海洋空間ワシントンD.C.観戦旅行記



第3日
2003年4月14日(月)


8:00起床、まずはシャワーを浴びる。
ぐっすりたっぷり寝たので体調は良好。
今日は平日、月曜なので早朝から人通りや交通量が多い。
さすがに昨日、一昨日の土日とは街の雰囲気もまったく違う。

9:00、例によってタカシマくんとホテルのロビーで合流し、街へと出掛ける。
今日の夜は2試合目の観戦ウィザーズの本拠地、
MCIセンターで行われる今季のラスト・ホームゲームがあるのだが、
それまではメトロ(地下鉄)に乗って市内をウロウロしよう、という予定。
朝食もとりあえずとばして、街に出てから何か食おうか、と。

まず向かったのは、昨日の市内観光で遠くからチラッとだけ外観が見えたペンタゴン
アメリカ国防総省
先述のように無論観光地ではなく、
おそらくセキュリティ・チェックも相当に厳しいエリアであろうと予測されるが、
せっかくワシントンD.C.くんだりまで来たのだから、迷うことなく行ってみることにする。
宿泊しているホテルの最寄り駅、Gallery Place Chinatownからメトロに乗る。
メトロの構内は核シェルターの機能も有しているそうで、
なるほど地底かなり深くへとエスカレーターに乗って潜っていく。
駅構内、ホームは日本の地下鉄の駅のそれらに比べて、大分暗い。
暗いけれど、かなり綺麗だった。
外国の地下鉄、というとともすれば不潔、危険というイメージを、
少なくともボクは多少持っていたんだけど、
ことD.C.のメトロについてはそんなことはまったくなく、
ゴミなんかも全然落ちていないし、見る限り掃除もよく行き届いているようだった。
マクドナルドとはえらい違い。
ただ日本の駅とこれまた違うのは、トイレが付設されていないところ。
なぜだか理由は分からないが、どの駅にもトイレというものは1つもなかった。

メトロの駅ホーム
とても綺麗だったD.C.のメトロのホーム


D.C.のメトロの路線数は全部で5本。
それらは色で表わされており、レッド・ラインブルー・ラインオレンジ・ライン
イエロー・ライングリーン・ラインのしめて5つ。
我々が乗り込んだGallery Place Chinatownには
イエロー、オレンジ、グリーンの3路線が乗り入れており、
目指すPentagonはイエロー・ラインに乗って3駅先。
ちなみにチケットは5ドル単位で購入するプリペイド方式で、
ボクは10ドル紙幣しか持ってなかったのでそいつで5ドル分買ったら、
何とお釣りの5ドルがすべてクォーター(25セント硬貨)で返ってきた。
つまり20枚。
重い。
勘弁してくれよ…。
メトロの駅はトイレも付いていないのに加えて、両替も受け付けてくれなかった。
合掌。
運賃の最小単位は1ドル10セントで、その料金で5〜6駅分ぐらいは進めるみたいだ。

いざメトロに乗ってみると、その車両の小さいことに驚いた。
日本の一般的な電車の車両よりも大分小さいのだ。
天井も低いし、特に出入り口付近は
乗降時に必ず誰かと誰かがゴチゴチぶつかっているほど窮屈な車内。
地下鉄鶴見緑地線みたいだ。
大阪の人しか分かりませんね。

乗車時間およそ10分、いよいよ念願、
戒厳令下の(少なくともボクたちの気分は)ペンタゴン駅に降り立つ。
どう見てもあたりにボクらのようなお気楽外国人ツーリストらしき人影はまったくない。
いかにもペンタゴンに通勤してるんですよ私たちは、といった面持ちのアメリカンばかり。
今日も快晴、朝から陽光輝く地上に顔を出してもそれは変わらず、
みなスタコラスタコラとまっすぐ前を向いて歩を進めている。
それと対照的に、ボクたちのこのまるでカルガモかカリメロかのようなキョロキョロ具合、
何と挙動不審なことか。

おお、見ろよタカシマくん、あれがペンタゴンだぞ!!
昨日ガイドのYさんに聞いた情報によると、例の同時多発テロで被害を受けたのは
駅側からは見えない向こう側の外壁だということだ。
駅からズラズラと出てきていた推定通勤者たちはやはり推定通り、
ペンタゴンの勤務者用エントランスで警備員によるチェックを受けた後、
建物の中へとみな消えて行った。
そしてこれも予想通り、
ペンタゴンの周りには警官、兵隊と思しき屈強な男どもがウヨウヨしている。
そして敷地内の至るところに“No Photo”、
撮影禁止を示す立て札が睨みを利かせている。
しかし、禁止されればそれに逆らいたくなくなるのが人の常。
というかボクははっきり言って
最初からパッチリとペンタゴンのその御姿をカメラに収めようと心に決めている
かくしてボクの世界最大国家権力への一世一代のチャレンジが幕を開けた、
と同時にそれは、人生最大、
ではないけれど人生で30番目ぐらいには数えられるかも知れない
危機一髪緊急事態への誘いとなるのであった。
ちょっと興奮し過ぎて訳の分からんことを書き走ってしまったが、
要するに、写真を撮っていてバレて捕まっちゃった

