海洋空間ケニア旅行記



第3日
2003年1月6日(月)


7:00起床。
目覚めは良し。
夕食をとったレストランでブッフェ・スタイルの朝食。
ごく普通の洋風ブレックファストであったが、全体的な味付けはかなり辛め。
青唐らしきスパイスが入っているみたいだ。
朝食後、少しホテルをぶらついて、プールサイドで写真を撮ったり、
勇気を出してホテルの前でパチリパチリと何枚か撮ったりする。

ホテル前からウフル・パークを撮る
勇気を出してホテルの向かいにあるウフル・パークを撮る
公園の中も危険ゆえに入ってはいけないと言われた


9:00、ガイドのイコニさんとロビーで集合、チェック・アウトして出発
20分ほどウィルソン空港という、小さな飛行場に到着。
ここからは国内便、小型セスナで移動である。
この飛行機は、積める手荷物が一人15キロ以内と定められており、
それをちゃんと量るらしい、という事前情報を掴んでいたのでやや心配だったが、
2人合わせて30キロを少しオーヴァーしていたにもかかわらず、ノー・プロブレム。
アフリカ式思考法バンザイ。

出発まで若干時間があったので、イコニさんと写真を撮ったりする。
そして定刻11:0048人乗りのエア・ケニア、テイク・オフ。
イコニさん、また4日後ね。

エア・ケニアに乗り込みマサイ・マラに向かう
セスナ機に乗り込みいざマサイ・マラへ

そうか、4日なんだな。
今思い返すともっと長い間マサイ・マラに行っていたみたいだ。
まあそれは置いといて、待合室にいた乗客もほぼ白人だったが、
我々の乗り合わせた飛行機の乗客も、ボクたち以外皆白人
そういえば昨日泊まったインターコンティネンタル・ホテルでも、
日本人らしき人物はまったく見なかった。
海外旅行とはこうでなくっちゃ。
付け加えるならば、黒人に囲まれているよりも白人に囲まれている方が、
心理的には幾分ラクである。

この飛行機はマサイ・マラ方面へ飛んで、そのあとまたナイロビに戻る便であるようだが、
マサイ・マラでも何回か降りるらしく、
我々の降りるべきはキーチュワ・テンボ Kichwa Tembo というところのようだ。
ちなみにキーチュワ・テンボは“ゾウの頭”という意味だそう。

飛ぶほどに眼下に広がる風景はいわゆるサヴァンナ、のものになってゆく。
おそらく家畜であろう、ウシやヤギの姿が見えるだけでもワクワクしようというものだ。

50分ほどの飛行を終え、我々の降りるべき地、2つ目の駅であるキーチュワ・テンボに到着。
そこは飛行場というイメージとはまったくかけ離れ、
単に原っぱの草を刈って作った土の滑走路らしきものがあるだけだった。
こんなとこでも滑走して離陸できるもんなんだな、セスナ機は。

何とも不思議なこの光景
悠々と草を食んでいるアンテロープたちと、その中に降り立ったセスナが織り成す不思議な光景

途中着陸態勢に入ったところで私が立ち上がって
スリムな黒人スチュワーデスに怒られたことは内緒なのだ。

ぬおお、ここがマサイ・マラの大地か。
と感慨に浸るのも一瞬、我々の宿泊予定地、
ムパタ・サファリ・クラブ Mpata Safari Club からの迎えの人、
サムソン Samson と接触、事なきを得る。
機はこれから帰るのであろう邦人観光客と思しき一団を含む幾人かの乗客を乗せ、
再び飛び立っていった。
この機で到着したムパタ・サファリ・クラブの客はボクたちのほかに、
オーストラリアンであるらしいおっちゃん1人であった。
セスナを見送った後ほどなくして、我々3人のゲストを乗せたランド・クルーザーは
サムソンのドライヴで、ホテルへ向かって走り出した。

30歳代と推察される礼儀正しいアフリカン、
サムソンは驚くべきことに日本語を話すことが出来た
来日経験はないとのことだが、ナイロビの日本語学校で学んだらしい。
ムパタ・サファリ・クラブには日本人スタッフも常駐しているらしいので、
それも幸いしているのだろう。
ここでふと思ったのだが、この国において日本語が使えるというスキルは
まさにエリートへの特急券、確実に高収入が約束される技能なのだろう。
脳裏に浮かんできたのは、前日からナイロビ市内の至るところで目にした、
何をするでもなくボンヤリとたむろしている、いい大人たちの姿であった。
恐るべし、アフリカ…。

