著者自身も書いているように、当初はあくまで探検に出掛けるための道具に過ぎなかった言語それ自体が、探検の対象そのものへと変貌していく様がつぶさに感じられる。
そして探検すべき事柄となってしまえば、それはもう高野秀行氏が最も力を発揮する独壇場である。
それと同時に、本書は高野氏が専門的かつ体系的な指導を受けることなく、まさしく独力で"言語学"の入口に辿り着き、その扉を開いていく過程が綴られた物語である、そう言っていいと思う。
自己を謙譲して幾度も述べられている言葉とは裏腹に、高野氏は目的を遂行するためには苦役を厭わない大変な努力家であることは間違いない。
そして思考法はひたすら合理的、論理的であり、無駄と感じられる努力を省いていく技術が物凄い(それを指してご本人は怠惰だからと表現している)。
アフリカで話されている言葉と現地の音楽における裏打ちのリズムとの共通点に関する仮説には膝を打ったし、また各言語構造の著者なりの分析が非常に的確なので、喩えも分かりやすい。
留めにエピローグの考察も秀逸で、発話をフィギュアスケートになぞらえるくだりはさすがだ。
このような"言語"に即した感想とは別に、"高野本"の読者としての楽しみも無論、他方にある。
思春期の高野少年が悶々とする苦悩の日々や、コンゴとフランス語を巡る興味深いトピックス、「どっかで見た記憶があると思ったら野人探しの時か!」の莫先生…等々を読んでいると、過去の高野本を次々と読み返したい衝動にかられてくる。
そして著者の経歴を知っている古くからの読者にとっては、「あれ、ここでおしまいなの?」という"途中で終わった感"があるかも。
最後に、大阪弁のディープさを修飾するオノマトペは"バリバリ"ではなく"コテコテ"の方がベターかと思います、高野さん。 |