ペンタゴンの建物そのものから街の方向へと、
巨大な勤務者用駐車場の脇の歩道を歩きつつ、
ボクは撮影可能スポットを探していた。
建物から100メートル近く離れたかな、というところ、恐る恐るシャッターを切る。
ちなみにボクはその時、フィルム式、すなわち普通の感光タイプのカメラと、
デジタルカメラの2つを携行

まずはフィルムのカメラの方で数枚の撮影を済ませる。
うん、警備兵たちも気付いた様子はない。
ちょうどその時、
でかい荷物搬入か何かにやってきたトラックが検問所でチェックを受けていて、
そのトラックがうまいこと遮蔽物となっていたみたいだし、
兵たちの注意もそっちに向けられていたのかも知れない。
調子に乗ってタカシマくんにカメラを渡して、
ペンタゴンバックのポートレイトなんかも撮ってもらっちゃったりして。

せっかくだしデジカメの方でも撮っとかないとねやっぱり、
ということでフィルムカメラをリュックサックにしまって、
今度はデジカメで撮り出したボクだが、それが余計だった
不注意だった。
先程検問所に停まっていたトラックはすでに奥の方に走り去ってしまっており、
警備兵の詰め所から我々の姿は丸見えだった。
撮った、と思った瞬間、前方遠くから「Heeey !」との呼び声。
あっちゃ〜…。
30メートルほど向こうで、
迷彩服に身を包んだ黒人兵がクイクイと人差し指でボクを招いている
ここでクルリと背を向けて走ったらオレは果たして撃たれるのだろうか? などと、
ションボリしたボクとは別の冷静な自分がフとそんなことを考えていたけど、
もちろん素直にトボトボとソルジャーの方に向かって歩いて行った。

「今撮った写真を見せなさい」
「はい、これです」
「どうやって次の写真を見るんだ? おぉ、こうかこうか、ふむふむ」
「消すんですか?」
「まあ全部見るまでちょっと待ちなさい」
「(消さなくてもいいのかな?)」
「OK、ではこれとこれとこれを消しなさーい!」
「(やっぱ消すんか)…はい…、え、ちょっと待って! これも!?」
ソルジャーはペンタゴンそのものの写真だけではなく、
メトロのペンタゴン駅で撮った
“Pentagon”という駅看板の写真も消すように命じていた。
「それもだ!」
「いーやんか! ただの看板だよ、こんなん撮っても別に何も影響ないでしょ、
地下鉄と軍は関係ないやんか、俺はただの旅行者だよ、日本人だよ、
大阪って知ってる? 東京の次に大きい都市なのさ、ムニャムニャムニャ…」

「ダーメ!」
「…はい」
ケチめ!
でも顔は笑っていたよ、黒人兵。
もっと押せば何とかなったのかな。
でも怖いし消しとこ。
消したら「Thank you !」だってよ!

こんなの載せて大丈夫か?生き残ったペンタゴンの写真
生き残ったフィルム・カメラで撮ったペンタゴンの写真

しかし不幸中の幸い、というかボクがラッキーだったのは、
フィルムの方のカメラが完璧に助かったこと。
もしあっちを見つかっていたらまず間違いなくフィルムごと没収、
その一本に入っているその他の写真たちも
恐らくはボクの手元には帰って来なかったことだろう。
もっと言うと可能性としては
所持していたその他の撮影済のフィルムもすべて取られていたかも知れないし。
そう考えると、デジカメの方で本当に良かった。
南無南無。
あとは日本語を解する米政府関係者がこの文章を目にすることがないよう、祈るのみ。
密告も禁止。
あ、でも写真載せてたら意味ないか。

ペンタゴンの近くには
ペンタゴン・シティ Pentagon City という街が広がっているということなので、
釈放された後2人でそこを目指して歩く。
メトロで1駅分あるのだが、距離にすると1キロもないぐらい。
時刻は10:00、そろそろ何かを腹に収めたいところでもある。

ペンタゴン側から大きな幹線道路を渡ったブロックより向こう一帯がもう
ペンタゴン・シティと呼ぶエリアらしく、その入り口に当たる位置に
メイシーズ Macy's という世界的に有名なデパートが建っていた。
入ってみようかなと思ったけどまだ開いていなかったので、
とりあえずペンタゴン・シティの中へ中へと歩いて行ってみる。

