第6日
2003年1月9日(木)
マサイ・マラの夜明けは決して日本では見ることのできない幻想的な光景 |
この日も夜中、頭痛、鼻水、喉の痛み、咳によって悩まされるが、
昨日、おとといに比べて目を覚ます回数は少し減った。
いつも通り5:15に起床し、6:00出発で朝のゲーム・サファリへ。
今日のゲストは我々2人だけ、ジェイムズと3人のドライヴだ。
恐らくおととい最初にチーターを見た場所と思われる辺りで、
トボトボと独り歩くメスライオンに出逢う。
時々立ち止まりながら、それでも一定のペースで歩を進めていく。
これもひょっとしたらハンティングの獲物を探しているのかも、
と思いまたジェイムズに訊いてみたが、
恐らく仲間のライオンを探しているのだと思う、という答え。
無事逢えたらいいね。
仲間を探し求め、朝陽を浴びて独り歩くメスライオン |
その後、右手に見える丘のかなり上の方まで車を乗り入れ、そこで車を降りて一休み。
ここから見下ろすマサイ・マラの平原、どこまでも雄大である。
こんな景色をこの目で見るのは初めてだ。
しかし。
とても美しく、とても雄大なんだけれど、
その景色をこの目で見ているその瞬間にも感じていた、
テレビか雑誌の1シーンを見ているかのような錯覚に近い気持ちは
最後まで拭い切れなかったな。
まったく貧しいことだ、都会に住む日本人。
車の外で佇んでいる間、逃げていく数頭のハイエナやジャッカルたち、
そして食事に勤しむヘビクイワシ Secretary Bird を見ることができた。
足で草むらを踏みつけ、飛び上がってきたバッタを食べているヘビクイワシ |
和名が“蛇喰い鷲”、英名がSecretary Bird 、すなわち“秘書鳥”と、
まったく対照的なイメージの名前を持つこの鳥、和名はその名の通り、
マングースなどと同じようにヘビを食べる習性を持つことから付けられており、
英名の方は“歩き方が秘書がハイヒールで闊歩する様に似ている”
と喩えられたことに由来しているという説と、
“そのトサカが秘書が使うペンの羽飾りに似ている”から、
という説の2つを聞いた。
果たしてその真相は。
我々が見たこの時はヘビではなく、
その優雅なおみ足でバシッバシッと草原を踏みつけ、
それに驚いて跳び上がってきたバッタを一心不乱に食べていた。
3人だけのドライヴだったせいか、
いつもよりもより一層のどかな雰囲気に終始したゲーム・サファリを終え、
ムパタに戻ってロッジで初の朝食を食べる。
これまでバルーン・サファリやロング・ゲーム・サファリで
その機会がなかったからね。
前に書いたように、クロワッサンやトーストなどのパン類と、
スープ、シリアル、フルーツの盛り合わせ、
オムレツや目玉焼きなどから選べる卵料理にソーセージorベーコン。
結構なボリュームで、味ももちろん文句はない。
気分までリッチになるかのような優雅なブレックファストである。
野外の“バブーン・バー”でくつろぐ |
天気もよかったし時間もあったので、
バブーン・バーでジュースを飲みながらくつろぐ。
ホテル内のギフト・ショップで購入した
マサイ・マラのガイドブックなどを眺めながら。
ユカリンは結構お疲れのようで、完全日焼け防備の上で昼寝をしていた。
俺も結構焼けたみたいだ。
その後、室内の図書室、
プールサイドなどに場所を移しつつゆったりとしたアフリカの時の流れを楽しむ。
ここまで触れることを忘れていたが、ここムパタ・サファリ・クラブには
ロビーの横にソファーを設置したライブラリ・スペースがある。
その蔵書は洋書はもちろんだが、日本語の書籍の数も相当なものだった。
洋書と同等か、それ以上あったかも知れない。
それもアフリカや動物に関するもののみならず、
雑誌や文庫本、新書など多岐に渡っていた。
加藤さんなどの日本人スタッフが帰国した時にまとめて持ち帰ってくるのかな。
また、ロッジの敷地内を移動する時などに時折、
ロック・ハイラックス Rock Hyrax なる可愛らしい小動物を
目にすることがあった。
これは日本語ではイワダヌキという動物だそうで、
見た目はウサギか何かの類かな、という感じなのだが、
何と生物学的に一番近い動物はゾウ、だそう。
ビックリ。
ウサギかリスのようなかわいい小動物 ハイラックス |
