海洋空間佳本


有頂天家族 二代目の帰朝 有頂天家族 二代目の帰朝」★★★★★
森見登美彦
幻冬舎

2015.4.26 記
前作読了から待つこと実に7年、ようやく続編が刊行された。
つまらないわけがない、という確信めいた思いは持っていたが、予想にまったく違わず、これも森見登美彦氏らしさが如何なく発揮された名作であった。
下鴨一家、夷川一家、金曜倶楽部、赤玉先生に弁天といった前作でおなじみのキャラクターたちの魅力はそのままに、二代目、玉瀾、天満屋など新しい顔ぶれがこれまたちょうどいい塩梅の描き具合とタイミングで物語に加えられており、正統強化の方向に進んでさえいる。
そしてこれは私個人にとってという限定的ポイントではあるが、学生時代に居を構えていた下鴨神社近辺や、京都界隈のよく知った町が舞台となっている点も、前作及び他の森見作品同様、大きなアドヴァンテージである。
森見氏は本当に日本語の使い方が巧みで、紙幅の多くを占める阿呆らしい文章群に交じって時折トラップの如く挟み込まれる、物事の本質をズバンと突いた表現や台詞に不意打ちのようにハッとさせられることがある。
例えば、南禅寺正二郎の「自分の父親があんなに洛中に名高い狸だったら、始終父親に見張られてるみたいで、間違えないでいいことを間違えたりするもんですよ。ころころ気楽にやって流れにまかせていれば大きく間違ったことはしないものだけど、肩肘張って何かをやろうとしたら、僕らは決まって物事をこじらせてしまう」という言葉であったり、淀川教授の台詞「なぜなら愛とは押しつけるものだからですよ。どこに理路整然と説明できる愛がありますか。(中略)僕は諸君を説得しようとは思わない。ただ感化するのみです!」であったり。
登場人物が狸やら天狗やら怪人やらで、彼らが懲りもせず荒唐無稽な騒ぎを巻き起こす、というハチャメチャな設定がほとんどの小話のアウトラインであるにも拘わらず、その醸し出すリアリティーが他のどの小説をも凌駕しており、各々の場面が鮮明なヴィジュアルとなって読者の脳内に再生される、という森見氏の筆力は、少なくとも今シリーズにおいては圧倒的だ。





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