第5日
2005年5月19日(金) 2006.2.9 公開
未明、おしっこしたくて起きる。
ちょっと冷えたみたい。
1枚着て、さらに虫刺されがかゆかったのでムヒ塗ってもういっぺん寝る。
6:45起床し、朝食へ。
今日も2階の席で。
僕は昨日までと同じくトーストを食べたが、妻はパンケーキに挑戦していた。
僕も一口いただくが、バナナが入っていておいしかった。
バナナ入りのパンケーキにハチミツを塗って |
これまでとても親切にしてくれていた従業員のトニーは、
団体ベルギー人一行のお世話係として今日はリンチャ島に同行するとのことで、
8:00に出発してしまうから、9:00に発つ僕らの見送りはできない、と告げにきた。
そうかそうか、3日間どうもありがとう、と、
もう1人の主要従業員、アリーも含めて3人で記念撮影。
左がアリーで右がトニー |
アメリカ人ダイヴァーの彼も今朝はダイヴィングじゃなく、
団体さんたちと一緒にコモドドラゴンを見に行くようだ。
ドラゴン見学にかけては一日の長を誇る我々にいろいろと訊いてきたので、
デジカメに記録された写真なんかも見せつつしばし話し込む。
少し休憩した後、9:00、ついにプリ・バグース・コモドに別れを告げる。
迎えは船乗りたちだけで、ガイドのメウスは来ていない。
あれ、昨日僕が怒ったからヘソを曲げたのか?
船乗りたちは残念ながらほとんど英語を解することができないみたいなので、
そこらへんの事情を訊くことはできない。
仕方ないのでガイドなしでチェックアウトする(それが後々大問題に…!?)。
アリーが荷物を持って船の発着場まで見送ってくれた。
ついにプリ・コモドを後にする
荷物を運んでくれたリアカーを押して長い長い桟橋を帰っていく従業員のアリーたち |
ラブアンバジョーに向かう船の上から、
とても大きなトビウオが水切りの石のごとく何度も着水を繰り返しながら
ロングジャンプをしている様が見えた。
3泊4日のプリ・コモド滞在について少し振り返ってみると、
まず日本人にまったく会うことがなかった、この期間中。
これはなかなかにエキセントリックな体験であったと思う。
ケニアのマサイマラに行った時ですら何人か出会ったから。
そして大手旅行代理店などに申し込む一般的なツアーの大部分と違い、
ほとんど、いや、すべてのシチュエーションにおいて客は僕たちだけ、
という単位で動いていたから、
他のツアラーたちに気を遣うことなく自分たちのペースで行動を進めることができた。
40分ほどの最後の航海を終えラブアンバジョーの港に着くと、
そこにはガイドのメウスがぽつねんと独り待っていた。
船に置いて行かれた! と怒っている。
8:00にここで待ち合わせしていたのに、彼らは7:30に出発してしまったんだ!
と英語で僕たちに説明し、
そしてキャプテンにインドネシア語で激高して詰め寄っている。
ここでもIt's 東南アジア、を見せつけられたような気がする。
余談だが、ラブアンバジョーの港は日本のODAによって建設されたらしく、
それを示す小さな看板が掲げられていた。
この港は日本のODAによって建設されていた |
ガイドのメウスに怒られてもまったくこたえていないように見える
気のいい海賊たちに別れを告げ、今度は久々に車に乗り換えて陸路の移動だ。
まだ時間がある、ということで、モーニング・マーケット、
いわゆる地元の朝市を案内してやろうと連れて行かれる。
そこにはまさにローカルの生活があった。
果物、野菜、米、魚、鶏などの食料品、衣料、
それに日用雑貨などがズラリと地べたや簡素な小屋の中に並べられている。
僕たちが行ったのは確か10:00過ぎだったが、まだまだ客は多く活気づいている。
もちろん日本人はおろか、旅行客と思しき者も僕たちだけだった。
観光スポットじゃないから僕らを見ても物を売りつけようとか誰もしないし、
本当に地元の人たちの日常の一部を垣間見た気分。
モーニング・マーケットの様子
写真は上から、軒を連ねる店たち、売られていた魚の干物、同じく売り物の生きた鶏 |
再び車に乗り込み、移動中、ガイドのメウスが
「本来は私が一緒についてチェックアウトするべきだったんだけどそれができなかった。
支払いはちゃんとできたか?」と訊く。
そこで初めてプリ・バグース・コモドからもらったレシートをチェックしてみると、ん?