ブッフェ・ランチをとって、食い過ぎて胃薬飲んで、午後のゲーム・サファリ。
今日はマサイ村訪問に行くので、いつもより30分早め、14:30の出発である。
新婚旅行と思しき日本人カップルとともに。
特に男性の方が非常に生真面目そうな人で、
奥さんを呼ぶ時も○○ちゃん、と呼んでいた。
これは余談であったか。
マサイ村へは途中からこれまで行ったことのない道を通って行った。
村の入り口に着いたが、ジェイムズは車のところで待っているみたいだ。
マサイ村ではモセス Moses という名のガイド役の男性が1人と、
長老、それともう1人ぐらいが最初に出てきたが、
我々4人の相手をするのはほぼモセス。
マサイの暮らしぶりを説明する際に
「They normally 〜」という言い回しを好んで使う、
なかなかに文明かぶれした感じのマサイであった。
村の名前はハード・ロック・ヴィレッジ Hard Rock Village というらしい。
モセスの指差すところを見るとなるほど、
この村の象徴のようにデーンと巨大な岩が鎮座しておる。
村に入る前に、村人たちの集会所となっているらしい井戸端、
それからこの村の小さなモデルとしての意味合いを持つ、
その人員構成などを簡単に表している直径2メートル弱ほどの、
木の枝で組んだ円陣などについて説明を受ける。
同席のカップルと写真の撮り合いなどをしながら。
ここまでで30分近くは経っただろうか、
いよいよ村の中へと足を踏み入れていく。
出迎えてくれたマサイの女と子供たち |
村の中では女性、子供が10数人ほど横一列に並んでおり、
我々が入っていくと歓迎の歌を披露してくれた。
物珍しいのでそれなりにウォッと思いはしたが、
極めて儀礼的、形式的なものであるような感じだった。
歌が終わるとクモの子を散らしたように、
あっという間に奥の方の住居スペースに引っ込んでいってしまった。
でも写真を撮る時に、女性であるユカリンの首に首飾りをかけてくれたな。
その後、ついにクライマックス(ボクの中で)のマサイ住居潜入、そして見学。
むちゃくちゃ狭い、幅、奥行き、高さともに。
立つことはおろか、中腰でいるのも辛いほどだ。
立つこともできないマサイの住居の中でモセスとともに |
それに昼の最中だというのに相当暗い。
外光を採り入れるというような発想はそこにはまったくないか、
あっても甚だ希薄なようだ。
そして奥、といっても入ってすぐそこなのだが、
枝で作られた格子戸の向こうには家畜であるウシの仔が飼われていた。
マサイは一般には勘違いされているような節もあるようだが、
狩猟は行わない。
槍を持った出で立ちで有名な戦士たちはハンターではなく、
特に夜間、村をライオンやヒョウ、
チーターといった猛獣の襲撃から守るガーディアンなのである。
彼らはウシやヤギなどの家畜を多数飼育している遊牧民である。
農業も行わない。
作ってもマサイの土地ではたちまちバブーンなどの野生動物に荒らされてしまい、
どうしようもないそうだ。
野菜を食べぬ代わりに家畜の乳や生血をよく飲み、
それでビタミンやミネラルの不足を補っているということだ。
マサイの家から出ると、
服や靴が住居の材料として使われている牛糞らしき柔らかい物体にまみれておった。
あまりありがたくない方法でマサイ生活を実感してしまった。
その後、
外で長老たちによる火起こしの実技を見せてもらったところで一通りの見学を終え、
先ほどマサイ・シンガーズが消えていった住居スペースらしきところへ案内された。
いよいよ見学コース最後のアトラクション、
マサイ手作りアクセサリーの展示即売会である。
まあせっかくだし値段によっては1個といわず、いくつか購入してもよいかな、
お土産にもなるし、と思っていたのだが、
初めに目に付いたキーホルダーの言い値を聞いてビックリ、何と10ドルとのこと。
そりゃネーヨってことで、もちろん交渉で下がることは下がるのだが、
それでも4ドルまで。
3ドルならば買おう、という我々の意思とはついに交わることはなく、
購入は見送りとなった。
だが。
あとでムパタに戻ってギフト・ショップを覗いてみて分かったが、
何とムパタの方が高かった。
同様の商品が確かドル換算で5〜6ドルほど。
こりゃあマサイにちょっと悪いことしてしまったかな?
