またしても見事な再構築という他ない。
最前からくっきりと書き示されている各登場人物のキャラクターは屹立して物語の行く末に対する期待を大きく膨らませる。
一見、狂気を帯びているかのように感じられながら、実は私たちが日常抱いているものと同じ感覚を多く共有する劇中の人たちをリアルに描くのが、京極夏彦氏は本当に上手い。
「嗤う伊右衛門」もそうだったが、市井によく知られている古典が現代におけるアレンジによってこのように昇華されるとは、まさに驚嘆。
小説に限らず、音楽や映画など多くの分野で、カヴァー作品がオリジナルに匹敵するほどのクオリティに達することはあまりないと私などは感ずるが、そういった先入観が京極氏に限って当てはまる訳はないわな。
クライマックスから終劇にかけては意外とあっさり走ったな、という印象。
張り巡らされた伏線から鑑みるに、もっとドロドロした展開にも持ち込むことはできたはずだが、そこは著者の賢察においてこのような幕引きが選択されたのだろう。
それによって、凄惨の一語に尽きる修羅場は強調されているし、また、救いようのない深み、というような要素も却って際立っているのかもしれない。
徳次郎や又市がこのような形で物語に関わっているのは、例によってファンとしては嬉しい話。 |