これはすごい本だ。
起承転結がキッチリと計算された構成にはなっていないが、体験者だけが語りうる、ザラザラとした質感をハッキリと伴い、時に読み手の胸に突き刺さってくるような圧倒的なリアリティが、だからこそ確実に浸透してくる。
著者はドキュメンタリー番組を作るという業務目的のため、同じ“人間”という種族である、それ以外にほとんど共通項を持たないようなアマゾン奥地に暮らす部族の集落に身を投じ、共同生活を送ったわけだが、おそらく完成した番組からも画面を通しては決して伝わってこないであろう、スタッフだから、仕事だからという理由で身の安全が保障されているなんてことはまったくないその恐怖と不安たるやいかばかりのものか。
同じ業界で飯を喰う者として、我が身に置き換えて考えてみたら、その戦慄は一層際立つ。
その恐怖感とはとどのつまり、ヤノマミの人々の価値観の内にある、生死を分かつ境界というものが、我々が知る現代文明社会におけるそれと比べてあまりにも曖昧である、という着地点に落ち着くのではないだろうか。
個人主義とかファシズムとか、そういった近代以降の理性的な分類とはまったく異なる次元で、ヤノマミの人たち個人の生死が持つ濃度は全体の中において私たちには希薄に感じられる。
人以外の動物や生き物によく見られるような、個の生よりも種の存続と継承を優先する、という摂理がより強く残っているように思われるのだ。
現代社会に暮らす私たちの個が生に対して執着するということは、すなわち欲の現れである。
それも、食欲や性欲、睡眠欲といった原始的な本能ではなく、物欲、名誉欲、支配欲など、他の動物が備えないような後天的な欲求の現出に他ならない。
物質的に豊かといわれる、いわゆる先進国に暮らす私たちはそういった即物的な欲望に如実に支配されてしまいやすい。
今日獲るのは今日必要なものだけ、“モノ”に対する執着が我々に比すと格段に薄いヤノマミの人々にとっては、死というものに向き合う距離感もまた、私たちには実感が困難なほどに近いのではないだろうか。
現世に遺すモノに執着すればするだけ、死に対する恐怖は高まり、今生への未練も引きずりやすい。
それは実は、とてつもなく不幸なことなのかもしれない。
人間とていうまでもなく、動物の一種である。
哺乳類に属する一種に過ぎない我々人間が、いうなれば本来の獣に近いとも表現できるこのような生活様式に則って生きることは、本当の意味でナチュラルなことであり、ストレスフリーなあるべき姿なのではないかな、とこの本を読んでいると改めて感じてしまう。
いや、そうであるのだ、と私たちは皆既に知っているような気もする。
と言いながらも、後半に差し掛かると、こんなヤノマミにも実は以前から西洋科学技術の長い手は伸びていて、連綿と続いている伝統が脅かされている側面もある、という事実も明かされる。
そして私たちは、未だにこのように動物本来の野性を保ちながら暮らしている人間たちがいるのか、と感嘆するのと同時に、やはりもうこの地球上に近現代文明社会の影響が及ばない地は存在しないのだな、と否応なしに思い知る。
と、このように文章に綴れば大仰に聞こえてしまうような様々な理を、まったく大上段に構えることなく、純粋に自らが見聞きし、感じたことをシンプルに構成していくことによって読者に伝え切ってしまう、そんな著者の体験こそが凄まじく、それを著す手法が優れているのだ。 |