キリスト教の(元)伝道師にして言語学者の著者が、類稀なる言語と文化を有するアマゾンの少数民族のコミュニティーで経験したことを通じて記された書で、読む前はもう少し言語学や文化人類学に寄ったアカデミックな内容なのかな、と思っていたが、とっつきやすさを優先したのか、著者一家がアマゾン生活の中で味わったトラブルや感想など、随筆的なところにも結構な割合の紙幅が割かれていた。 裏を返せば、学究の徒が気合いを入れて読むと、少し肩を透かされるかも。 といっても、素人が読む分には充分にピダハン語が持つ特異性には惹きつけられるし、言語というものは、哲学などでいうところの合理主義的な"言語本能"にすべて拠って生まれるのではなくて、文化や環境に従って形作られる部分も大いにある、という、いわば至極当然とも言うべき理論が腑に落ちる。
終始強い興味を失うことなく読了することができたが、個人的には「ヤノマミ」ほどのインパクトを受けることはなかった。 が、ヤノマミ同様、ピダハンにとっても大切なものは"過去"や"未来"ではなくて、ただただ"今"なのだ、ということはよく分かり、それは換言すれば生物としての本能に基づいた欲求にこそ正直に従っている結果なのだろうと思う。 だから、これもヤノマミ族と同じく、ピダハンにとっての"個"の死は先進国に住む我々のそれとはまったく意味を異にし、そこに著者および私たち読者はそこはかとない"恐怖"を感じるのだろう。
そして、逆説的になるが、ピダハンという少数民族の個性よりも、自分たちの価値観こそが世界の中心であると思い込んでいるアメリカ人の性質の方が、読後に改めて強く印象に残るのであった。 著者のダニエル・エヴェレット氏はアマゾンで生活を続けるうちに、そうした自己内のアングロサクソニズムが崩壊に至ったようだが、そちらのプロセスにも興味を覚える。 |