ここにあるスターバックスで遅い朝食
住宅とショップが一体となった一角の広場

このあたりは住宅地にもなっているようで、
日本でいうところのマンションがたくさん建っている。
少し歩くと、真ん中にベンチなどを配した広場を持ち、
その周囲をコの字型に店舗が囲んでいるという一角に辿り着く。
そこにあった日本でもおなじみ、スターバックスコーヒーベーグルを買って、
少し遅めの朝食を外のベンチで頂く。
スズメみたいな小鳥がいっぱいいて、ベーグル屑を食っていた。

腹も大分落ち着いたところで、再び周りを少しウロウロした後、
戻ってメイシーズの中へと入って行く我々2人。
このメイシーズもやはりというか何というか、高さはそんなになく、
というかわずか3階建てでその代わりに敷地が広い。
アメリカのショッピング・ゾーンは大体そんな感じみたいだね。
中はまあ何の変哲もない普通のデパート。
メイシーズは面白くなかったけど、
そこからつながって広がっているファッション・センター Fashion Center という、
吹き抜けの明るい開放感が心地よいショッピング・モールは楽しかった。
全米でも有数の規模と店舗数、日本にもいくつもの支店を持っているスポーツ・ショップ、
フットロッカー Foot Locker があったり、
これまた日本でもおなじみのディズニー・ショップや、
これは初めて見たんだけど、有名なドキュメンタリー専門チャンネル、
ディスカヴァリー・チャンネル Discovery Channnel のショップなどが入っていて、
何も買いはしなかったけどなかなか楽しめた。
余談だがこのモール内では結構な数の日本人を見かけたな。

開放感溢れるファッション・センター
吹き抜けが開放感たっぷりだったファッション・センター


外に出てみると、それまで気付かなかったのだが、
メイシーズの隣にはザ・リッツ・カールトン The Ritz-Carlton も建っていた。
ちょうどそのリッツの真ん前にポッカリと口を開けていた
メトロのペンタゴン・シティ駅へと降りていく。
そろそろこの地を後にしようではないか。

続いての目的地は、ジョージタウン Georgetown
ジョージタウンワシントンD.C.市内北西部に位置しているエリアで、
17世紀、アメリカに入植した人々が最初に定住したという歴史のある街だそうだ。
また、繁華街としても知られており、レストラン、バー、クラブ、
ブティックなどなどに事欠かない、いわゆる都会だとのこと。
また我々のようなNBA好きには、パトリック・ユーイング Patrick Ewing
ディケンベ・ムトンボ Dikembe Mutombo
アロンゾ・モーニング Alonzo Mourning
そしてアレン・アイヴァーソン Allen Iverson らを輩出した、
かのジョージタウン大学 Georgetown University のある地、
と言われた方が呑み込みも早いし感動も大きかったりする。

ペンタゴン・シティから今度はブルー・ラインに乗り3駅、Rosslynで降りる。
そこからジョージタウンへは北へ歩くことおよそ15分
雄大かつ美しいポトマック川にかかる、
Francis Scott Key Memorial Bridge という大きな橋を徒歩で渡る。
600メートルぐらいはあったただろうか。
今日も天気がいいし、本当に景観が美しい。
川の向こう岸には上品な森が広がっており、さらにその向こうには
歴史の重みを感じさせるジョージタウン大学の学舎が群立している。
川には大学の学生たちなのか、ボート部員たちが練習をしていた。
橋上の歩道ではジョギングをする幾人もの老若男女とすれ違う。

川の向こうにジョージタウン大学が見える
橋上から川の向こうを見やると、そこにはジョージタウン大学


川を越えるとそこはジョージタウン
うーんなるほど、民家、店舗問わず、
いかにも歴史のありそうな建物が確かにあちこちに目に付く。
映画やドラマなどの撮影で使われる建物もここジョージタウンには多いらしい。
非常に雰囲気のある街並みだ。

まずは左手前方、ジョージタウン大学の方へと歩を進めるべく、
かなりの傾斜の登り坂を上がっていく。
道はアスファルトではなく、これまた味のある石畳。
学生らしき若者たちの姿もさらに増えてきた。

2人で歩いていたら、我々と同じツアーに参加している男性にひょっこり出会う
黒縁メガネをかけた20代半ばと思われる四角顔の好青年だ。
「ジョージタウン大学の学食に行きたいんですけど見つからないんですよ。
聞いたことありませんか?」

「いや〜、ボクらも今来たばっかりでこれから大学に行ってみようかと思ってるんです」
「そうですか〜、じゃ、もう少し探してみます〜」
彼は果たして食堂に辿り着くことはできたのだろうか。
次の日会ったけど訊くの忘れた。

