第6日
2007年8月6日(月) 「キト市内観光→ペルー入国」 2007.10.28 公開
ここ数日と同じく、夜中に何度か目覚めた。
未明にはパトカーがサイレン鳴らして走ってったな。
6:30起床、7時にレストランに降りていって朝食。
ガラパゴスでもそうだったけど、こちらではオレンジジュースやパイナップルジュース、
マンゴージュースなどといったフルーツジュースはすべて果汁100%、
まさに果実を絞ったそのまんまだから、とても贅沢だ。
味もよって当然外れなしで美味い。
また、これもガラパゴスでも思ったけど、こっちの人ってあんまり喫煙率は高くないようだ。
社会が基本的に喫煙者に向けてできていないような印象を受けた、いろいろな場面で。
いいことだ。
泊まったラディソン・ロイヤル・キト・ホテルの部屋から見える景色 前にはスイソテルが建っている
9時、迎えガイド、I女史と合流して、これからキトの市内観光に出発だ。
天気も良く、観光日和。
ちなみに車のドライヴァーは40歳代ほどの女性だったが、
昨日の夕方、キトの空港からホテルに送ってくれたドライヴァーは彼女の息子、
そして日本から到着した1日の夜と翌朝の送りを担当してくれたドライヴァーは
彼女の夫とのことで、つまり一家でツーリスト相手のドライヴァーをしてるってこと!
面白い。
市内観光、まずは世界遺産となっている旧市街へ。
しかも確かこのキトの旧市街は、文化遺産と自然遺産を合わせて、
ユネスコの世界遺産に認定された第1号ではなかったか、私の記憶が正しければ。
ちなみに昨日まで訪れていた同じエクアドルのガラパゴス諸島は
世界自然遺産の認定第1号である。
独立広場の真ん中に建っていた動物たちを模ったモニュメント
その旧市街の中心地、「独立広場」=「プラサ・グランデ」前に車を停めてしばし見学。
カテドラルがド迫力でそびえ立っており、
また隣接する大統領官邸にはすぐそばまで近寄れ、
ホワイトハウスとはえらい違いである。
さすがに街並みは訳の分からぬ看板などもなく、とても風情がある。
独立広場の横には大統領官邸
さすがに世界遺産、コロニアル時代の街並みはとても風情がある
それから少し車で移動した後、Iガイドの案内で、バシリカ、名前を失念したどこか、
ラ・コンパニア、サグラリオ、サンフランシスコといった伝統のある教会を見学。
ギリシャ神話をごっちゃにして大神 ゼウスを
イエス=ヘススと一緒にまつっちゃってる教会にも驚いたが、
日本や中国の寺院よろしく金ピカ内装の教会にも衝撃を受けた。
Iガイドの日本語の説明付きなので非常に分かりよい。
バシリカ教会の外観
バシリカ教会の壁にはガラパゴスの生き物を模した造形物が! これはゾウガメ
そしてこちらは赤道直下に棲む唯一のペンギン、ガラパゴスペンギン
ラ・コンパニア教会外観 金ピカの内部は撮影禁止だった
サグラリオ教会内部の天井ドームには精緻な絵画が描かれていた
サンフランシスコ教会の外観
このキト市内観光以外はこれまでも、
そしてこれから訪れるところもおしなべて英語でのコミュニケーションが中心だが、
まあ旅をする上で重篤な支障はきたさない程度に
一定の相互理解は英語でも得られるものの、
やはり母国語でそれを行えるというメリットは絶大である、とつくづく感じた。
私は英語圏の国に居住したこともないし日本で英会話学校にも通ったことがないので、
所詮トラヴェル英会話レヴェルの語学力しか持ち合わせていはいないが、
たとえ英語の国に今後長年住んだとして、
それなりに英語をコミュケーションツールとして使えるようになったとしても、
そこに母国語と同様に細かいニュアンスを込めて
伝えることができるようになるかと自問してみれば、
おそらく永遠にそんな日は来ないであろう、と直感的に分かる。
私の母国語が英語と同じ印欧語族にでも属しているのならまた話は別かもしれないが、
語順、文法、構造、語彙その他もろもろことごとく異なる日本語で育ってきている以上、
大人になってから身につけた英語を自らの血肉のごとく使いこなすことは
私には一生できそうもない。
それができる人を本当に尊敬する。
海外に行ったりするとしばしばこういうことを感じるんだけど、今回の旅でも痛感した次第。
