パブロ・ピカソ編
第4回 2004.9.25
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パブロ・ルイス・ピカソ
(1881〜1973)
画家。スペイン生まれ。 |
画壇の巨匠。
「ゲルニカ」に代表されるその作品はあまりにも有名。
絵画の歴史を変えた革命児である。
泣く女
一人夜長に焼酎を呑りながら、ブラウン管越しの恋愛ドラマにかまけて、
「女って好いなぁ…」と思う。
助平に鼻の下を伸ばし、グラビア雑誌を見ながら、やっぱり
「女って好いなぁ…」と思う。
自己の中で膨らんだ妄想は、固有の誰かも好きであるが、
漠然と在る女性像をも美しく思う。
所詮は只の妄想と理解りながら、
否、妄想というよりは恋愛という現象を刹那に感じ取っている、
即ち、それは恋心を抱いているだけなのかも知れないが、
それでもやっぱり愛しく思う。
女を好きになることは簡単だろうし、なればなる程美しく思えるし、
本当の恋愛なんてのは、まさに至福の時なのだろうが、
また、同時に女を愛しいと思えるのは、
精々その段階までなのではないだろうかとも思う。
日が重なるに連れ、軋轢が生じ、女も人間であることに気付いた瞬間、
不平不満やら愚痴やらが口を吐いて出てくる。
美人は3日で飽きる、ブスは3日で慣れるならば、
それこそ女が人間という姿を模倣した
恋愛と現実の同居という現象であることの裏付けではないだろうか。
私は生まれつき女運が悪く、恋愛らしい恋愛もせず現在に至るが
(そんなことばかり考えてるから恋愛が出来ないのだ!
そんなお前に愛を語る資格はない!と言われればそれまでだが)、
決して女を否定しているわけではない。
女もまた不平不満やら愚痴やらを吐く
人間という存在であることも客観的に理解りながら、やはり恋愛時分は、
「女って好いよなぁ…」な訳だし、その先にある何かを考える訳だ。
只、それが前提にあると、非道く萎えてしまうのは、
私が今を生きる男という現象であることの証であろう。
ピカソという男は芸術的な才能こそ早咲きであったが、
殊、結婚に関しては大器晩成であった。
最初の結婚は、1918年、齢37歳とかなり遅咲きである。
ただ、恋愛となると話は別であり、
ピカソにおいては恋愛こそがその活動の原動力足る物であった。
ピカソと女性の関係についてを私的見解から四つに分けて考察すると、
常に愛人の影がちらついていることが伺える。
第一に最初の妻と最初の愛人について。
最初の妻は、オルガ・コクロワというバレリーナであり、
後にピカソが芸術のみならず、社会と深く関わる経緯に至っては、
当時のバレリーナという彼女の世間的な地位が強く影響を与えたことが伺える。
これを機会にピカソは様々な分野の絵を描くようになり、
更には、結婚から3年目にして初の子供が生まれ、
生活はまさに順風満帆といった具合であった。
円満であった2人に危機が訪れるのは、それから4年後にあたる1926年である。
同時に、ピカソの女っ垂らし伝説はここから始まることになる。
この危機にも関わらず、ピカソは最初の愛人となるマリー・テレーズと出会い、
数年後には彼女を妊娠させている。
結果オルガと別居に至ったのは言うまでもないだろう。
この時期のことをピカソは、『人生最悪の時』と語っているが、
自ら撒いた種と言うか自業自得と言おうか、
兎にも角にも、自己責任と言わざるを得ないことをやっている訳である。
第二に2人の愛人ついて。
ピカソはこの時期、オルガとの離婚に向け、話し合いの最中で在るにも関わらず、
2番目の愛人を作った。
彼女の名は、ドラ・マール。
これは、某ムダ知識番組で紹介されていたその時期のエピソード。
ゲルニカを製作中のピカソのアトリエでマリーとドラの愛人二人が鉢合わせになり、
「どちらを取るの?」と問われたピカソは、「戦って決めればいい」と言い放った。
ゲルニカという戦争の嘆きを描いている最中で、身に起きた些細なこととはいえ、
易々と「戦い」を口にするのは、如何なものかと思うが、
そこはピカソ、単なる思いつきだったというのだから、呆気にとられてしまう。
しかし、それ以上にこの愛人2人が、
その言葉にまんまと乗せられ取っ組み合いを始めたというのだから、
人間というのは面白いなぁとつくづく思ってしまうのである。
ピカソは生涯を恋に生きた男だ。
そして、恋情は衰えることなく、恋は晩年まで続く。
続きは次回にすることにしよう。
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