ド迫力の本学舎
ド迫力のジョージタウン大学本学舎正面

四角顔くんと別れて少し歩き、ついにジョージタウン大学の本学舎前へと到着した。
当たり前といえば当たり前だが、間近で見ると、
遠くから眺めているよりも強烈にその歴史、伝統を体感させられる重厚な建物である。
そして、でかい。
真正面にドドーンとそびえる時計台の、何と巨大で威厳のあることか。
自分も日本では深い歴史と大きな規模を誇る大学に在籍するという僥倖に恵まれたが、
まるで桁違い。
ただひたすら圧倒だ、これは。

学内の奥までは足を踏み入れず、
ボクたち2人は踵を返して今度はジョージタウンの中心街の方へと向かうことにする。
恐らくジョージタウン大の学生たちが多く住んでいるのであろう、
いかにもといった下宿街をまっすぐ抜けて歩く。
もちろん下宿街といっても日本のそれとはまったくイメージが異なり、
白壁やレンガ造りの小ぢんまりとした一戸建てがズラズラと
両側に並んでいるのだけれど。

ホテルのフロントでもらった現地ガイド紙に紹介されていた通り、
ジョージタウンの中心部は非常に栄えていた。
様々な種類のショップも多く、
どちらかというと閑静とも表現できる大学の周辺部とは一変、
交通量も人出もググッと増えてくる。
ただ、我々2人はここでは特に買い物をしようという欲求もないので、
このあたりはブラブラと歩くのみ、素通りしてポトマック川の方へと出てみる。

ワシントン・ハーバー
景観の美しい川港、ワシントン・ハーバー

川岸へと出てみるとそこは
ワシントン・ハーバー Wshington Harbour という美しい港であった。
港といってももちろん漁港みたいなのではないし、川の港なのでとても小さい。
小さいけれど、とても綺麗だった。
当地では、また観光地としても有名らしいシーフード・レストランが軒を連ね、
天気が良いので外のテラス・テーブルでランチを楽しんでいる人たちも多数。
川沿いの遠くには、ケネディ・センター Kennedy Center というランドマークも見える。
いやあ、のどかだなあ。

港を後にし、メトロのFoggy Bottom G.W.U.を目指して、さらに東へと歩くことにする。
無論地図を見ながら歩いていたのだが、
何やら道が斜めになっていたりしてよく分からなかったので、
通りすがりの白人の若者に「駅にはどう行ったらいいの?」と聞いたら、
「同じ方向に行くから一緒に行くぜ!」との応え。
ナイスガイ発見。

どっから来たんだ? とか、ここは美しい街だねとか、
マイケル・ジョーダンを観に来たのか? とか、
昔日本が桜の木をワシントンD.C.に贈ったんだけど知ってるか? とか、
通り一遍の会話をしつつ3人で歩く。
そして無事にFoggy Bottom G.W.U.に到着、どうもありがとう、
と握手した時のその若者の掌の分厚いこと分厚いこと。
裏まで指が回らなかったよ。
ちなみに駅名に入っているG.W.U.とは、
ジョージ・ワシントン大学 George Washington University の頭文字
しかしここには大学そのものはなく、大学付属の病院があるだけのようだった。
地下に潜る。

さてメトロへと再び乗り込んだボクたちだが、次なる目的地を発表しよう。
それは、昨日訪ねたものの休みで入ることができなかった
ジョーダンズ・レストラン・バーなのである。
そこで昼飯を食い、帰りにMCIセンターに寄って
ウィザーズ関連グッズ土産を買い込んでから一度ホテルに戻って出直し、
ゲーム観戦をしよう、というのが今日のこれからの流れ予定なのだ。

ブルーorオレンジ・ラインに乗って4駅、Federal Triangleで下車する。
ここの真上がジョーダンズ・レストラン・バー、ということを昨日学習した。
今日は見事に営業していた。
店に着いたのは13:30頃ランチ・タイム14:30までと看板には書いてあるので、
充分に間に合った。

中に入ってみていささか驚いたが、
当初のボクの予想に反してそこは観光地然とした飲食店ではなく、
至極まっとうな、高級感漂う落ち着いたレストランであった。
外から見るよりも随分大きなスペースが店の中には広がっており、
テラス席付きのシックな地上1階に加えて、
螺旋階段を降りた先にはさらに落ち着いた地下1階席があり、
すべて合わせて200席はあろうかという規模の大きさだ。
内装の感じも、店の正面入り口を入ってすぐの壁に掛けられている
3枚の額縁入りのマイケル・ジョーダンの写真を除けば、
ジョーダンに関するメモラビリアも何一つ見当たらず、
“たまたまマイケル・ジョーダンが経営者というだけの普通のレストランですよ”
とでもあえて主張しているかのようなイメージを受けた。
お昼時ということもあってか結構混み合っており、
すでにテーブルに着いている客の中には
ボクたちと同じツアーに参加している人たちも含めて、日本人の姿もチラリホラリ。

