを、周囲の生物、環境から100%取り入れて暮らしている、という、あまりに非生産的な、あまりに他者依存的な生き方というのも、人間の矜持をつき崩す示唆に満ち満ちており、私の憧憬の念をとらえて離さない。
それゆえというのか、その環境をあくまで素直に反映する、たとえば、稀土類を含む土壌に生えたキノコは稀土キノコになるという、まるで豆腐や白ご飯のような、悪びれない生き方がたまらない。
そしていろいろ言ってはみたものの、やはり何といっても、食べておいしいというのが、このかわいらしい無言の生き物の最大の特長である。
普通に売っているところでは、シイタケ、シメジ、エノキなんて、その出汁の威力はいうまでもなく、焼いて食っても、煮て食っても最高のお味というのは周知の事実であるが、その辺に生えているキノコでも、例えば、チャナメツムタケや、アミタケなんてそのとろみ具合もあいまって最高の旨味食材である。
話はそれるけど、明治時代に椎茸人工栽培が確立されるまでは、マツタケ、マイタケなんてのよりシイタケの方が値段も名声もはるかに上のキノコであったのだということはこの際知っておいてほしい事実である。
実際焼いて醤油をかけたときのシイタケの味の波動は、食品美味3部門ナンバー1に輝くDHCであるといっても過言ではない。
そういう、くっちゃらはぴはぴという、食文化的には、諸手を挙げて上州さわやか音頭を踊りだしたくなるような、YMCA的悦びが存在する一方で、そのキノコのうちに「毒キノコ」という、ある種、横断歩道一時停止的な、時雨心象ジャンルというものがあって、つまり、キノコというこころ浮きだたせる対象に、突然はっと立ち止まらせる、我にかえらせる致命的外傷があったのである。

例えばドクササコというキシメジ科のキノコがあるんじゃけど、そのキノコを食べると、指先に火箸を突き刺されているような感覚が2カ月くらいの間、えんえんと続くという、まこと恐ろしい症状をひきおこすといわれておる。
わしゃ爪を剥がされたというのか、無理にひっぺがしたことはあるけど、それはそれで大の大人がきぇえぇーと烏気味に叫んでしまうほど痛い。
こんな酔っ払いのワシでも、爪先に火箸を刺されたことはないのだが、しかしー、焼け火箸じゃろ・・、たとえば煙草を皮膚に押しつけられる、俗にいう根性焼きはその昔、K岡君にされたことがあるから、その過去の経験測ABから推測するに、「指先に焼け火箸」の痛みというのは、抑えようにも抑えきれない、絶叫のこだまする石橋整形外科C、というような恐ろしい状況なんだろうな、というのは何となく想像できる。
しかし、その痛みはそんな我々の想像をも絶し、入院すると、なぜか精神病棟の方へとさあさあと案内されて、挙げ句の果てには、なんと自殺しないように手足を縛り付けられてしまうという凄惨な結末へとなだれこんでいく。
その後のことはよく知らないけど、多分、首の後ろの皮を一枚、ピラリとめくられた上にそこを雑巾でごしごし擦られるようなソビエト的民間療法が待ちかまえていることは想像に難くない。
ここまで来ると、もう毒キノコを食した結果顛末というよりは、猟奇怪奇の犯罪現象に近いようだが、しかし、一方で、それとは方向性を17度ほどベクトル修正したような、悩ましくも衝動的な、精神浮揚的、さらには精神破壊的、症状をひきおこす毒キノコというものも存在する。
最近よく聞くのは「マジックマッシュルーム」なんてサイケなネーミングの、ちょっと聴きは「ピチカートファイブ」みたいな、おしゃれでロリポップなキノコであるが、あれは実際の生態としては、馬のウンコによく生えるワライタケの仲間であるというのは明白な事実なのである。
そしてサイケデリックにふふふと笑ってるうちはいいけれど、その親分格のオオワライタケ、というのを間違えて食べてしまうと、さらに笑いのボルテージは最高潮位へ達し、ヒロTもびっくりのファンキーなナンバーと親父ギャグの嵐が精神世界を吹き荒れることになる。
実際にはそのオオワライタケを食べると、神経系が完全に破壊されてしまってラッキョウが転がるのを見ても笑ってしまうような人種としてこの世を生きていかなくてはならない状況に陥るのである。

そして、そういう神経系を攻撃目標とする緻密な頭脳戦略的キノコがある一方で、着実に人間の生活基盤をむしばんでいく内臓器ゲリラのような悪質なキノコも世の中には存在する。
例えば、スーパーマリオに出てくるような、メルヘン一辺倒の赤いキノコがあって、それはそれでベニテングタケと呼ばれて、食ったら巨大化するような怪しいキノコなんだけど、その仲間にタマゴテングタケという黄色いかわいいキノコがある。
そのキノコを食ったら最後、腎臓から肝臓までキノコ成分に触れた細胞は壊死して、着実に死への道をたどってしまうという、考えるだに恐ろしい、内部からの破壊を得意とする北斗神拳のようなキノコもあるのである。
これらのキノコは食後、大体2、3時間以内にその反撃のノロシがあげられるので、その時間内は決して一人になってはならないという不文律のお約束があるのだが、時たま、何かやむにやまれぬ事情や、ちょっとした手違い、ド忘れによって、はたと気づけば独りぼっちの6畳一間という状況に我に返ることがある。
そういうたまさかの孤立無援の時をまるで見計らったように、そのゲリラ軍団は不敵な含み笑いをかみ殺しつつ、じわじわと我が内蔵への包囲網を狭めてくるのである。

