海洋空間少年ゴッホ



パブロ・ピカソ編


第2回     2004.3.19


パブロ・ピカソ
パブロ・ルイス・ピカソ
     (1881〜1973)
画家。スペイン生まれ。



画壇の巨匠。
「ゲルニカ」に代表されるその作品はあまりにも有名。
絵画の歴史を変えた革命児である。


他人の死

人生を回顧するきっかけとなる「他人の死」。
親、兄弟、恋人、友達、云々…。
人間は他人の死をもってして、もう一度人生を思い返す動物なのだろうか。
望むや望まざるや、死は何れ皆に平等に与えられる訳だが、
この免れることの出来ない運命は、本人よりも周囲の性格をひん曲げてしまう。
本当の恐怖は、直面する「死」そのものではなく、
間接的に恐怖を呷る「他人の死」なのではないかと私は思う。
しかし、人間はそれによって及ぼされる喪失感や焦燥感と引き換えに強さを得る動物でもある。
つまり、人間は他人の死を乗り切ることで、
進化を遂げる動物であると言っても過言ではないだろう。
もちろん、それはピカソにおいても例外ではなく、
画家の場合、それは作品を観れば一目瞭然である。
彼は生涯幾度となく、他人の死を乗り切らなくてはならない宿命にあったが、
成年に達したばかりの彼に鳴り響いた警鐘はこのようなものであった。

そこはパリのとあるカフェ。
今まさに、一人の男が失恋を苦にピストル自殺を図った。
彼の名は、カルロス・カサヘマス。
ピカソの友人であった。
二人の付き合いは、年月に換算すればこそ、決して長いものではなかったが、
互いを刺激し合い、スキルを高め、共に成長する程の強い絆で結ばれていた。

「カサへマスの死」
ピカソにとって、それは受け入れ難い喪失と焦燥であった。
彼は暫くの間、その陰鬱な気分を消化出来ずにもがいたが、
やがて深い悲しみを克服し、「青」を基調とした絵画を描くことにした。
ピカソは言う。

「カサへマスの死に気付いた時、私は青を塗り始めていた。」

「青」は「寒色」である。
冷たさや悲しみを表すには打って付けの手法である。
しかし、ピカソはそんな理屈を抜きに、ただそこにある「青」をキャンバスに放ったのである。
それは、もう二度と会えぬ友への思いと御礼の気持ちを込めた画家なりの鎮魂であった。
時に談笑し、時に励まし合い、時には喧嘩もしただろう友人が、もうここにはいない。
間違いなく言えること、それは、ピカソにとって彼の存在が大きかったということである。

私は、時に「友情とは?」と深く考えがちだが、
とどのつまり本音を言えるのは、数少ない友人くらいのものである。
考えてみれば、
次元大介のいない「ルパン三世」。
テリーマンのいない「キン肉マン」。
スマイルやペコの欠けた「ピンポン」。
そんなものは成立しない訳だし、
「ドラゴンボール」においては、クリリンを殺され、
憤怒した悟空は、自らを覚醒させるに至った。
友情とはまた、そのくらい力のあるものなのだろう。

本論に戻るが、この「青」は一連の作品となり、
やがて、有名な「青の時代」と言われる彼特有の表現方法となった。
そして、この表現は四年超に渡って続けられ、
「他人の死」は、後にあの大作「ゲルニカ」を生むこととなる。


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