第12日
2007年8月12日(日) 「ナスカの地上絵を肉眼で目視」 2007.11.11 公開
4時起床、身支度をし、出発が早いということで、
さすがに始業が早いペルーのホテルのレストランも空いていないこの時間に
特別にお願いしてあつらえてもらった朝食を摂る。
夜も明けぬうち、真っ暗なレストランでひっそりと朝食
5:15、迎えに来たウエハラドライヴァーと合流して空港へ。
今日はこれから国内線に乗って南部のイカという街に行き、
そこからセスナに乗り換えてあのナスカの地上絵を空から見学するのだ。
エアロコンドルという会社の便を利用するのだが、チェックインカウンターで相当待たされた。
本当に客を待たせることを何とも思っていない連中だ。
クスコやアグアスカリエンテス、プーノに行った時のことを思い出して比較してみると、
やっぱりどこの国でも同じなのだろう、都会ほど人の心は荒んでいるように感じる。
車の運転だって我れ先にと割り込んだもん勝ち、みたいな感じだし、
とにかく人のことよりもまずは自分、というポリシーをリマでは頻々に感じる。
山岳地帯の素朴な人々はもっと他人のことを慮る気持ちを持っていたように思う、
何となくだけど。
私たちと同じくナスカの地上絵を見にいくのだろう、空港の待合ロビーでは日本人が多い。
添乗員に率いられた団体客のようだ。
この旅行の中で、周りに日本人が一番たくさんいる瞬間だ。
ん? 私たちが乗る飛行機はイカ行きのはずなんだが、
モニターには“PISCO”と出ているぞ?
ピスコ行きなのか?
便名は間違いないし、
周りはナスカの地上絵遊覧飛行に出掛ける人ばかりなのでまあ心配はないが。
定刻の7:00を30分ほど過ぎて私たちの乗ったエアロコンドルは離陸。
飛行機は乗客定員40人ほどの小さなプロペラ機で、席もフリー。
50分ほど飛んで8:20、着陸。
ここからバスに乗って移動するということだが、
そのバスを何と今から30分ほど待たなければいけないということで、あえなく機内待機。
なんつう段取りの悪さよ。
そして収集した情報から判断する限り、やっぱりここはイカではなくピスコの空港のようだ。
本来ならばバスなどに乗り換えることなく、
飛行機を降りたイカから直接セスナに乗って地上絵遊覧に行けるはず。
何らかのトラブルがどこかで発生して、
このような代替輸送に変更されたのかもしれないが、そこまでのリサーチはできなかった。
何にもないピスコ空港でイカ空港まで運んでくれるバスをひたすら待つ
本当だったらバスが来るまで機内でおとなしく待機しとかなければいけなかったんだろうが、
そこは南米、いい意味でも悪い意味でもおおざっぱなので、
機長がサーヴィスしてコクピットを開放してくれたり、
飛行機から降りて少し外を出歩くことも許されたり。
天気は曇りだ。
退屈なのでプロペラ機のコクピットを撮ってみた
おそらく30分も待つことはなくバスは来て、乗客一同そちらに乗り込んで移動。
ここからセスナの発着場であるイカの空港まで1時間ほど走るということだ。
あたりはまったく砂漠の風景だ。
ほとんど雨の降らない乾燥地帯だからこそ、
数百年前に地面に描かれたラインも今まで消えることなく残っているのだ。
ちなみに乗っているバスは韓国で使用されていた車体の払い下げらしく
ハングル文字が車内のあちこちに残っていて、そしてボロかった。
イカ空港の格納庫には地上絵遊覧に使われるであろうセスナがたくさん
ナスカの地上絵遊覧の拠点となるイカ空港に到着、
まずは広いレストランのような待合スペースに皆案内され待機。
隣り合った敷地には、エアロコンドル社が経営するホステルもあった。
ゲストたちはいくつかのグループに分けられ、私たちの8人グループは
地上絵遊覧の前ににまずイカ市内のちょっとした観光に連れ出された。
イカ観光、まずはワカチナという名前のオアシスの町へ。
確かにオアシス、きれいな池があったが、まあ特別何も。
そのあと案内されたのは小さな博物館。
残念ながら館内の撮影は禁止だったが、
エアロコンドルの愛想の良い若い男性ガイドの説明も面白く、
各時代の文化の土器や織物、そしてミイラといった展示物も興味深かった。
ワカチナオアシス
なかなか面白かったイカの小さな博物館
観光後、イカ空港に戻り、椅子が並べられた小さな試写室のようなスペースで、
ルイスのという名の怪しげだけど面白いおっさんによる地上絵の簡単な説明と、
地上絵を紹介した番組のヴィデオ上映が行われた。
英語の番組が1つと、もう1つはTBSの「世界遺産」。
ちなみに怪しいガイドのルイスも怪しい日本語を操って説明していた。
ここではこのルイスの手による地上絵の配置が載った
ナスカ平原の地図も即売されており、遊覧に出る前に買おうと決めた。
ガイドのルイスが説明に使っていたボードなど
この後遊覧に出る前に、私たちのグループはランチをこなすようで、
バスで数分のところにある「ラス・デュナス」というホテルの中にある
プールサイドのレストランに案内された。
このホテル、あたりの様子からはまったく予想もできないリッチできれいなところで、
このテラスレストランも広々として美しいところだった。
ブッフェの料理も美味く、おかわり。
きれいなプールサイドのオープンレストランでブッフェランチ
食事後再びイカ空港に戻り、ルイスから急ぎ地図を購入して(直筆サイン入り)、
いよいよ13:25、私たちを含むゲスト12人が乗ったセスナが空へと舞い上がった。
テンション上がってきたぞ〜!