ホテルまでの道のりは、飛んだり跳ねたりの悪路、まさにオフロードをうねりつつ、
見渡す限りのサヴァンナ地平線の中、山を登り川を越えて進んでいったが、
早くもいくつかの鳥類やインパラなども姿がすぐ脇に見え、いやがおうにも興奮は高まる。
オーストラリアンともにルーフから顔を出しながら、
束の間の、そして言ってみればこれが初めてのゲーム・サファリであった。

ホテルに大分近づいたところ、とあとで分かったのだが、
アカシア林に囲まれた、これまでの登坂路に比べれば相当になだらかになった道上に、
マサイ・マラに降りて最初のクライマックスが現れた。
オーストラリアンの指差す前方を見てボクはド肝を抜かれ、ユカリンはギャーと奇声を発した。
本来人や車が通るべき、その道路というものの延長線上に一頭のキリンがいたのである。
道の上にキリン、だ。

突如眼前の路上に姿を現したマサイ・キリン
行く手の道の上に悠然と姿を現したマサイ・キリンに欣喜雀躍

まるで野良猫か野良犬のように、それはゆっくりと道を横切っていった。
サムソンがその脇に車を停めてくれる。
しばしの間、心奪われて見呆けていた。
そしてその直後、同じ場所に生息しているらしいシマウマの一群も目にするのであった。
ザッツ・マサイ・マラ。

興奮状態覚めやらぬままに車はゲートをくぐって、ムパタ・サファリ・クラブに到着。
キーチュワ・テンボ飛行場からは30〜40分ほどの道程であった。
事前に資料などを見て思い描いていたよりも遥かに美しく、
遥かに優雅なロビーでウェルカム・ジュースに喉を潤し、チェック・インを済ませる。
ここで渡されたルーム・キーにまたビックシ。
キーホルダーとして、マサイが使うという棍棒、クラブがついているのだ。
キーホルダーがキーの何十倍も大きい。
アフリカ的発想バンザイ。
しばしの間(本当にしばし)、そのクラブはすこぶるボクの興味の対象となったのであった。

リヴィングでキーホルダーを手に
右手に持っている棍棒の先に小さなルーム・キーが付いている


部屋は1棟ずつのコテージとなっており、我々のコテージは7のスウィートである。
入ればまずはカウンター・テーブルと、いくつかのソファーが置かれたリヴィング。
そしてその奥にはベッド・ルーム、そのさらに向こうにはクローゼット、
バス・ルームと続いている。
テラスに出るとそこにはジャグジー、
そして眼下には広大なマサイ・マラの大地が広がっている。
壮観かつ贅沢なり。
このロッジは保護区からはかなり登ったところ、
オローロロ Oloololo の丘の上に立っているということだ。
そしてこれも後に知ったことなのだが、マサイ・マラの“マラ Mara ”とは、
点在する”という意味の言葉であるらしい。
このテラスから保護区を見渡すと、大樹がポツリポツリと、
幾分かの隙間を空けながら生えているさまがまさに“マラ”状態だということがよくわかる。

ムパタ・サファリ・クラブからマサイ・マラの大地を望む
ムパタ・サファリ・クラブから望めるマサイ・マラの広大な大地


ポーターにチップをあげて帰ってもらってから、
当然のようにキャッキャとはしゃぎながら我々に与えられた空間を一通り見て回る。
テラスや玄関の外には20センチほどのトカゲ
全身茶色のものと、体前半分が赤、後ろ半分が青に分かれたカラフルなものの2種類いたが、
それらが頻繁に見受けられた。
こいつらはアガマトカゲ Agama Lizard という名前のトカゲだということが、帰国後判明。
茶色いのと赤青のヤツは別種ではなく、前者はメスで後者はオスだということだ。
捕まえようとしたがまったくムリな上に女性従業員に笑われた。

ちょっと毒々しいオスのアガマ
ちょっと毒々しいカンジ オスのアガマ


少し落ち着いた後、吹き抜けの美しいレストランへランチに赴く。
テーブルは基本的に滞在中は同じところのようで、そこにはゲスト名が書かれた札と、
日本人向けのサービスなのか、特選丸大豆しょうゆが置いてあった。

開放感溢れるレストラン
吹き抜けが気持ちよいレストランをバックに


食事はオーソドックスなフレンチをベースとしたもののようで、
日本人シェフ・三国清三氏が監修したというのもなるほど、まったく違和感のない味、
食事だけとればともするとケニアにいることを忘れてしまうかのようであった。
付け加えると、ここムパタ・サファリ・クラブ日本企業が経営しており、
東京にもオフィスを構えている。