本邦初公開 レストランのB1席に座るタカシマくん
案内されたB1席に座る、これがタカシマくんだ


ここまでくるともはや驚きも麻痺してきつつあったが、
このジョーダンズ・レストラン・バーで供される料理も言うまでもなく、
アメリカン・スタンダードに正しく則り、量が多い
そのくせ肉類だけではアカンアカンと
ボクは必ずサラダも頼んでしまうからさらに死にそうになるんだけど。
ここではプライムステーキ・サンドウィッチと、
名前忘れたけどオリーヴとか生ハムとかが乗ったサラダをオーダーする。
例によって付け合わせのフライドポテトはジャガイモ3つ分ぐらいあり、
サンドウィッチのパンはフランスパンのバケットだったので顎も疲れたよ。

相変わらず腹はパツンパツンだが味と雰囲気、
そして何よりもジョーダンズ・レストランで食ったぞオレはという満足感に心満たされ、
徒歩で帰途に就く。
前述の通り、お土産グッズを購入すべく、ホテルに戻る前にMCIセンターに寄って、
スポーツ・グッズ・ショップ、MODELL'S に立ち入る。

実はここで一つ後悔をしてしまうこととなってしまった。
一昨日、D.C.に到着した初日に立ち寄った時は
たくさんの品がサイズも豊富に並んでいたので
安心して土産物購入は後日に回そうと思ったのだが、
いざこの日に来てみると品揃えが随分と変わっている
一昨日は壁にディスプレイされていた
ブレッツ・ヴァージョンのジョーダンのジャージーも姿を消しているし、
Tシャツ類など、衣類の多くもサイズの種類が減っていて、
M、Lはほとんどゼロ、あってもXLやXXL以上とか。
ほどほどの落胆を覚えつつも、まーしゃーないかという諦観と、
ジョーダンの試合を観に来ているのだという漠然とした精神的高揚がそれに打ち克ち、
すぐに気分を切り替えて楽しく買い物を進める。
自分のものや人へのお土産、
そして周囲のバスケフリークたちに頼まれていた品々をドッカリと購入したので、
総額700ドルあまり、結構なお買い物だ。
レジ打ちの黒人青年が隣の同僚に「こんなに買ったヤツいたっけ?」と聞いていたぞ。
良くない日本人のイメージを与えてしまったのだろうかね。
まあでもヨーロッパやハワイでブランドものをドッカンと買う女性陣に比べれば
まだまだかわいいものではないか、と自分に言い聞かせるひととき。
しかしホテルの部屋に戻り、お土産類をスーツケースに詰め込もうとしたら
ダイヤル鍵が悲鳴を上げていたのには参った。
しばらくガマンしろ! と力任せに蓋を閉じる。

小一時間部屋で休憩した後、16:30に再びロビーにてタカシマくんと合流し、
試合会場であるMCIセンターに向かう。
今日はボクたちも気合を入れて入り待ちしよう、と申し合わせている。
今シーズン最後のホーム・ゲームが行われる日なので、
一昨日よりも格段にギャラリーの数が多い。
マイケル・ジョーダンのジャージーを着ている人も何十人、何百人いるのやら。
かく言うボクも、1時間前にMODELL'S で購入した
ホーム用の23番ジャージーをちゃっかり着てしまっていたのだが。
しかも廉価版のレプリカ・ジャージーではなく、
実際に選手が着用しているものとまったく同じ作りの、
オーセンティック・ジャージー Authentic Jersey ってヤツで、
恥ずかしながら子供のように大満足。
ちなみにこれは日本で買うと25000円近くする代物だが、
当地では$129と、大分安い。

ウォルト・フレイジャー
アリーナのセキュリティと談笑しているウォルト・フレイジャー

駐車場の入り口横でポケターンと待っていると、
何とウォルト・フレイジャー Walt Frazier が徒歩でテクテクやってきて、
警備員と談笑した後、関係者入り口からMCIセンターの中へと消えていった。
ちなみに彼は1970年代を中心に
ニューヨーク・ニックス New York Knicks で活躍した往年の名ガード・プレイヤーで、
現在は局は忘れたがテレビの解説者をしているレジェンドの1人。
さすがに入り待ちをしているアメリカ人たちの中にも、
ウォルト・フレイジャーをすぐに認知できる人は半分もいないようだった。
そうそう、今日のカードはウィザーズvsニックスである。

