湿地帯=アフワール。
イラクにこのような地域があるとは、恥ずかしながらついぞ知らなかった。
読了するとその違いは歴然ではあるが、かつてティティカカ湖に旅した時に見たトトラで作られたウロス島を思い出した。
「ザリガニの鳴くところ」で主人公が暮らす場も湿地帯であった。
人が行かないところに行き、やらないことをやって、それを物す。
まさしく高野秀行氏の原点とも言えるポイントに立脚した最新作である。
でありながら、当然変化というか進化を遂げているところもあって、歴史等にまつわる周辺事情の記述量が格段に増えている。
特に中盤以降は、まるで学術論文かと思うような理路整然とした解説が綴られるパートも多く、学者が著したものを読んでいるかのような気分がしたり。
高野氏が言う、「年を取ると書く技術は上がってくる」というところだろう。
もちろん作品の核を成す本質は、例えば「巨流アマゾンを遡れ」や「ミャンマーの柳生一族」や「アヘン王国潜入紀」といった過去の紀行傑作群と何ら変わらない。
どう考えても危険地帯としか思われないような地域を、「語学の天才まで1億光年」で明らかになった学習法を駆使し短期間で身に付けた現地の言語を武器に、そこに住まう人たちの伝手を巧みに繋ぎ手繰り寄せ、まるで危険など微塵も存在しないかのように軽やかに渡り歩いて、いつの間にやら"内側"にするすると潜り込んでいく。
出てくるエピソードの数々はどこまでもリアルで生々しく、そのシーンの情景が浮かぶのみならず高野氏や同席している人たちの息遣いまで聞こえてきそうなほど。
まさしく「地球の歩き方 イラク アフワール」であり、これ以上ないアフワールのガイドブックだ。
そもそも、イラクへの旅行情報を紹介しているガイドブックなど皆無か…。
それと同時に、アフワール全体を俯瞰して分析した描写や、マアダンの生活習慣等の紹介、アザールにまつわる調査と考察等、実は学術的な価値も高いのではないか。
他の人たちがやらない、やろうと試みない、やろうとしてもできないことを、こともなげに(もちろんそんなことはなく、実際には挫折や煩悶や焦燥が多々あるだろうし高野氏もそう書かれてはいるが、少なくとも見え方として)やってのけ、ご本人がまたそれをまるで大層なことではないかのように著されているのが、高野秀行氏の真髄である。
誰よりも"ブリコラージュ"を体現している。
「この人たちは、みんな、目に見える範囲のもので生活してるよな。」 |