この時のメニューは確かビーフ・ストロガノフポーク・ピカタだったかな。
パンも熱くてやわらかくてうまい。
一つ一つのメニューを記していなかったのでまとめて思い出せる範囲で書いておくと、
朝食のメニューが、パンシリアルフルーツ卵料理
それにソーセージベーコンがつく。
昼食が前述の2種のほか、白身魚ターキー
そしてローカル・フードのブッフェの日もあった。
ヤギ肉イモハムなどを使った料理が並んでいたように記憶している。
アフリカでは代表的な主食の一つだというウガリ Ugali もあったな。
夕食白身魚ターキービーフチキンラムなど。
あとすべてにデザート(ブレックファストを除く)とコーヒーティーがつく。
デザートも綺麗にデコレーションされ、ソースもかわいくかけられていて、
さすがの五つ星、といったところか。

従業員も皆笑顔と「ジャンボ Jamboの挨拶が気持ちよい、
よく教育された人たちであった。
こういうところにも、
外国人相手の観光産業というエリート職(恐らくは)に見事選抜されている彼らの適性と、
またその要職に従事しているのだという彼らの誇りを垣間見ることができる。

ランチの終わりがけ、レストランの外に、
走って逃げていく数匹のバブーン Baboon (ヒヒ)が見えた。
急いでカメラを手にし外に出て、何とかその姿を収める。
ヤツらの生息地は人間のそれと重なっているようで、
食物を求めてよく近くへやってくるようだ。
サルの類はどこでも似たようなものなのかも知れんな。

逃げていくバブーン
慌てて逃げていくバブーン


昼食を終え、15:00からいよいよプログラムに定められた初のゲーム・サファリ
ドライヴァー兼ガイドはこれから長い付き合いになることになる、
ジェイムズ・ンジュグナ James Njuguna
同乗のゲストは我々2人のほかに、イヴォンヌガブリエラという2人の白人女性
40代ぐらいのおばちゃんたちで、ドイツ系のスイス人ということだ。

ムパタは前記の通り、丘の上に位置しているので、
保護区へ立ち入るのに30分ほど山道を下って行かなければいけない。
そして辿り着いたオローロロ・ゲート

オローロロ・ゲート
マサイ・マラ国立保護区への入り口、オローロロ・ゲート

ゲートの前ではマサイの人たちがアクセサリーなどを並べていたり、佇んでいたり。
ゲートをくぐって、いよいよマサイ・マラ国立保護区へ潜入だ。

保護区内に立ち入ってそう時間も経たぬ頃、
単独で食事中の1頭の大きなオスのアフリカゾウに接近遭遇。
最初ということもあり、もうとにかく感動である。
小さな頃から動物園などで慣れ親しんでいるはずのゾウ、
その何気ない姿にここまで心動かされるとは。
さすが野生。
ただ、その個体は20〜30歳ほどと思われる
(アフリカゾウの寿命は約60年)と後に説明されたように、
かなり巨大な一頭であったのだが、
その場では周囲の大自然のあまりの広大さに圧倒されてしまい、
「あれは小さい方なのか?」と質問してしまったほど。
言われてみればなるほど、立派な牙をお持ちである。
それほど、いかに地上最大の生物とはいえ、
サヴァンナの大地の上ではちっぽけな存在であることよ。

最初に目にしたオスゾウ
保護区に入って最初に遭遇した大きなオスのアフリカゾウ


ここのガイド・ドライヴァーたちは無線を駆使して
互いの情報交換をリアルタイムで頻繁に行っているようで、
どうやらライオンがどこかにいるという情報がわれわれのドライヴァーに入ったみたい。
バッファローダチョウ
アンテロープ Antelopes (レイヨウの仲間の総称)の類はいつでも見ることができるが、
ライオンを見るチャンスは毎回は巡ってこない」とのセリフを残して、
それらのポピュラーな野生動物たちを素通りして、
一目散にライオン目指してジェイムズは車を走らせる。

発見。
既に2台ほどの車が止まって観察をしていたそこには、ライオンの夫婦がいた。
そして何ということか、我々が到着した時、彼らは交尾に勤しんでいたのだ。
到着したらすぐに止めて寝ちゃったけど。
なかなかに貴重な瞬間を目撃することができたと言えよう。