まあといっても、今回訪れているエクアドルもペルーもスペイン語圏の国で、
つまりガイドやホテルの人たちも英語を母国語とする人たちじゃないから、
彼らと英語で話している分にはなんだか親近感もあって
能くコミュニケーションが図れるような気がするけど。
英語を母国語とするアメリカ人なんかに
本気でいつものようにしゃべられるとほとんど分からん。
パネシージョの丘に建つマリア像は遠く旧市街地中心部からもよく見えた
旧市街地の散策を一通り終え、再び車に戻って今度はパネシージョの丘へ。
巨大なマリア像が建っている丘で、
キトの市街が旧も新も含めてパノラマで一望できるスポットらしい。
実際に行ってみると、確かにその通り、非常に見晴らしがいい。
入場料を払ってマリア像の中にも入ってみた。
標高は3000mぐらいあるはずだからゆっくり歩かないとな。
月曜の午前なので閑散としている。
マリア像の上からキト旧市街地を望む
マリア像を足下から見上げてみる
そこから車で今度は市街地をまたいで反対側へ40分ほど走り、
目的地は赤道記念碑、なんだが、その前にその近くのレストランで昼食。
Iガイド、そしてお母さんドライヴァーと4人で。
前庭には花も咲き誇っているきれいなレストランで、
エンパナーダ(揚げパンのようなミートパイ)、野菜のスープ、
フリターダ(豚肉のグリルにいろいろ付け合わせが載ったメインディッシュ)、
そしてデザートとしてツリートマトと洋梨のシロップ漬けが供されたランチコースを食す。
落ち着いて食べられ、味も非常に美味かった。
昼食をとったきれいなレストラン
手前右が日本人女性ガイドのIさんで、奥にいるのがエクアドル人のお母さんドライヴァー
メインディッシュのフリターダは豚肉のグリルやバナナ、野菜などが載った一皿
実はこの日、ガイドのI女史がかつてマラソンランナーだったという事実が判明。
それも単なる市民ランナーではなく、
強豪実業団に所属して招待選手としてマラソンの国際大会に何度も出場し、
全日本実業団駅伝なんかにも出てしかも好成績を残しているというホンマモンだった!
すごいなあ。
先日も、標高2800mのこのキトで開かれたマラソン大会に出場し、
見事完走したという剛の者だ。
エクアドル生活も今日で6日目、旅行とはいえこれだけの期間いると、
日本出国時には限りなくゼロに近かったスペイン語の語彙も何となく増えてきた。
英語に近いものももちろんあるし、また全然英語とはかけ離れている単語でも、
街中の看板なんかはスペイン語と並んで
同じ内容の記載が英語でも載っている場合が多いから、それぞれ対応する言葉が分かる。
その土地の言葉が少しでも分かってくると、旅の楽しさはまた一段と増加する。
ランチを食べた後、赤道記念碑に行く前にちょっと立ち寄り、
火山の火口、カルデラ地帯に現存するという集落を一望できる場所に案内してもらった。
火口の内に存在する、人が住む集落は世界に2カ所しかないらしく、
ここはそのうちの1つなんだとか。
そしてこのあたりは霧や靄が発生しやすいところらしく、タイミング的にはまさに間一髪、
我々が見学を終えた頃に霞みがかり出し、視界が閉ざされ始めた。
「空模様が怪しかったので急遽赤道記念碑に行く前にここに来ました」という
Iガイドの機転に感謝だ。
この直後、火山の火口内にある村は霧で見えなくなったのであった
それから赤道記念碑へ。
北緯、南緯ともに0°を示す看板もあちらこちらに。
こちらも入場料を払って記念碑の上にも上がってみた。
また、記念碑のある公園内にはいくかの博物館様の建物や土産物店があったが、
月曜の昼ということでやっぱり人はまばら。
赤道記念碑…だが、正確にはここが0°0′0″ではないのだとか
赤道記念碑の上から眺めたところ 各種パビリオンのようなものがあった
帰り道、スーパーマーケットに少し寄ってもらってからキトの空港へ送ってもらった。
空港に到着したのは15:30。
Iガイドとはここでお別れして、ここから国際線でペルーのリマに向かうのだ。
チェックイン、出国手続きを終えて店をブラブラして時間を潰し、
18:00発、タカ航空 TA028でエクアドルを出てペルーへ。
TA028に乗り込み、いざエクアドルからペルーへ!