天候も良し。
12人乗りのセスナに乗り込んでいざテイクオフ
このあたり一帯は砂漠地帯だというのが空から見るとよく分かる
15分ほど飛行すると地上絵エリアに辿り着いた。
2人乗っている白人パイロットのうちの1人が英語と片言の日本語を使って、
トライアングル、宇宙飛行士、コンドル、ハチドリ、
クモ、オウム、フラミンゴなどが紹介されていく。
残念ながら私はサルとイヌを見つけられなかった!
地上絵研究の第一人者だった故マリア・ライヘ氏は
「地上絵の解明よりもまずは保存を優先すべきだ」と言ったらしいが、その言葉通り、
まだ保護がきちんとなされていなかった時代に観光客が踏み荒らしたせいや、
保存に無頓着だった道路工事のために、
かなり薄くなって空からも認識しにくくなっている地上絵が少なくないみたいだ。
丘の斜面に描かれている宇宙飛行士 パイロットは日本語で「ウチュウジン」と言っていた
コンドル 下を向いている
おそらくナスカの地上絵の中で最も有名なハチドリ
写真中央に見える小さな建造物は故マリア・ライヘ氏が建てたミラドール(展望台)
その左下に木、右下に手の地上絵が見える
私が見つけられなかったサル 尾をクルクルと巻いている
同じく妻のみが見つけられたイヌ 上を向いた格好
地上絵を自分の目で直接見ている、という事実は充分に興奮すべきことだったが、
なんだかセスナに酔って気持ち悪くなってきた。
地上絵を見せるために旋回を繰り返しているし、
それにカメラのファインダーもたびたび覗いているから。
このナスカの地上絵に関しては、誰が何のために、という観点から、
秘められた謎を解明しようとこれまで様々な解釈が示されてきた。
古代人がカレンダーとして描き使っていた、とか、
あるいは宇宙からやってきた人が滑走路として描いたのだ、とか。
子供の頃は私もいろいろと空想を巡らせていたりしたものだが、
今回地上絵を肉眼で実際に見てみた経験も踏まえて、
今は「この地上絵にはそれほど深い意味はなかったんじゃないか、実は」
という風に考えている。
空から確認しなければその全貌がつかめないほどに大きな絵を描くことができた、
という測量技術は確かに優れているが、
マヤのピラミッドを始めとした多くの遺跡群に表れているように、
太陽神を古来より信仰してきたラテンアメリカの各文明は
天体の運行に関して驚異的な知識を持ち、
それを高度な技術でもって活用してきたので、まあ今さら不思議はない。
それだけの緻密でハイレベルな知識と技術を有しながら、
地上絵の絵柄って結構雑だなあ、というのが私の感想で、
それが「それほど深い意味は込められていなかったんじゃないか」と思う根拠。
サルにしてもコンドルにしてもハチドリにしてもそれ以外の絵たちも、
そのフォルムは決して精密に整えられているわけではない。
特に天文学などに関してはあれだけ高度なものを備えていたのだから、
本気になれば地上絵だってもっと正確に、
シンメトリーなんかもきっちりとって描くことができたに違いない、と感じられる。
だから、あんまりやることもないしいっちょ地面にでっかい絵でも描いてみるか、
と大きな意図なくして古代の人たちが遊び半分に描いた、
というのが実は真相なんでないかと、個人的に勝手に思っている。
総計1時間15〜20分ほどの遊覧飛行を終えて帰還。
イカ空港に戻ると、ビックリするぐらいにすぐ、
間髪入れずにもうリマへ行く飛行機が出るというので
急いで40人乗りのプロペラ機に乗った。
帰りはピスコまでバスで行かずにここから直接飛べるみたいだ。
ここで空港の土産物店をゆっくり物色しようと思ってたんだけど、目算が狂った。
16時過ぎ、リマの空港に着いて迎えのウエハラドライヴァーと合流、
ホテルへと送ってもらう。
リマの街角には至るところにポリスが立っており
(クスコなどの観光都市にも立っていたけど、
それとはまた違って本当に治安が悪いからいる、みたいな雰囲気)、
また個人宅や会社、そしてマンションの入り口などもことごとく鉄格子の門で閉ざされている。