そのしばらく後、群衆ざわめく駐車場入り口にあの男、
マイケル・ジョーダンが今日も姿を現した。
今日こそどんな形でもいいから、アリーナにやってきたその姿を何とかカメラに収めよう、
と決意していたのだが、その夢はまたもほぼ打ち砕かれた。
この日は真っ黒のフェラーリに乗ってやってきたジョーダン
まるで箱根ターンパイクで狂気のドリフトを繰り返す
スピード・ジャンキーかと見紛うばかりに、
もんのすごいスピードでギャギャーンとタイヤを鳴らしながら
地下駐車場へと消えていってしまった。
警備のおっちゃんもあの時は、オレ殺される! ときっと思ったことだろう。
根性で何とかシャッターは1枚切ったが、
案の定ボケにボケた車体が半分くらい写っている程度だった。
あとは開場時間を待つばかり、正面入り口へと回っておこう。

ちょっとはスピード落としなさい
ものすごい勢いで地下駐車場へ消えていった
MJの乗る黒いフェラーリ


そこでシカゴ・ブルズ時代のジョーダンのジャージーを着た
日本人のにいちゃんと知り合う。
年の頃は30前後、ボクと同年輩であろうか。
彼はこの試合を観戦した後、今度はフィラデルフィアへ移動し、
そこで翌々日行われる今季最終ゲーム
セヴンティシクサーズvsウィザーズを観るのだという。
ボクたちと同じツアーに参加している人の中にも、
同様の予定を組んでいる人がチラホラいるようだが、
まったく何とも羨ましい限りの話である。
ジョーダンの現役本当に最後のゲームに加えて、
アレン・アイヴァーソンまで観れるんだもんね。
しかもしかも中でも九州のYさん(同じツアーに参加していた40代ぐらいの男性)は
その後さらにニューヨークに行き、
MLBヤンキース戦松井秀喜も観てくるのだという。
時間とお金がある人ならではの、
最高のスポーツ・ウォッチング・ゴールデン・コースでしょう、これはまさに。
九州のYさんはとても親切な人で、
帰国後にセヴンティシクサーズ戦の写真や松井の写真などをわざわざ送ってくれた。
本当にありがとうございました。

17:30、定刻より30分早く開場
一昨日よりもさらに厳重を極めるセキュリティ・チェックを通過して
センター内に足を踏み入れる。
今日の先着プレゼント・グッズはMJのネック・ストラップ付きのチケット・ホルダー
早速首に掛け、チケットを放り込んで、と。
今日も一通りセンター内のショップを見て回るが、ボクはプログラムだけ買う。
タカシマくんはちょっと迷っていたが、大きなMJのパネルを買っていた。
デカいし高いし、ということで躊躇していた彼だが、
「迷った時は買っとくべし!」という
ボクのアドヴァイスとも悪魔の囁きともつかぬ言葉にノセられて
見事購入に踏み切ったのであった。

チケット・ホルダーを手に
先着プレゼントのチケット・ホルダーを手に


自席へ向かう。
今日は一昨日よりももう少し端の方、ニックス・ベンチの方向寄りで、
前後も少し後方だ。
見にくいというほどのことはまったくないけれども。
隣の席は先程登場した九州のYさんだ。
練習を観つつ、写真を撮りつつ試合前の時間を過ごすが、
今日はアリーナ全体まさにジョーダン一色といった雰囲気に支配されている。
天井から吊り下げられた巨大四面モニターに映し出される映像、
服装や応援ボードなど含めた客席全体のムード、
そして何よりも、言い方は悪いがプレイオフ出場も逃したチームの
いわば消化試合にはとんと似つかわしくないお祭騒ぎ的な盛り上がりに満ちた空気が、
すべてMJのラスト・ホーム・ゲームを演出するために
存在しているかのような気持ちがする。