飛行時間は約2時間。
今日も天気が良くて陽に焼けたので体は疲れている。
機内食の軽食を夕飯とする。
また機内では、ペルーの国民的飲料であると噂には聞いていた真っ黄色の炭酸飲料、
「インカコーラ」を飲んだ。
いかにも体に悪そうな毒々しい色合いのインカコーラ
これが瓶に入ったインカコーラ
味は見た目の想像通り、駄菓子屋で売っている粉を溶かしたジュースのような
安っぽくて体に悪そうな感じだが、ここはペルー、
そしてこれはインカコーラということでそんなことはさしたる問題ではない。
私は基本的に炭酸飲料が嫌いで、
日本ではコーラなんかを飲むことはほとんどないという事実もこの際は関係ない。
結局これ以降もことあるごとに私はインカコーラを指定して飲み続け、
旅を通して5杯以上は飲んだであろうか。
20時過ぎにリマのホルヘ・チャベス国際空港に到着、ペルー入国を果たした。
リマはさすがに大都会らしく、空港は思っていた以上に大きくて見た目は美しい。
が、バゲージのセキュリティでなぜか引っ掛かりトランクを開けさせられた。
当然中身は何も問題ないので放免、そしてペルーの通貨、
ソル(複数形はソレス) S/.にも無事両替することができた。
迎えに来てくれたペルー現地日本人男性ガイドのKさんと合流、
車でホテルに送ってもらう道中に注意事項を含めた一通りの説明をしてもらう。
もう夜も更けていたけれども、話を聞きながらチラチラと車窓に目をやって
街並みを眺めていたんだが、やはりリマは相当大規模な都市であるようだ。
行き交う車の運転マナーはもうメチャクチャ。
日本では私が働く大阪なんかの運転マナーは悪い、
とよく言われるが無論リマのそれはそんな次元の話ではなく、
東南アジアや中国やアフリカの都市よりもひょっとしたら危険なんじゃないか。
こんな街では絶対運転できない。
また、暗かったのではっきり分からなかったとはいえ、
言葉は悪いがなんだか薄汚い街、という印象を受けた。
40分ほどで宿泊する「ダブル・トゥリー・エル・パルド・ホテル」に到着。
グレードの高そうなホテルだ。
といっても今夜は寝るだけ、
明朝の出発も早いのでホテルのサーヴィスを満喫する時間はまったくないが。
実は日本で、GSM採用の国で使えるFOMAの国際端末をレンタルしてきたのだが、
残念ながらエクアドル国内は未だNTTドコモの国際ローミング非対応で使用できず、
ペルーに入った今よりようやく稼働開始と相成った。
そして明日はいよいよ標高3000mを超えるクスコに入るということで、
日本で処方してもらって来た高山病の症状予防薬「ダイアモックス」を1錠服用。
これまでもまあ朝は早かったが、明日以降のペルー国内の日程はさらに始動が早くなる。
そして陽焼けした体が非常にかゆい。
就寝は24時頃。
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