確か食事代はツアー代金に含まれていたはずだけど、
何やらチェックアウトの時にそれも払ったことになっている。
これちょっと俺払い過ぎてない? とメウスに確認してもらうと、やっぱりその通り。
払わなくてもいい食事代金も請求され、払ってしまっていた。
もっともそこにプリ・コモド側の悪意が介在していたかどうかは、
ツアー会社からホテルへの金の支払い方法によってどちらとも考えられるが、
そのシステムが分からないので不明。
ともかく事情はどうあれ、もちろん請求書をよく確認もせずに払ってしまった僕も悪いが、
ガイドがチェックアウトの場にいることができれば問題はなかったのに!
物価が思いのほか安かったので、
感覚的には食事代金が含まれているんじゃないか?
という疑念はチェックアウトの時には湧かなかった。
反省。
なにぶんここはインドネシア、日本の常識は通じないところも少なからずある。
ホテルにお金を払い過ぎてしまったということが分かっても、
代理店の立場的には「ああ仕方がないね」で済まされる可能性も考えられたが、
半ば意に反して、ちゃんとした対応をしてくれた。
我々の旅行のコモド・ブロックを受け持った代理店のオフィス |
ガイドのメウスが雇われている会社、
つまりこのたびの我々の旅行のコモド・パートを請け負っている
現地の旅行代理店のオフィスに行き、
そこの責任者であるらしいガンジー似の優しそうなおっちゃんに
レシートを見せつつ事情を説明、そうしたら何とその場で現金を返してくれた。
形としてはこの代理店がプリ・コモド・リゾートの負債を立て替えて僕に返金した、
ということになるので、少しびっくりした。
僕の感覚では、たとえちゃんと返金してくれるとしても
代理店がプリ・コモドからお金を取り返してからになるだろうな、と思っていたので。
まさか肩代わりして返してくれるとは想像していなかった。
まったくステレオタイプの東南アジアのイメージとは違ってうれしい話だった。
ガイドのメウスもやっぱりいいヤツじゃないか、と確認。
もしくは昨日の事で少し負い目もあったのかな。
心置きなくコモド空港へ向かう。
車中、ガイドのメウスは
「フローレス島、ラブアンバジョーはとても平和で住んでいる人も優しく、
自然も美しくて素晴らしい場所である。
今回はここに来てくれてとてもうれしく思う。
ありがとう。
また来てほしいし、日本の友達にもここの素晴らしさをぜひ伝えてほしい」
という主旨のことをとても熱く語っていた。
本当に眼に力を込めて、熱っぽい口調で。
この地を愛する気持ちがこれでもかと伝わってきた。
小さなコモド空港に戻ってきた |
待ち時間、表の売店で虎目石のような鉱物でできた
小さなコモドドラゴンの置物を2つ購入する。
しかしこの空港、セキュリティ・チェックはまるで形式だけで、実質ノーチェックじゃないか。
ついにガイドのメウスと別れてチェックインする。
いろいろあったけど、本当にいろいろとありがとう。
飛行機の座席はフリーだって!
バスみたい。
ロビーでの待ち時間の間、一人旅らしい白人の中年男性としばし話し込む。
彼は今はボルティモアに住んでいるアルゼンチン人で、
何だか話をしているうちにその筋では世界的にも権威のある学者であるらしい、
ということが分かってきた。
彼の名前を訊いてメモしたか書いてもらったかしたはずなんだが、
実に残念なことにそれを紛失してしまった。
いや残念。
専門分野はMolecular Biology(分子生物学)、
ということを控えたメモはあるんだけどなあ…。
東京大学の生物学者であるノナカという教授(帰国後調べたところ、野中勝氏?)と
懇意であるらしく、その関係で日本にも何度か来たことがあるとのこと。
他には伊勢神宮や明治神宮に行ったという話や、
雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」について、それにアルゼンチン人NBAプレイヤー、
エマニュエル・ジノビリの話題などで盛り上がった。
あと、昨日リンチャ島でコモドオオトカゲ観察中に出会った白人若者男性もいた。
話をしてみると若干オタッキーな彼はイギリス人であった。
どこぞのCMではないがこうしてしばしの偶然の出会いと会話を楽しむのも
いわゆる異文化交流、楽しいものじゃないか。
搭乗が始まると、シートフリーなので大阪の通勤電車並み、
とまではいかないが乗客が殺到、ちょっとした席取り合戦となった。
もちろん席数以上にチケットを売ってはいないはずだが。
僕たちは割りと前の方に並んでいたので事なきを得る。
ちなみに帰りの機も往路と同じタイプのプロペラ機で、
4席×14列の56人乗り、座席はほぼ埋まっていた。
そして例によって定刻の10分前にテイクオフ。
早め早めのインドネシア?