あれは2001年10月のことじゃったろうか・・といきなりカタリベじいさんのように始まるが、あの頃の私は何度かキノコ狩りをこなして、少し増長した気分のある、キノコ部部長を気取っていたのである。
そんで、そのシーズンは一度もキノコを狩っていなかったので、焦燥のパロマティックなとろ火にいぶられて、Tタケ君という、名前も生態もきのこになるべくして生まれたマタンゴのような後輩と一緒に前の日の晩から滋賀県のあるお山に向かったのである。

ちょうどその頃の日記風回文が存在するので、以下しばらくそこからのエクスポート

命恙なきや。
うら若き乙女の、朝帰りするよりは茶でも飲みて昼まで時間つぶして紛らわして帰らんとするに匹敵ぞする、あるいは逆に、皆様に胸はりてこの子もこんなに大きくなりましたよと吾が子の成長ぶりを見せびらかしたき心地にも似たるはえにて、さてもここにいと恥ずかしきこと披瀝いたします。
ことの起こりは本月27日、Tタケとキノコ取りに行ったことに始まるのだや。
前日の夜、霧深く3メートル先も見えぬ田舎の狐道を川にも落ちぬべきとおののきつつ2時間あまりかけて朽木のある山中に向かいつつある時からなんとはなしに嫌な感覚はあったような気がする。
星はかぞうべくもあらずまたたきて、そして二人きりの夜はふけて、つうか、調子に乗ってビールにウイスキーなんぞをしこたま飲んだのがいかんかったがや。
わざわざ前夜に着きつるを起きぬれば既にしてあたりに5、6台クルマ群がりとまりたるこそあわれなるさまなれ。

中略

夕方肌寒きころにウチに「はうはう」つきぬるよ。
やがて研究会発足し、スギヒラタケ、ウスヒラタケぞ選別しけるとぞ。
ほかにキヌガサタケのうち捨てたるをとりいでて匂いかがば、グァバが香りいと強烈にて死にたる頭になりたるも心ばえよけれ。
そのスギヒラタケ、ウスヒラタケ、油にてじゅうぅぅぅううと炒めればいと馨しかれど、味はさほどのこともなかりき。
中略(このあとすぐTタケは車にて退散)

症状を記すと、まず1時間半くらいたって胸のむかつきを覚えれば、こらあかんと思いてトイレで吐きつる。
10分間隔にて襲い来る吐き気の恐ろしさよ。
病院に着いてのち、腕がヒジより先しびれてじわーんとして、熱38度前後に急上昇し、鼻息荒く意識朦朧と居眠りたるかウツツなるかわかずなるおぼえぞわびしき。

後略


人は生きてる間に3回くらいは死ぬほど吐く体験をすると思うのだが、この時は吐くものがなくて、胃液さえも吐き尽くして、ややもすると胃やら腸やらの内蔵が出てきてしまうほどの激烈な吐き気が数時間続き、痛みとか苦しみに比較的鈍感な私もつい、手早くやっちゃって・・と感じてしまうほどであった。
一人でトイレに座り込んで吐き続けているとき、奇跡的に義理の母親が家に来て、病院につれていってくれたのであるが、あれがなかったらどうなってたのかと思うとホント恐ろしい。
逆に義理の母は、ムスメの配偶者たる僕をホント恐ろしい・・という顔をして見ていたけれど。

一方で、一緒にキノコを食ったはずのTタケ君はほぼ無事で、平然とクルマで帰ったというところが「謎」であるが、しかし彼は自宅、ヒトの家、所かまわず床、壁に生えるという平面依存的な、高デシベルため息型、無気力型人間であるから、キノコの毒性にも比較的耐性があるという、一応の説明はつく。

まあなんだかよく分からないけど、親しくしていた人に裏切られたような、ひどい目にあった人間のショックの大きさと、それをみんなに知らしめて、喜びを共有したい群集的欲求を感じ取ってもらえれば幸いである。
ただ、このことがあって以来、ただでさえ一緒にキノコ狩りをしてくれる友達は少なかったのだけれど、いこうぜ!と誘っても、鼻、あるいは横隔膜のあたりでフフンと笑われて、つまるところ誰も一緒に行ってくれなくなってしまったのは思わぬ副次的誤算であって、黙っとけば良かったなあ・・といまさらながら思う。
しかもキノコ部部長として仲間内には恥ずかしくて、今まで黙っていたのだけれど、マイタケなどの、あのヒラタケ・サルノコシカケ科系のキノコの味が、なんともそのアタったキノコに似ているため、頭ではおいしい、食べられるキノコと分かっているのに、いざ食べようとするとエヅイテしまって、からだの細胞レベルがキノコ成分に拒否反応をしめしてしまう、つまり、食べられなくなってしまったのも痛い出来事である。

しかしそうも言ってはいられまい。
この森羅万象事象世界は、闇あればこそ光は輝きを増す、悪の華が花開いてこそ正義のヒーローは日曜日の早朝に暴れ回ることができる、というゾロアスター的真理をかんがみるにつけても、私がキノコを探索し食べ続けなくては、この地球の未来はないのではないか。
キャシャーンがやらねば誰がやる?
ということで諸兄よ!我こそはと思うものは私とともにこの秋、山谷に入りて、キノコを観察、記録、あまつさえ食べてしまわんぞ。
年齢、性別は不問ゆえ、いざあらたしき不倒の領域へ。
ほんと楽しいよー。はまるよー。
お願い。一緒に行って。

募集要項は冒頭の通り。



※編集長注…ご希望の方は「マタンゴ入会希望」とお書き添えの上、
      メールまたは掲示板にて意思表明してください。






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