第11日
2007年8月11日(土) 「ティティカカ湖のウロス島」 2007.11.10 公開
6時、ふと目を覚まして部屋の窓から外を眺めてみたら、ティティカカ湖に昇る朝陽が。
とても贅沢な絶景だ。
ティティカカ湖上に昇る朝陽を部屋の窓から望む
朝食ブッフェはこれまで泊まったどのホテルよりもにぎわっていた。
相変わらず日本人の姿は見られない。
一昨日の晩から崩していた体調もだいぶ戻った。
白人の姿でにぎわうホテルの朝食ブッフェ
朝のリベルタドール・ラゴ・ティティカカ
チェックアウト、余分な荷物をホテルに預けて、8:30、迎えにきたガイドのペペと合流し、
ホテルの直下にあるプライヴェート桟橋から「ジョーダンII」と名前が書かれた
立派なキャビン付きのボートに乗って湖に乗り出す。
今日はこのティティカカ湖に浮かぶ島、ウロス島観光に行くのだ。
ウロス島とは、プーノの沖合に浮かぶ群島の総称で、
湖に生えているトトラという名をした葦のような植物ですべてが作られた浮き島のこと。
ホテル直下の桟橋からボートに乗り込んでいざティティカカ湖観光へ
ボートは予想に反して客は私たち2人だけ、
あとはガイドのペペと乗組員2名のみの貸し切り状態。
これまた贅沢なことだ。
湖はベタ凪、風はなく天気も良い。
湖上に浮かぶ島に位置する泊まっていたホテルを横目に見ながらボートは滑ってゆく
非常に天気が良く、ほとんど風もないのでまったく寒くない
ここ、ティティカカ湖は富士山よりも高い標高3800m以上に位置する湖ということで、
湖上はさぞかし寒かろう、と思っていたんだが、そんなことはなく気持ちいい。
眺望も素晴らしいし、最高の日和じゃないか。
湖上を進みながら船上でペペガイドがいろいろと説明してくれたが、
このティティカカ湖も日本の琵琶湖やその他の河川と同じように、
外来の大型魚に固有の魚たちが駆逐されて絶滅、
あるいは絶滅寸前の憂き目に遭っている、という事態に見舞われているらしい。
これから上陸するウロス島「スマ・バルサ」が近付いてきた 歓迎の女性たちが並んでいるのが見える
15〜20分ほど走り、最初に着いたのは
「スマ・バルサ」という名前だと教えてもらった小さなウロス島。
民族衣装で着飾った住民の女性たちがアイマラ語の挨拶の言葉、
「カミサラキ〜」と出迎えてくれた。
本当に小さな島で、パッと見た感じ、
その面積は小中学校の体育館なんかよりもだいぶ狭いだろうか。
また、成年男子たちは街へ出稼ぎに行っているのか、島の住民は女子供が多い。
この島には7家族が居住しているとのことだ。
島の地面となっている植物の根やその上に重ねるトトラなど、
島を構成している素材のサンプルを使って構造や作り方を教えてくれているところ
島の真ん中に座り、ペペガイドにウロス島やティティカカ湖の概要を
ボードなどを使って改めて説明してもらいつつ、
島の人たちがバナナ代わりに食べているというトトラの根っこや、
それを挽いた粉で作ったらしいパンを食べさせてもらったり、
湖固有のカラチという小さな魚や、巣から拾い集めているという、
貴重な蛋白源であるらしい水鳥の卵なんかを見せてもらったりした。
ティティカカ湖固有魚、カラチ 外来魚に追われてその数は減っているという
一通りの講義の後は、
とあるファミリーの家の中に招待してもらって民族衣装を着て写真を撮ったり、
他のいくつかのファミリーから土産物を買ったり。
とあるファミリーに民族衣装を着せてもらって記念撮影
島内各家族の扶助もしっかりなされているようで、
とあるおばちゃんから1つ品物を買った後、
さらにその人が売っている品を物色していると、
「今度は他の家族から買ってあげて」と言ってきた。
素晴らしいなあ。
何かのテレビ番組で、「ウロス島の人たちは
喧嘩をすると島を切り離して顔を合わせないようにする」と紹介されていたが、
ここの人たちはそんなこともあまりなさそうな気がしたぞ。
このスマ・バルサという島から今度は、
「バルサ」と呼ばれている完全トトラ製の小舟に乗せてもらい、
それで少し離れた島まで移動。
バルサに乗せてもらってこれから別の島に移動
島の人たちの歌に見送られて出発
意外やメチャメチャしっかりした作りのバルサは好天と相まってすこぶる快適。
ここだけ時の流れが止まっているんじゃないかと思うほどにのんびりのどかに、
歩くような速さでバルサは湖上を滑っていく。
バルサの中にはこのようにピューマの顔を模った装飾が付いているものもある
15分ほどバルサに揺られて着いたのはアイマラという名前のウロス島。
先ほどのスマ・バルサより大きな島だった。
島内では黒ブタが飼われていたり、新しいバルサを造船したりしていた。
ここは少しの時間見学しただけ。
到着したウロス島 アイマラ スマ・バルサよりだいぶ大きい
バルサを作っている様子を見学