ジョーダンと握手を交わすラムズフェルド
試合前のセレモニーでマイケル・ジョーダンと握手を交わす
ドナルド・ラムズフェルド国防長官

19:00過ぎ、今日も23番のジャージーを着たたくさんのキッズたちに迎えられて
ウィザーズの選手がコートに入場してきて、
ほどなく試合前のセレモニーが始まった。
実に驚くことに、アメリカ国防長官
ドナルド・ラムズフェルド Secretary of Defense Donald Rumsfeld
主賓として来場していた。
ご存知、ブッシュ大統領の後ろで糸を引く超タカ派、
このたびのイラク戦争を仕掛けた張本人と目されている男である。
先程選手の入り待ちをしている時、明らかにVIP乗車、謎の白いリムジンが通って行き、
誰だろうな? と思っていたのだが、これで合点がいった。
彼はここMCIセンターのシーズン・チケット・ホルダーであり、
マイケル・ジョーダンの大ファンでもあるらしく、
ジョーダンに星条旗を手渡して悦に入っていた。
当時といえばイラク戦争のまさに真っ只中、
今一番忙しいはずの男がこんなとこで呑気に何をしておるんだ、
と素直にびっくりしたぞ。
しかも、その時のアリーナの観衆たちの熱烈歓迎的反応に、さらに大きく引いてしまった。
NBAに限らず、MLBNHLの試合の時のセレモニーなどにおいても、
この戦争開戦前後の時期は
アメリカは正しい! 戦争バンザイ!”色の強いイヴェントが少なからず行われ、
実際にその現場に居合わせた知人からは
拍手とブーイングが半々ぐらいだった」と聞いていたが、
ボクが観たこの時は、拍手、賞賛、激励、歓声、絶賛の雨あられだった
アメリカは自治カラーの強い合衆国なので、
州や都市によって政治的感情、世論は大きく違い、
イラク戦争に関してもその賛否の割合は地域によって相当異なっていたらしい。
やはりワシントンD.C.は言うまでもなく大統領のお膝元、
世論の大勢は極めて政府寄りなのだろう、としっかり感じることができた。
それと同時に、当ったり前のことではあるけど、
ボクは絶対にアメリカ人になることはできないな、と強く感じた瞬間。
起立はして観ていたものの、最後までどうしても拍手はできなかった。

今日もウィザーズの面々は
ブレッツ(ウィザーズの前身)のユニフォームに身を包んでいる。
一昨日休んでいたジェリー・スタックハウスもこの試合には出場するようだ。
ニックスにはアラン・ヒューストン Allan Houston
ラトレル・スプリーウェル Latrell Sprewell という
2人の優れたSG/SFがいるので、彼らとスタックハウス
そしてジョーダンとのマッチアップは今日の大きな見どころの一つだ。
だが、いざ試合が始まってみると一昨日にも増して今日はウィザーズいいとこなし、
特にアウトサイド・シュートがまったく決まらない
しかもそれに加えて、インサイドの要たるべき
クワミ・ブラウンクリスチャン・レイトナー
ブレンダン・ヘイウッド Brendan Haywood も甚だ頼りないことこの上ない。
ただ、ジョーダンだけはシュートを決めるたび、リバウンドをとるたび、
果てはボールを持つたびに大歓声。
ボクもこの時ばかりはもちろん一緒に声を上げる。

ジョーダン得意のフェイド・アウェイ
得意のフェイド・アウェイ・ショットを放つジョーダン


ハーフタイム中、隣席の九州のYさんにとんでもないことが起こった
といってもボクはスクリーンに映し出されていた
ジョーダンの歴史をまとめたVTRをずっと観ていたので、
その事件は聞いただけなのだが、彼がトイレに行った際、
廊下で何とレブロン・ジェイムズ LeBron James に出遭ったらしい。
レブロン・ジェイムズとは現在高校最終学年、高校生のみならず、
大学生を含めてもナンバーワンの実力を持っているのではないかと
評価されているバスケットボール・プレイヤーで、
先日NBAへのアーリー・エントリーを正式に表明、
ドラフトNo.1ピックも確実と噂される、
18歳にしてすでにスーパースター扱いされている驚異の高校生である。
ボクは九州のYさんから興奮気味にその報告を聞き、すごいなと思うのと同時に、
よく分かったなぁと妙に感心してしまった。
かなりのNBAオタクを自認する自分ではあるが、
私服のレブロン・ジェイムズを見かけてすぐに認知する自信はない。
全国のNBAマニア、恐るべし。
その時に九州のYさんが撮ったレブロン・ジェイムズの写真も後日、
しっかり送っていただきました。

後半が始まったが、何とスタックハウスは私服に着替えてベンチに座っている。
前半中にまたもケガが悪化したようだ。
しかし試合中に着替えて引っ込むなんて珍しいな。
後半も相変わらずウィザーズの調子は上がらず、差は広がるばかり
対するニックスは主力2人、スプリーヒューストンの出来が良い。
弱弱ウィザーズの中にあって一人気を吐いていたのが
ホアン・ディクソン Juan Dixson
彼は全米レヴェルでの知名度はイマイチだが、
ここワシントンでは地元メリーランド大出身ということもあって観客の声援も一際大きく、
ショップにもジャージーなど、彼にちなんだグッズも多く売っていた。
結局ウィザーズは最後まで一度もリードすることなく、93-79で負けた。

