舞台こそ室町の京だが、「光秀の定理」同様、描かれているのは著者の得意とするまさしく"垣根ワールド"であり、往年のカンフー映画を思い出させる才蔵の修行シーンに代表される構図は「ギャングスター・レッスン」のようでもあった。
飢饉に悪政が重なり、鬱積した庶民の憤怒が爆発する応仁の乱前夜の世相が生々しく、そして読み応えたっぷりの筆運びで綴られているが、実はそこには現代の日本社会もまた映し込まれているのではないか、とも勘繰ってしまう。
気に入らないことや納得できないことがあっても暴れたりしない、という点においては、それなりに成熟した民度が表れていると言えるのかもしれないが、余りにも理不尽極まりない体制側の所業を目の当たりにし、その実害を被ってなお大人しく日々呑気に暮らしている日本人は少なからず奇異である、という見方も世界にはあるだろうと思う。
著者は今、こうした時代背景を持つ小説を世に送り出すことによって、馴致され過ぎている現代の日本人の群れの中に一石を投じたのかもしれない。
張り詰めた場面が連続する中にも、クスリとさせられるユーモラスなくだりを絶妙なバランスで差し挟んでいるところもいかにも垣根涼介氏らしい。
惜しむらくは、一揆の戦闘シーンの描写がやや一本調子で現実離れしている点と、序盤でこの時代の"姓"と"苗字"を区別せず混同して用いている点ぐらいかな。 |