これは私が今まで読んだすべての本の中で、暫定1位にしてしまってもいいかもしれない。
まず並外れて文章が上手い。
氏の著書は以前「太陽の塔」を拝読したことがあるのだが、その際には印象として残らなかった、超絶的な筆運び。
稀に使用されている難解な語句や凝った言い回しもまったく鼻につかずそれどころか巧みすぎて。
テンポも申し分ないし、勘どころが研ぎ澄まされているというか、私の感覚にピタリ合っているというか。
素晴らしいセンスに感服。
体としては娯楽小説の形をとってはいるのだと思うけれど、中盤、第5章あたりまでは中身は完璧に文学だ。
主役は狸の一家、それに人間はもちろん天狗や半天狗まで絡み合っていろいろな騒動を巻き起こす、というマンガ的な設定でありながら、これほどじんわり、何とも表現しがたい感情や感慨を読み手にもたらすとは。
各登場人物(狸、天狗)のキャラクター付けがきっちりなされているからすんなりと感情移入ができるし、具体的なイメージも明快に脳裏に浮かぶ。
何より皆それぞれ、魅力に溢れている。
ストーリー自体にははっきり言って今時のミステリーなどと比べればそれほど複雑な仕掛けが施されているわけではないし、どちらかというとベタな展開だとは思うが、それなのに先を読ませようページをめくらせようとする筆致の妙。
狸の話だと分かっていても、ついほろりと感動してしまう珠玉の文章。
一見何気ない、過剰な煽りのない淡々とした表現であったり少々滑稽な言い回しであったりするのだが、そこには母上の深遠な愛情がきっちりと込められているし、矢四郎の愛くるしさも鮮烈に表れている。
それがはっきりと伝わってくる。
狸の一家の物語に、人生における某かの指針を示された、そんな気がする一瞬が確かにある。
紛れもなく文学だ。
終盤、第6章と第7章については、これまた話の展開としてはそれほど奇抜ではないが、分かりやすい悪玉と主人公たちとの手に汗握る争いを軸に進み、雰囲気は少し変わる。
緊迫したスピーディーなクライマックス。
ここにも、これまでに重ねてきた充分すぎるほど魅力に満ちた世界が読者の心裡にあるから、そして巧緻な職人芸による文章が連なっているから、頭のてっぺんからつま先までどっぷりと浸かることができる。
蛇足ながら下鴨一家が棲む糺の森の近くには私も学生時代に住んでいた。
彼らの生活圏に馴染みが深いということも、この物語を楽しむ上で少なからず一助となった。
狸のように生きることができたら、現世における煩悶や苦悩を少し和らげることができるかもしれない。
これは冗談ではなく、本心から言っている。 狸のように生きたい。 |