このまま終わるはずはないけどなあ…、と訝しがりながらも、終盤まで保たれるその単調ぶりに「井上夢人も老いたりか…? 岡嶋二人時代の『クラインの壺』がピークだったか…」などと失礼なことを思いかけていた。
しかし、還暦を超えてもやはり井上夢人は井上夢人だった、ということを当たり前のように最後にアピールしてくれて、驚きと安堵が入り混じるおかしな気持ちで読了したのだった。
極度の対人恐怖症でもあるはずの鈴木誠が事情聴取でこんなにも流暢に、堂々と自説を述べることができるのだろうか? 三島江利子の新しい携帯電話の番号を知るに至る描写がないが…、などといった読中の疑問は、決して著者の神経が粗くなった結果の忘れものなんかではなく、ちゃんと伏線として想定されていた要素だった、というカタルシスがある。
ただ、携帯電話のメールアドレスを変更する手続きに関しては、実際もっと簡便にできるということをご存じなかった節があり、そちらはご愛嬌といったところか。
いずれにせよ、井上夢人名義の作品としては、これまででベストなクオリティだと私は感じた。
内容にはまったく関係がない、実にどうでもいいことだが、使われている紙が薄過ぎる。
なんでだ? |