連れの日本人夫婦は、バッグのようなものを買っていた。
去り際、モセスが「日本に帰ったら写真を送ってくれ」と言ってきたので、
彼の名前と住所を書いてもらった。
近くの観光客向け宿泊施設、
キーチュワ・テンボ・キャンプがその宛先となっていた。
彼は電話番号まで記入していた。
この電気もガスも水道もない、
家の壁さえ牛糞や泥で作られている原住民の村をガイドしてくれた
そこの住人が書いたものとして、それは何だか少し奇異な感じがした。
いや、決して否定的なニュアンスではないんだけど。
まず、字を書くことができる、というだけでも驚きなのにね。
もはや近代文明の影響の及ばない地はこの地球上にはない、
ということは頭では分かっているんだけど、それでも何だか不思議な気分。
でもそういえば加藤さんも、
今マサイの間で流行っているのはトタン板で作った家だ、と言っていた。
何かピカピカしてて彼らの見たことのない素材だから人気なのだそう。
マサイ村の家並の様子 |
このマサイ村訪問は、
各キャンプが然るべきルート(もちろん金銭の授与を含む)を通して
マサイに依頼しているオプショナル・ツアーなので、
我々参加者がマサイの人々や住居などの写真を撮ることは
すべて認められていたが、そうでない場合、
例えば通りすがりなどでマサイの写真を撮ることは原則、ご法度である。
カメラは人の魂を抜き取る、という古来よりの迷信が生き残っているのか、
それとも無断で人の写真を撮るとは失礼だ、けしからん、
という発想からなのかは分からないが、
とにかく勝手に写真を撮ってはいけないと、
我々もガイドやホテルのスタッフからもこれまでに再三言われてきた。
もしどうしても、今回のようなツアーに参加することなく
彼らの写真が撮りたいのであればその旨申し出て、
その上で、発生する料金の交渉をしなければいけない。
実際に一昨日、午後のゲーム・サファリの帰り道、
今回我々が行ったのとは別のマサイ村の前を通りがかった時に、
イヴォンヌとガブリエラが「彼らの写真を撮りたい」と言い出し、
ドライヴァーのジェイムズが仲介して交渉、
写真1枚につき200ケニア・シリング(約320円)で話がついて、
写真撮影を行った、という出来事があった。
地獄の沙汰も金次第。
ちなみに金を払おうが何をしようが応じない、
ある意味誇り高いマサイも中にはいるようだが、今ではごく少数のようだ。
サファリ・カーのルーフから顔を出す |
ジェイムズお待たせ、16:30頃になっていたか、マサイ村見学を終え、
ようやく午後のゲーム・サファリにその行動を移す。
ナクル→アンボセリ→マサイ・マラというコースでやってきていた
連れの日本人カップルはまだライオンを見ることができていないそうで、
ジェイムズはそのリクエストを聞き入れてくれた。
「チョットトオイ」と言いながら、
ライオンがいるであろう場所へ一目散に車を走らせる。
この辺かな、この辺かな、と思いながらワクワクしていると、
急に左手の草原に車を乗り入れたジェイムズ。
そしてすぐに車を停め、「ココ、ライオン」。
停めた車のすぐ右脇では、恐らく最初に見たものと同じであろう、
ライオンのペアが昼寝をしていた。
しかし今さらながら、ガイド・ドライヴァーの嗅覚というか、
視力なのかカンなのか経験なのか、多分そのどれもなんだろうが、
動物を見つけるその能力にはただただ感服、凄いとしか言いようがない。
それも車を運転しつつだからね。
