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運動が苦手で、体を動かすこともあまり好きではなかった私がなぜかすっかりハマってしまい、
仕事を辞めてインストラクターの道に突入までしてしまった、ピラティス。

2004年1月、慣れないデスクワークによって人生初めての肩こり・腰痛を患い、
「このままではヤバい、何かせねば」と思ってピラティスを始めました。
通い始めて半年ほどで肩こりと腰痛がなくなり、
体重はほとんど変わらないまま自分の体型がみるみる変化していったことで、すっかりその魅力にとりつかれてしまいました。
「なぜピラティスをするだけでここまで変わるのか?!」、
それが知りたくて、翌年インストラクター養成コースに参加。
そこには、「なるほど!!!」と思う答えがたくさんありました。
そして、自分が体験して感動したことをたくさんの人に伝えたい、この喜びを共有したいと思い、インストラクターの道に。

2009年から不妊治療に取り組みました。
専門の病院にお世話になり最新の治療を受けるものの、心も身体もバランスを壊してしまい2013年末に不妊治療を卒業。
現在は夫と仲良く2人暮らし。
不妊治療を経験することで、たくさんのことを学ぶきっかけを与えていただきました。
本当に心と身体は繋がっていて、どちらか一方がバランスを崩しただけで悪いスパイラルに陥っていくのだと。
既に行っていたピラティスで身体のバランスを整え、心も軽くなるということを感じていましたが、
それだけではどうにもならない心の深いところにあるバランスをなんとかできないか、と思っていた時にボディートークと出会いました。
それまで自分ではどうしようもなかった、心の中のこんがらがった知恵の輪を解くきっかけを与えられたように思います。
きっかけをもらうことで自らの自然治癒力が機能し始めたことを実感して、2014年、ボディートークを学ぼうと決意。

ピラティスとボディートーク、まったく違うジャンルのもののように見えるかもしれませんが、
どちらも哲学であり、生まれながらに持っている自然治癒力を活かすようになれ、生命力をアップさせられるものだと感じています。

2004.1 慣れないデスクワークにより、人生初めての肩こり・腰痛を発症。
2004.11 ピラティス教室に通い始める。
肩こり・腰痛がなくなり、姿勢・体型が変化し始める。
2005.10 「ピラティススタジオMOMO」のインストラクター養成コースに合格。
2006.3〜2012.3 「甲南山手カルチャーセンター」にて講師を務める。
2007.3 「ピラティススタジオ B3」のSTOTT PILATES® 認定IMPコースに合格。
2007.12 ピラティスに専念するため、派遣社員を辞める。
2008.8 「ピラティススタジオ B3」のSTOTT PILATES® 認定IRコースに合格。
2008.10〜2011.12 「NPO法人 元気ショップ・身体からだ」にて講師を務める。
2008.10〜2012.12 「よみうり文化センター 千里中央」にて講師を務める。
2008.12〜現在 「あおいキッズスクール」(現「りょくち さくらさく ほいくえん おやこひろば」)にて講師を務める。
2009.2 「ピラティススタジオ B3」のSTOTT PILATES® 認定ICCBコースに合格。
2012.3 自宅スタジオ移転。
2013.10 薬膳アドバイザー(全日本薬膳食医情報協会)認定。
2014.5 薬膳インストラクター(全日本薬膳食医情報協会)認定。
2015.3 米国IBA認定ボディートーク施術士に合格。


1974年、愛媛県松山市に産まれる。
父の実家で祖父母、伯母、叔父夫妻、従姉妹2人、そして両親と兄という、11人もの大家族で暮らしていました。
私は3歳になっても髪の毛がほとんど生えず、花柄のスカートを穿いていても男の子に間違えられていたので、
母はかなり心配していたようです。
祖父が戦争時に被爆し体毛がほとんどなかったので、その関係でこの子は…なんて思っていたらしく。
父は祖父が戦争に行く前に産まれていたのに^_^;
そんなハゲつながりで、私はかなりのおじいちゃん子でした。

1979年、父の転勤で愛媛県新居浜市に引っ越し4人家族に。
平屋で、家の前は畑という田舎暮らし。
幼稚園に通い出し卒園までの2年間で、めでたいことに驚くほどたくさん髪の毛が生えました。
長い休みの時は、必ず大好きな祖父に会いに松山へ帰省。
帰る時は祖父とお別れするのが辛くて、押入れに隠れたり柱にしがみついたりと、
小さいながら色々な抵抗をしていました。
この頃から母はパートを始めたので、私は鍵っ子でした。

1983年、小学校3年生になる時に再び父の転勤で三重県伊勢市に引っ越し。
初めてのマンション暮らし。
方言があるため、なかなか話すことができず友達作りに苦戦。
数か月で徐々に伊勢の言葉を身につけ、友達も少しずつできてきました。

1987年、中学生になる時にまたまた父の転勤で愛知県名古屋市に引っ越し。
また方言に悩み、友達作りに苦戦。
環境に慣れるまで、小学生の時より少し時間が掛かりました。
そんな中学3年生の時、高校受験が終わったその日に父から、「今度は静岡に転勤だ」と言われましたが、
断固拒否して父は単身赴任することに。
めでたく名古屋の高校に通うことができ、3人暮らしとなりました。
1年後、2つ年上の兄が横浜の大学へ進学。
母と2人の気ままで楽しい暮らしが始まりました。

1991年、指定校推薦で決まった東京の工業大学に進学、横浜に住んでいた兄と同居を始める。
将来やりたいことが見つからなかった私は、母の勧めで建築学科を選びました。
常々母は「手に職をつけておきなさい」と言っていました。
父の転勤のたびに、資格などを持っていない母は新しい職を探すのにとても苦労していたようです。

1995年 某住宅メーカーに就職、横浜勤務となる。
住宅の設計・インテリアコーディネートを担当する設計課に所属。
実務2年を経験し、一級建築士の試験を受けました。
人生のすべての運を使い果たしなんとか合格。
資格を得るまでは、初対面のお客様に「この子が設計担当…女の子だけど大丈夫?!」なんて表情をよくされていましたが、
名刺に資格を記載したとたん、そんなことはなくなりました。
資格って大切なんだとしみじみ実感しました。

2001年 結婚退職、夫が大阪在住だったため引っ越し、専業主婦となる。
独身時代は結構忙しく働いていたため、少しのんびりしようと専業主婦になるものの、
初めての土地で友達もいなかったため引きこもり気味に。
毎日、スーパーとうちとの往復だけで、話す相手は夫とスーパーで出会うおばちゃんだけ。
これではまずいと派遣会社に登録。

2004年 派遣社員として働き始める。
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現在は、ピラティスやボディートークを通じてたくさんの方に出会い、たくさんの刺激を受け、充実した日々を過ごしています。

私の目標は、今はもちろん、老後をいかに健康で楽しく過ごすか。
その準備として、現在食に関することも勉強中。
味噌作り・梅の仕込み等の季節の仕事を教えていただきながら、日本の四季と寄り添って生活することを少しずつですが取り入れています。
身体を動かし、心を整え、できるだけ地産地消の命あるもの、旬のものを頂く。
太陽や月、風や空気を感じながら。
できることから少しずつ。
無理をせず、ゆっくりと。
将来はもっと自然豊かな土地に移り、自給自足に近い生活を送れれば…などと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


プロフィール写真 STOTT PILATES® 認定インストラクター
米国IBA認定ボディートーク施術士
文倉紫(ふみくらゆかり)
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