機内の軽食は、揚げパンと蒸しケーキが出る。
結構美味しかった。
バリのデンパサールに再び降り立つ |
1時間30分の飛行を終え、無事にバリ島、
デンパサールのヌーラハライ国際空港に降り立つ。
今日から泊まるホテル、
THE BALE(ザ・バレ)からのお迎え人とすぐに合流することができ、
さっそく車に乗ってホテルに向かう。
ここでの迎えは旅行会社のガイドではなく、ホテルからなのである。
ちなみにこの時迎えに来てくれた従業員はヌーラというゴツいおっさんで、
ここの空港の名前にもなっている将軍、ヌーラ・ハライと同じ名前なのだそう。
車に乗っていて思ったのが、圧倒的に運転がソフトだということ。
特に無秩序な運転をするドライヴァーが多いインドネシアにおいては
極端に丁寧な安全運転である。
出さない人が多いウィンカーもちゃんと出すし、クラクションも鳴らさないし、
悪路や狭路を飛ばすこともない。
このあたりも高級リゾートならではの教育がしっかりなされているのだろうな、と感じた。
車はヌサドゥアという名の広大な高級リゾート地区を抜けて走っていく。
区画の外とはまるで別世界のような雰囲気で、ゴルフコースもある。
ザ・バレは4日前の15日に泊まったスカル・ヌサ・リゾートの手前側、
すぐ近くにあるのだが、15日に通った道とはまた違う経路で行った。
20日から23日までバリの有名ホテルの一つで
「PARTAI DEMOKRAT KONGRES」という国際会議が開かれるということで、
道路上には警備に当たる警官やパトカーの姿が目立ち、
場所によっては渋滞していた。
20〜30分ほど走った後、ザ・バレに到着した。
事前にパンフレットやウェブ・サイトなどの資料を見てはいたが、
実際に来てみると本当にゴージャスなホテルだった。
全体に白系を基調としたシンプルな色使いで、
豪奢ながらもプライヴァシーを重視した石造り。
敷地中央に位置するレストランとバーの横には
メイン・プールが澄んだたっぷりと水を湛え、
そのすぐ隣に広がる緑が鮮やかな芝生も実に爽快。
独立したコテージ式の各客室の中も存分にリッチで、
それぞれの部屋ごとに小さなプールが備えられており、
屋外であるプールサイドにも
大きなダブルベッド(部屋の中のものと同じもの!)が置かれている。
まさにちょっとしたカルチャーショックだ。
しかも全20室しかないというのだから、サーヴィスの質も推して知るべし。
そもそも3年ほど前に開業したばかりだとのことで、新しい。
正直、日本でもここまでのレヴェルはそうそうないんじゃないか、と思った。
シンプルかつゴージャスに作られたメイン・ロビーへ至る回廊
各客室へはこの階段を上って行く
敷地中央に位置するメイン・プール
プールの向こうに見えるのがレストラン
独立コテージ式の客室内もまたシックながらも豪奢
なんと驚くことに各客室のテラスにもプールや室内と同じダブルベッドまで備え付けられている
レストランの脇にあるバー・スペース
何気なく眺めていたら部屋の外の外壁の上をサルが歩いていた |
バトラーに部屋まで案内されている途中、プールサイドの芝生の上で独り、
ギターを弾き語っている素足のブロンド白人女性。
客ではなさそうだ、と思っていたが、
後で部屋にあったフライヤーみたいなものを読んでいたら載っていた。
彼女はジェリラという名のヒーラーで、
定期的にこのホテルでヨガやメディテーションやカウンセリングなどを行っているようだ。
いわゆる精神世界の人だな。
ウェルカム・ドリンクの冷たいレモネードで喉を潤し、ようやく部屋で落ち着いたところで、
あまりの別天地具合に少々面食らっていたものの小腹が減っていることに気付き、
さっそくルームサーヴィスを取ってみる。
クラブハウス・サンドィウィッチを頼んで持ってきてもらったが、
予想通りのヴォリュームと一流国際ホテル並みのサーヴィス。
いやはやこれまた。
右奥にはインターネットに接続されたPC まであるライブラリー |
部屋もすごいがずっとこもっていてももったいないので、
軽食を平らげたところで敷地を一回り、散歩に出掛ける。
ロビーの奥の方にあるライブラリー(日本語含む各種書籍が置いてあり、
インターネットにつながったパソコンも使い放題)や、
スーヴェニア・ショップも覗いてみる。
ショップは小さいながらも良質の民芸品などが揃っている感じで、
妻もいくつか気になる品があるようだった。
しかしこういう場所なのでお値段もそれなり。
「高いなあ」みたいなことを言っていたら、案内してくれたバトラーが微笑みながら
「ええ、“ホテル・プライス”ですから。街の土産物店に行けばもっと安く売っていますよ」
だって!