試合はまだ終わっていないのに鳴り止まないスタンディング・オヴェーション
試合が終わらぬうちから最後までずっと鳴り止むことのなかったスタンディング・オヴェーション

マイケル・ジョーダン残り時間2分ぐらいのところでベンチに引っ込んでしまったが、
彼に送られる惜別と感謝の意に満ちたスタンディング・オヴェーション
試合終了まで止むことはなかった。
ちなみにチームのスコアリング及びリバウンド・リーダーはジョーダン。
若手の力不足を嘆く神の気持ちもよく分かる。
そしてそれは、日本でテレビで試合を観ているよりも、
こうして直に目の前で試合を観たこの時に、
当然のことながらより強く感じられたことだった。
とにかくウィザーズの若手に覇気が感じられない
と個人的に思われて仕方がなかったのである。
先述の通り、もはや消化試合に過ぎないゲームとはいえ
勝利にこだわろうという姿勢があまりにも希薄に感じられた。
今シーズンは間もなく終わりを告げるだろうが、
もちろん来季以降もNBAのゲームは続いていくわけで、
どんな状況であっても公式戦というのは若手選手たちにとって大きなアピールの場であり、
また死活を賭けた戦場であるはず。
その意志が残念ながら、
十数メートル向こうでプレイをしている選手たちからビンビン伝わってくる、
ということはなかった。
噂されているように、いかにマイケル・ジョーダンの叱咤が厳しく、
その存在が重圧と感じられていたのだとしても、
彼らもNBAというトップステージに上ってきたプロならば、その意地が見たかった。
この原稿を書いている5月10日現在、
連日試合開始直後からコートも客席もチンチンに熱いプレイオフを観ているから、
余計強くそんなことが思われるのかも知れない。

関係者たちと挨拶を交わすMJ
試合終了後、関係者たちと挨拶を交わすマイケル・ジョーダン

ワシントン・ウィザーズマイケル・ジョーダンとしての最後のホーム・ゲームが終わり、
会場内の照明が落とされてMJを送り出すセレモニーが行われた。
しかし期待に反してジョーダンのスピーチなどはまったくなく、
ただジョーダンのこれまでの軌跡をまとめたVTRが叙情的なBGMとともに流されたのみ。
後に報道で知ったところによると、ジョーダン自身
ゲームも接戦じゃなかったし、特別な思いというものは抱いていなかった
という旨の発言をしていたようだが、
その通り彼のモティヴェーションというものが
この時すでに失われていたのではないだろうか。
そしてその考えは、後日、フィラデルフィアで行われたラスト・ゲームの模様、
その後のインタヴューを視聴し、
また5月に入って表面化したウィザーズとの決別などの報道を見聞して、
より真実性の高い推測とボクの中でなっている。
さようなら、バスケットボールの神、マイケル・ジョーダン

孤独なマイケル・ジョーダン 何を思う…
独りたたずむマイケル・ジョーダン…

今回の旅で観戦した2つのゲームをごく簡単ではあるが自分なりに総括してみると、
最初で最後、現役選手としてプレイするマイケル・ジョーダンを生で観たという点と、
彼の現役最後のホーム・ゲームというメモリアル・ゲームを観戦し、
その儀式的な場に立ち会えた
という点においては
とても有意義で貴重な体験をすることができたと思っているが、
NBAという世界最高峰のバスケットボール・リーグで繰り広げられる
世界最高レヴェルのバスケットボール・ゲームを眼前で観る

という目的に関してはちょっと裏切られたかな、というところ。
何年先になるか分からないが、次に現地観戦する機会を得られた時は
絶対にプレイオフかオールスターを観に行きたいと思う。

試合終了後、タカシマくんと正面入り口前で待ち合わせをしていたのだが
混雑のためなかなか会えず。
その間に外人のおっちゃんにお願いして、
展示されているジョーダンのメモラビリア・ジャージーをバックに写真を撮ってもらう。
しばし後、無事にタカシマくんとも出会うことができ、MCIセンターを後にする。
帰途、一昨日1人で行ったところとはまた別のマクドナルドに寄る。
でもここも同じく日本のマクドナルドとはかけ離れた、バッチいマクドナルドだった。
もう営業時間は終了間際、片付けを始めていたのでテイクアウトにして、
ホテルの部屋に戻ってから食べる。
例によってコーラのSサイズがデカいから翌朝まで保ったよ。

部屋で一息つきながらテレビでスポーツニュースを観ていたら、
やっぱり今日のジョーダンのラスト・ホーム・ゲームが大きく扱われていて、
昨日行ったESPNゾーン
今日の昼に行ったジョーダンズ・レストラン・バーでのVTR取材の模様、
さっきまでいたMCIセンターからの生中継の様子などが放送されていた。

明日アメリカを発つんだな。
飛行機イヤだな〜。



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