海洋空間少年ゴッホ



ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ編


第3回     2003.11.10


ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
ヴィンセント・ウィレム・
       ヴァン・ゴッホ
     (1853〜1890)
画家。オランダ生まれ。



画家時代

ゴッホはその生涯を独身で通した男である。
尽く恋に破れ、一説には、友達もいなかったと言われているが、
彼は何故、そのような悲しい末路を送らねばならなかったのか。
画家を志した男に、一体何があったのだろう。

私は、これまで再三、ゴッホを「ダメ人間」と言い続けてきたが、
彼の場合は、兎に角、性格に問題があるように思われる。
この時期においては、不器用さに加えて、流されやすく、運命に翻弄され、
良からぬ方向へと暴走する傾向が目立っている。
これから数多く経験する出会いの中でも、
特に印象的と言える行動について述べてみることにしよう。

第一に、それは「恋」の話。
青年期(第2回)においてそうであったように、
ゴッホにとって、恋はいつも悲しい結末を迎えるというのがパターンである。
それは文字通り、「悲恋」であり、
同じ過ちを繰り返しては、絶望に暮れ、孤独に塞ぎ込んでしまうという具合であった。
彼が恋に対して学習しないのか、それとも恋というものに学習性が無いのか、
どちらか定かではないが、二度三度と間違いを犯してしまうのである。
中でも、際立ったエピソードが次のようなものである。


1881年、子供連れで未亡人の従姉妹、
カテ・ヴォスーストリッカー(通称キー)に求愛し、拒絶される。

(まただよ…)
ポジティブに考えれば、恋となると俄然張り切る男、それがゴッホだ。
しかし、実際はつくづく諦めが悪く、いつまでも根に持つと言う悪い習癖の持ち主なのである。


キーと結婚する気でアムステルダムへ。しかし、会ってもらえず。
彼は本気であることを証明する為に、両親の目の前でランプの炎に手を入れる。

奇行である。
脅迫である。
オモチャを買って貰えずに床に寝転んで、ダダをこねている子供と、
然程変わりない行為を、彼は平気でやってしまうのだ。
結果、恋は破滅、父とは喧嘩し、疎遠になってしまう(そりゃそうだ)。

第二に、「友」の話。
私は友情ほど堅く、そしてモロイものは無いと感じているが、
時々、果たして友情とは、一体何だろうと考えさせられることがある。
自分の都合で遊びに誘ってみたり、
忘れた頃に、「最近どうしてる?」なんて電話が来ると、
「あぁ、友情の名に鎮座ましましてらっしゃる。」と、思ってしまう。
先述したように、ゴッホには友達がいなかったらしい。
それは、彼の繊細すぎる性格がいつも邪魔をしたせいだろう。
特に、ポール・ゴーギャンとの関係を抜きにして、
彼の人生を語ることは出来ない…。


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