そりゃ分かるけどいいのか? そんなこと言ってて…。
余談ながら滞在中メインで世話になったこのバトラーは、
アラジンの魔法のランプから出てくる魔神そっくりの(見たことないけど)、
満面の笑顔が似合う浅黒い大男。
年はまだかなり若そうだった。
そろそろ陽も落ちる時刻が差し迫ってきて、夕食。
せっかくだから今日は外に出て地元の料理を喰いたいなあ、
ということで、「ブンブ・バリ」という結構有名であるらしいレストランに行くことにする。
フロントに行って、ブンブ・バリに行きたいんだけど、と伝えたら、
すぐに店に電話をして予約をしてくれ、そして車で送ってくれた。
社長気分、王様気分じゃないか!
今回のようにゲストが食事や買い物や観光に行きたい時、
決められた範囲内の近距離であればホテルのスタッフが車で送迎してくれるのだ。
空港に迎えに来ていたヌーラ氏とは違う若者だったが、
例によって車の運転マナーはしっかりしてるし、本当に教育が行き届いている風。
ザ・バレで働いていることに誇りを持っているんだろうなあ、と感じた。
活気付いていた「ブンブ・バリ」のオープン・キッチン |
ブンブ・バリはとてもウェルカム・マインドにあふれた陽気なレストランだった。
いかにも観光客がこぞって訪れる有名店らしく、サーヴィスも心地良くて、
完全オープンキッチンも非常に活気がある。
また、シーズン的にはオフで、これまでもほとんど混雑には遭遇しなかったし
日本人の姿もあまり見かけなかったけれど、このブンブ・バリはほぼ満席で、
その中の3割ぐらいは日本人だった。
オフ・シーンズンにも関わらずほぼ満席の店内 |
BALINESE RISJTTAFELという名称が付けられたバリ料理のフルコースを食べる。
その内訳は、
まず前菜扱いでサテ(シーフード、チキン、ビーフ)とサラダ(これは辛かった)が出て、
その後にチキンと赤玉ねぎのスープ、
そしてメインディッシュとして品数分の小皿に盛り付けられたビーフ、ローストチキン、
ポーク、ラムシチュー、ダックのバナナリーフ包み、魚、野菜などなど。
ほんの数品を除けば辛いものが苦手な僕でも充分に美味しく食べられる
絶品コースであることに間違いはなかったが、いかんせんものすごいヴォリューム!
注文する時、メニューには“メインディッシュ”として上記の全料理が記されていたので、
てっきり選択制だと思って選ぼうとしたら笑顔満面のウェイターに
「ゼンブデテキマース」と言われてたまげた。
少しずつだとしてもメチャメチャ多い!
腹一杯過ぎ。
いくら美味くてもあれはちょっと完食できなかったな…。
ちなみにライスは白米、赤米、黄米の3種が付き、
ドリンクはバリネーゼ(パイナップルジュースとココナッツ)と
アイランドサーファー(マンダリン&パイナップルジュースとライム)という
カクテルを飲んだ。
とても美味かったけどなにせ量が多過ぎ…
写真上はサテとサラダ、下は小皿に盛られたメインディッシュたち |
はちきれそうな腹を抱えながらレストランからホテルに電話をかけ、
往路と同じく迎えに来てもらって帰る。
部屋に戻ると、夜だというのにすでにベッドメイキングなどもろもろ終えられており、
きれいに整えられていた。
やっぱり日本以上の至れり尽くせりサーヴィス。
ホテルに戻るとポツネンとロビーで民族楽器の生演奏が行われていた
一般のリゾートホテルのようににぎやかな雰囲気の中ではないから少し不思議… |
備え付けのアロマなど焚きながら広大な風呂に入る。
昨日までの「プリ・バグース・コモド」とはえらい違いだ、この王侯貴族気分は。
ライブラリ・スペースにちょこっと行ってインターネットなど少しだけして、
23:00過ぎ頃には眠りに就く。
明日はいよいよダイヴinバリ、起床は早い。
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