再び「ジョーダンII」に乗り込み、
ウロス島を後にして今度はプーノ市街の港へと直接船で向かう。
再びジョーダンIIに乗ってプーノ市街を目指す
プーノ市街地観光はコースに含まれていなかったので、
ここからは時間が余った時の対応かな。
プーノの港でボートからヴァンに乗り換え、プーノの中心地へ向かう。
アルマス広場前で車を降り、
プーノ一の繁華街であるというリマ通りというメインストリートを少し歩く。
プーノのアルマス広場前
プーノ一の繁華街 リマ通り
まだ昼前なので人通りは少ないが、
規模こそ小さいものの韓国 ソウルのミョンドンを彷彿とさせるにぎやかな雰囲気だ。
ほとんど歩く機会がないだろうなあ、
と思っていたプーノの街を少しだけでも歩くことができてよかった。
それから、そのリマ通りにある「ラ・カソナ」というレストランでランチ。
店構えは小汚くてこぢんまりとしているように見えたが、
中に入ると広くてなかなかに豪華な高級レストランであるようだった。
ランチを食べたレストラン ラ・カソナ 立っているのは客引きのおじいちゃん
店内はなかなか高級感あり 左奥の壁に掛かっているのはアイロンの群れ 昔クリーニング店だった建物らしい
ここでガイドのペペは、また後で迎えに来ると一旦立ち去った。
私はティティカカ湖特産の魚、ペヘレイのムニエルを、妻はチキンのグリルを食べた。
ティティカカ湖名物 ペヘレイのムニエル
店内の窯で焼いたであろう特製のパンも含め、非常に美味かった。
隣のテーブルにはアメリカ人中年女性3人組が座っていて、
私がその時ニューヨーク・ヤンキースのトレーナーを着ていたので、
「あなたニューヨークから来たの?」というジョークで話し掛けてきた。
彼女たちはボストンから来たそうで、「じゃあ敵だね!」と言っておいた。
店に入った頃はまだ客もまばらだったが、食事の後半、
正午を超えてからは店内もだいぶにぎわってきた。
また食事中、店の外を結婚式か何かのパレードが通っていったよ。
レストランの前をにぎやかなパレードの列が通り過ぎていった
13時前、再び迎えに来たペペガイドと合流し、
一路フリアカという街にある空港を目指して移動する。
この後はその空港から国内線に乗り、首都 リマに戻る予定なのだ。
フリアカの空港に建っていたインカ初代皇帝 マンコ・カパックの像
40分ほどで、インカの初代皇帝の名を冠したフリアカのマンコ・カパック空港に到着、
ガイドと別れ、チェックインした後、
土産物店を回ってベビーアルパカのスリッパを妻と揃って買ってしまった。
ベビーの毛はちょっとお高いが、その手触りは最高だ。
15:30、私たちの乗ったスターペルー航空は離陸、アレキパという都市を経由し、
定刻の17:55ピッタリにリマのホルヘ・チャベス空港に着いた。
ウエハラドライヴァーと4日ぶりの再会だ。
4日ぶりに訪れたリマはやはり雑然とした雰囲気に満ちた灰色の街で、
往来ではクラクションが鳴りっ放し。
夕方なので道は混んでおり、1時間弱走って再び
「ダブル・トゥリー・エル・パルド・ホテル」に到着、チェックイン。
今日の夜は何を食べようかな、と考えていたんだけど、もう地元の料理も結構食べたし、
正直10日も経つと白米と味噌汁が若干恋しくもなったので、
たまには趣向を変えて和食にチャレンジしてみよう、という結論に達し、
ガイドブックに載っていた「フジ」という日本食レストランを予約して行ってみた。
タクシーで5分ほど。
日本食レストラン フジ
店内はまるでペルーにいるとは思えない純和風すぎる作り
私は握り寿司セット、妻は鍋焼きうどんを注文。
寿司は決して不味くはなく、むしろこの地でよくぞここまでのネタを再現して、
と感心するほどだったが、妻が頼んだうどんの方は、
ダシは美味いものの麺にまったくコシというものがなく、かなり歯応え不満。
茹で加減なのか、打ち方なのか分からないけど。
寿司に付いている赤出しも美味かった。
現地で調達できるネタが駆使された握り寿司は美味かった
鍋焼きうどんの方は、ダシは美味かったけど麺がよくなかった
食べ終わって帰る段になり、まあそこらでタクシー拾って帰ろうかな、
と思っていたんだけど、ガイドブックによると現地在住30年という日本人オーナー板長が、
「流しのタクシーは危ない。無線タクシーを呼びましょう」と忠告をしてくれ、
少し待ち時間は掛かるらしいが素直に従うことにした。
よっぽど運が悪くなければまあ大丈夫、とは正直思うが、
何といっても現地暮らしが長い人の言うことだから、聞いておくに若くものはなし。
21時、ホテルに戻った。
明日はウエハラドライヴァーが5:15に迎えに来る、メチャ早い!
22時過ぎ、就寝。
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