このライオンの発見も、
大体の場所は他車からの無線情報で見当はついていたのだろう、
ということは想像できるが、このキュキュッと入ってキュキュッと停めて、
「ココ」、というのは何なんだろう。
この時近くには、ライオンを見物しているほかのサファリ・カーもなく、
また割と草丈の高い場所でライオンは横たわっていたので、
ドライヴァーの視点からその姿を捉えることはほぼ不可能に近かったはずだ。
う〜む、不思議。
また、この頃には我々はもう大分このドライヴァー、
ジェイムズのことが好きになっていた。
若く威圧感のないその風貌、
恐らく当地ではなかなかの男ぶりと思われるその容貌、
無駄口を叩かず黙々と、着実に自分の責務をこなすその真面目さ、
何よりガイド・ドライヴァーとしての信頼感。
うーん、いいヤツだ。
ライオン・ペアを見ている頃からかなり激しい夕立が降り出し、
時間も大分遅くなっていたので真っ直ぐムパタに戻る。
マサイ・マラでの滞在もいよいよ明日まで、
明朝のゲーム・サファリが最後のそれとなる。
連れの人たちとも話していたのだが、
できれば明日は幻と言われるヒョウが見たいなあ、
何て軽くお願いとかもしてみたりして。
保護区からホテルへの道程にはシマウマがよく現れる |
個体数でいうと、絶滅の危機に瀕しているとも言われているチーターの方が
遥かに少なかったりするんだけど、
ヒョウを見ることが難しいのは何よりその習性によるところが大きい。
彼らは夜行性で、ハンティングをするのは決まって暗いうち。
それ以外の時間はブッシュの中の人目につかないところや、
ブッシュ近くの樹上で休息をしているそうである。
また彼らは非常に警戒心が強く、他のプレデター(捕食者)たちとは違って、
車など、人の気配にも非常にセンシティヴなようだ。
それゆえに、ヒョウと出遭うのはかなりレア、加藤さん曰く、
ゲーム・サファリで目撃することができるのは大体月に1度ぐらい
の頻度だそうだ。
見れたらいいね。
対してチーターは、昼行性の上に、
特にここマサイ・マラに生息しているものは人や車に慣れているため、
コンタクトしやすいということだ。
ディナーの前に、ギフト・ショップでお土産をまとめて購入する。
コーヒーやマグネット、鍋敷き、ワインコルク、栞などなど。
それに自宅用の何か絵みたいな壁に貼るヤツ。
探して探してチーターと思われる図柄のヤツにした。
黒を基調とした、一見オドロオドロしいベタッとした画風だ。
この種のタペストリーとしてはよく見られるようなテイストのものなのかも知れない。
お土産を買っている時、
スタッフの女性に「今度日本にも遊びに来てよ」という風なことを
まったく何も考えずに口に出したのだが、
「遠いし高過ぎるから」と笑いながら彼女は言った。
そうなのだ、いくら観光産業で定職に就いているとはいえ、
やはり一介の庶民が日本くんだりまで飛ぶ交通費を捻出することは、
我々の想像以上にこの国では至難のことなのだ。
ハッとさせられ、
バックボーンが違う人たちと話をする時はもっと言葉を選んで話す必要がある、
ということを身を以って教えられた一瞬だった。
少しだけ、恥ずかしかった。
夕食をとり、コテージに戻ってできるだけの荷造りをしてしまって、
シャワーを浴びて、22時頃だったかな、床に就く。
来る前は、長いだろうなあ、退屈しないかなあと
まったくいらぬ心配をしていた滞在もあっという間に最後の夜。
もっといたいよぉ。
次の日
前の日
|