例によって少ーしとっつきにくい冒頭の何ページかを乗り越えると、あとはもう次々とページを繰らずにはいられないいつもの京極ワールド。
「この章読んだら寝よう」が「もう1章だけ」に幾度変じれば済むのか、そして結局は一晩で。
何と言っても上述のように、先を読まずにはおれない、続きが楽しみで仕方がない文章の綴り方は本当に比類なき名人芸。
それもいわゆる現代叙述ミステリーなどの類ではなく、この手の時代物の形をとりながら。
換言するなら、時代物、それも礎となる原作を持つ時代物でありながら、それを戯作者の魔法の筆によって超一級のミステリーにまで昇華させていると表現できるのかも。
さらにこれは物語の本筋とは関係ない些事かもしれないが、目の肥えた読者を失望させない“日本語力”というものも、当たり前のことながら絶技だと思う。
プロとして小説を書いて出版しているのだから文章が上手いのは当然だ、と思うかもしれないが、決してそうではない、と私などは感じている。
たぶんストーリーは面白いんだろう、趣向を凝らされ、秀でたプロットなんだろう、とは思えても、使われている日本語の感覚が読んでいる自分のそれと合わなくて、僭越の極みながらさらに突っ込んだ表現をさせていただくと、文章を紡ぐ“日本語力”が稚拙なために、途中で興味を削がれてしまう小説も少なくないから。
作品のジャンルや世界観に合わせて巧みに使い分けられている豊富な語彙も併せて、京極夏彦の日本語感覚は本当に超人的だと思う。
余談ながら、「巷説百物語」シリーズや「嗤う伊右衛門」などに登場する人物たちがちょっとした端役も含めて何人か本作にも出てくるから、これらの作品が既読だと少し余計に楽しめる。 |