ライオンのペア
我々の存在などまったく意に介さない様子のライオンのペア


最初のゾウの時もそうだったし、この夫婦ライオンの時もなのだが、
ここの車はかなり近くまで動物に寄ってくれる
距離にして3メートル、ともすればそれ以内といったところまで寄ってくれるのだ。
これも後で知ったことなのだが、ここマサイ・マラ
オフロード・ドライヴィングがある程度可能な数少ない国立公園・保護区の一つで、
そのためなのだそう。
お隣、タンザニアセレンゲティ国立公園などは、
サファリ・カーが道を外れることは許されていないので、
その範囲で観察するしかないそうだ。
結果オーライとはいえ、ラッキーな選択であったな。
よってここマサイ・マラの動物たちは車に慣れているせいなのか、
ライオンにしてもゾウにしてもまったく人間の存在を気にしない
至近距離で数台の車に取り囲まれていても、
ライオンは何事もないかのようにデンと横になって休息を続けているし、
ゾウもその旺盛な食欲を満たすための間断なき食事行為をまったくやめようとしない。
初めに、我々の抱く野生動物のイメージとはかけ離れた、
それらのあまりに無防備ともいえる姿を目にした時は正直驚いたものだが、
これも彼らの本能とカン、そして経験によって、
こうして見ている人間たちは自分たちの敵ではない、と判断してのことなのだろう。
そしてこれはさらに、
そういった無防備な姿をさらす動物たちは生態系ピラミッドにおいて上位に位置する、
つまりその捕食者がいない動物たちに限られていたようにも思うので、
自然界における自らの強さを十分に認識しているからなのかも知れない。
他の動物たちの食糧となりうるアンテロープイボイノシシシマウマなどは
一定の距離以上には車を近づけようとはしていなかったからね。
彼ら草食動物たちが保っていたその距離は、
自分たちを捕食し得る肉食動物たちに対する安全確保距離と恐らく同じなのだろうと思う。

ちなみにライオンを観察中、万に一つの期待を込めて
降りてもいいか?」とジェイムズに聞いてみたら、軽く一笑に付されてしまった。

ライオンにしばし見とれた後、ザァーッと激しい雨が降り出した
この時期は小雨季から乾季に入ったところのはずだが、
まだ小雨季の名残が残っているようで、
大体毎日これぐらいの時間に夕立が降るとのことだ。

雨中の帰途、前方道路のかなり近くにバッファローの大群を発見。
近くに車を寄せてさあ見よう、という時に、
降雨のため閉めていたルーフを開けようとしたボク、バタン!とかなりの音をたててしまい、
バッファローの大群は驚いて遠くへ逃げてしまった。
同乗の、そして後続車にお乗りの皆さん、ごめんなさい。

バッファローはジーとこっちを見る
一様に同じ表情で身じろぎもせずこちらを眺めているバッファローたち

また、この時は
マラ・セレナ・ロッジ Mara Serena Lodge という有名な宿泊地の近くに来ていたらしく、
保護区内の丘の上に佇むその建物を見上げることができた。
後でガイドブックを見て知ったが、このロッジはその眺望の良さが特筆ものだそうだ。

この初のサファリ・ドライヴで見た動物たちは既出以外では、
ウォーターバック Waterbuckホロホロ鳥トムソンガゼル Thomson’s Gazelle
ハーテビースト Hartebeest などなど、順不同。
雨に降られたにもかかわらず、行く前は少し長いんじゃないか、
とさえ思っていた3時間のドライヴはまさにあっという間のことだった。
そしてこれは最終日までのゲーム・サファリを通じて言えたことである。
退屈することまったくなし。

ムパタに戻って夕食
ターキーラム。何としょうゆ的な味付けであった。
ケニアは全体に標高が高いところに位置しており、
ナイロビ約1,700メートル
ここムパタ・サファリ・クラブに至っては1,900メートル近い
それゆえ、赤道直下ながらも朝晩の冷え込みは激しく
ちょっと暖かい日本の冬、ぐらいまで気温は下がる。
だから夕食時には各テーブルの脇に、
石炭を積み上げた火鉢のようなスタンド式のストーヴが置かれた。
まさかケニアでストーヴに当たろうとは。
ちなみに昼間も直射日光はさすがに強いが、
湿気は日本の夏のそれとは比べものにならないほど低くて過ごしやすく、
日陰に入ってしまえばとても気持ちが良い。
同じケニアといっても、沿岸部のモンバサなどは高温多湿、
熱帯に近い気候であるようだ。

レストランに置かれたストーブ
レストランのテーブル脇に置かれた
ストーヴに当たる


部屋に戻って、せっかくなのでテラスのジャグジーにも入ってみることにする。
持参した水着に着替える。
お湯も適温、泡もほどよくブクブクと、
何よりも日常から遠くかけ離れた風景に囲まれている中、しばし至福の時を過ごす。
残念ながら空には雲が多いようで、満天の星空は翌日までお預けになったけど。
まさかケニアで露天風呂に入ろうとは。

各ベッドには寒さ対策のための湯たんぽがセッティング済み。
冷え性のユカリンには重宝されたようだが、ボクは別にいらんかったな。
明日も早い、今日も22時頃就寝



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