そんな風景からも、このリマの持つ一面が感じ取れるような気がする。
バイクで街角を警備しているポリス
マンションや住戸の玄関には鉄格子の門が
今日はもう帰国の飛行機に乗る日。
が、空港へ出発するまでまだ時間があるので、シャワーを浴びた後、
ルームサーヴィスを頼んで夕食を摂る。
シーフードライスというちょっとスパイシーなチャーハンと、ツナサラダ。
シーフードライス、メチャ美味かった。
最後の最後まで、例によって量は山盛り、とても多い。
シーフードライス(右)とツナサラダ(左)
このたびの旅行は出国から帰国まで14日間、現地泊も11泊という長いものだったが、
うーん、旅行は1週間ぐらいの方が私にとってはちょうどいいのかもなあ。
これまでの旅行においては、帰る段になると「もう帰るのか、もっといたいなあ」
と思うのが常だったんだけど、今回は、帰りたい、とまではいかないが、
「まあ帰ってもいいかな」というぐらいには感じることがあった旅の終盤。
もちろんイヴェントそのものは毎日違うからそれぞれ楽しいし、
旅の終盤に組まれていたイヴェントがよくなかったとかそんなことは決してないんだけど、
ただ単に日本を出てからの期間の問題。
でもいざ帰国したら、「また行きたいなあ」と思うはずなんだけど。
20時、ホテルにウエハラドラヴァーが迎えに来て、空港まで最後のドライヴ。
リマのホルヘ・チャベス空港で別れを告げ、
チェックインの列に並ぶがものすごく混んでおり、そして進みがものすごく遅い。
たまらんほどに遅い。
欧米の航空会社ってこのへん、本当に遅いよなあ。
6日前の晩にペルーに入国した際、最初に迎えに来てくれた日本人ガイドのKさんが
「この国はたとえハードがきれいに整っていたとしても、
それを使うソフトの側に問題があるんです」と言っていたが、なるほど、
美しくて設備の揃った近代的な空港もこれではその真価を発揮することはあるまい。
それとは関係ないが、各空港の使用税って結構高くてバカにならんなあ。
空港でチェックインを待つ人の長蛇の列 後ろの方の人は搭乗時刻に間に合ったのか…
手荷物検査場で荷物の中身にいちゃもんをつけられ、
何とコンタクトレンズケアの液体が入った小さなボトルを没収された!
わざわざ旅行用の小さなボトルを買って持ってきたし、
こんなものに文句をつけられたことはこれまでの旅行でもちろん一度もない。
あのU.S.A.ですら。
まったく納得いかんので必死で苦情を言い立てたが、もちろん結論は覆らず。
後ろを見ると、妻もリップクリームと小さなハサミを没収されており、
プリプリと悪態をついていた!
そして横でも外国人女性が化粧品をまさに取り上げられんとしているところで、
メチャメチャに怒っている。
あとで別の日本人観光客に聞いたところによると、
空港内の土産物店で買った酒の中身を捨てさせられていた客もいたらしい!
まったくアホばっかりか、ホルヘ・チャベス空港は!
セキュリティを厳格にする、少しでも規定から外れるものはことごとく没収する、
という方針を採るのだとしたら、
その他の部分でもすべて隅から隅まできっちり細かく対応せい!
もろもろ一般の法規や公共の場でのルール、
各種定刻の遵守などについては甚だアバウトでいい加減なくせに、
いざ国から出て行く時にはどんな小さなものも見逃しませんよ、
理不尽なほどに、なんていうこの姿勢、
せっかく旅行そのものは楽しくても「もう2度とペルーなんて来るか!」と思うものよ。
実際にこの瞬間はそう思ったし。
土産物店の前でバンドがフォルクローレの生演奏
23:30出発予定のU.S.A.ヒューストン行きコンチネンタル航空 CO591は
1時間以上遅れており、翌1時過ぎの離陸になるらしい。
ウロウロと空港内を歩き回って買い物など。
さらに飛行機は遅れ、結局翌1:30、ようやく飛び立った。
機内で3時間ほどは寝たかな。
次の日
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