パブロ・ピカソ編
第3回 2004.6.29
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パブロ・ルイス・ピカソ
(1881〜1973)
画家。スペイン生まれ。 |
画壇の巨匠。
「ゲルニカ」に代表されるその作品はあまりにも有名。
絵画の歴史を変えた革命児である。
ゲルニカ
B−29、ピカドン、青空教室、
上野動物園の象のトンキー、ファットマンにリトルボーイ…、
たかが数十年前迄この国で繰り広げられていた惨劇を、
少年のあの日、私は心の何所かに嫌な気分を残しつつも、
それがまるで絵空事か御伽の国の話であるかのように聞いていた。
時同じくして、海の向こうでは、
銃弾に多くの人が倒れ、テロに幾つもの命が奪われている現実があった。
そんな重くてちっぽけな犠牲の上には権力がのさばり、
「偉人」と呼ばれる人達が、偽善の旗を掲げてみては、
まるで裸の王様であったことも知らずに校庭で高い天を仰いでいた。
時が過ぎた今、私は大人になり、
そして、この国は再び戦火に晒されんばかりだ。
北朝鮮の拉致問題、自衛隊のイラク派遣、イラクで起こった邦人人質問題、
新しいところでは、邦人射殺のニュースだろうか。
政治家が挙って正義面を下げても、
この国には、もう安全神話など何処にも無い。
少々説教臭いことを垂れてしまったが、
私が述べたかったのは、今日において(今日で無くとも)戦争は、
「絶対悪」であるということである。
彼の相田みつを氏も常々、
「どんな理由であっても戦争はイヤだな。」
とその詩集の中で語っていた。
元来、動物には、「闘争本能」と言うものが在る訳だから、
人と人とが争うことには説明が付く。
しかし、戦争にどんな理由を付けたところで、
それは獣の暴勇と何等変わりはないのである。
いわば、現在は、「殺し合い」を絶対悪としながら、
平気で「殺し合い」をする矛盾だらけの世の中なのだ。
日本において戦争は最早、絵空事でもなければ、御伽の国の話でもない。
尽く「リアル」な話になりつつあるのだ。
近い将来、日本は過去の惨事の中に在るかも知れないということを
心しておくべきではないだろうか。
ピカソの代表作は、更に昔の戦火の真っ只中で誕生した作品である。
パリの万国博覧会に向けて描かれた壁画。
それが、「ゲルニカ」であった。
これは、スペイン戦争(1936〜39)でドイツ軍に爆撃された
ゲルニカの街を描き出した作品であり、
彼は迷想に迷想を重ねた上、ある一つの手法でこれを表現するに至った。
それは、「キュビズム」というものである。
キュビズムとは、一つの視点からの表現を避け、
複数の視点から表現する絵画手法であり、
彼は、視点を定めず視野を広げることによって、
ゲルニカの街に溢れ出す感情を
「これでもか!」と言わんばかりに全面に押し出したのである。
その結果、戦争に対するピカソの憎悪と憤怒が生々しく現れ、
賛否両論こそあれ、大評判となった。
戦争が「絶対悪」であることを知っていた
ピカソであったからこそ描けた絵画であり、
この「ゲルニカ」こそ、戦争=絶対悪であることの象徴なのである。
後年、彼の作品にキュビズムが多く見られるのは、
もしかすると「ゲルニカ」の評判によるところかも知れない。
これはその後のエピソード。
ドイツ軍司令部に「ゲルニカ」の写真の提出を迫られ、ピカソはこう問われた。
「これは、君が製作したものだろう?」
しかし、彼はその問いにすかさずこう返した。
「これは、君らのやったことだ!」(かっこいい!)
思わず、『カリオストロの城』の銭形警部の名言をダブらせてしまった私だが、
ピカソにとってこの作品は、
それ程強い思いの下に描かれたことに相違はないだろう。
と、ここまで(第1〜3話)彼を持ち上げてきた訳だが、
では何故、私はピカソをダメ人間だと決定付けるのか。
実は、ピカソという男はどうしようもない程の女垂らしなのだ。
「恋」とは、時に人生を左右させる程の熱っぽいものだが、
彼の場合、惚れっぽく、ムラ気が在り、
兎に角、恋が生き甲斐といった具合なのである。
某ムダ知識番組でも紹介されていたが、
ピカソは「ゲルニカ」製作時に結婚していたにも関わらず、愛人がいた。
「根っからの女好きピカソ」の話は次回にするとしよう。
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