海洋空間編集長雑記



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2003年12月分




2003年12月27日(土)
「今シーズン初スノーボード」


24日から26日までユカリンとスノーボードに行ってました。
夏休みを取れていなかったので、それを振り替えての一歩早い休みです。

今回行ったのは青森県の鯵ヶ沢というところです。
実はこれまで鯵ヶ沢という地名すら知らず、どうせなら今まで行ったことのないところがいいなあ、
まあJALのツアーパンフレットに載ってるんだしゲレンデも大きそうだからいーんじゃねーか?
という具合で申し込んだのですが、期待を大きく上回る良さでしたね。

まず何よりもボクたちがご満悦だったのが、人の少なさ!
時期的に少し早かった、ということもあるんでしょうが、抜群に客が少ない。
お昼時真っ只中だというのにレストランに空きがあるし、
リフトやゴンドラも待つどころか人の乗っていない箱の方が多かったかも。
最終日、26日になると少し人出は増えていましたが、24、25日なんかは本当に少なかったですね。
お祭ごとや観光地なんかではあまりに人が少ないと快適を通り越して逆に寂しかったりもするもんなんですが、
ゲレンデに限っては少ないに越したことはありません。

かといってゲレンデが魅力ないのかというと、決してそんなことはありません。
蔵王や安比に比べれば聞こえはマイナーですが、腐っても東北(失礼)、
関西や中部の山なんかに比べたらかなりスケールはデカめです。
コース一本一本の距離が長く、それに雪質も無論関西近郊の山などとは比較するべくもなく、
人の少なさと相まって相当に気持ちよく滑れました。
しかも2日目、25日の夜から雪が降り出したこともあり、
翌26日の午前には最高のパウダーも楽しめましたしね!

あとは土地柄なのか、ファミリーやスクール生、初心者の人たちなんかがとても多く、
非常にのどかなイメージのゲレンデでした。
スキーヤー:スノーボーダーの割合も今時珍しく、9:1ぐらいでしたか。
圧倒的にスキー人口の方が多かった。

泊まったのはゲレンデ界隈を一括経営している西武コクドグループの鯵ヶ沢プリンスホテル。
ボクが宿を選ぶ絶対条件、大浴場と露天風呂も付いてるし、特に文句の付け所もございません。
ただ朝食のバイキングの時に出ていたおかず「リンゴのしそ巻き」、あれだけは言っときたい。
その名の通り、リンゴをしそで巻いているという恐ろしい食べ物です。
皆さん、まずいと思うでしょう?
そんなん合うわけがないと思うでしょう?
ボクもそう思いました。
でもこうも思いました。
「ここはリンゴの国、青森県。
リンゴの何たるかをすべて知り尽くしているに違いない人たちが
今時一般に受け入れられないような加工品を作るだろうか?
いや、そんなことはないはず。
ある程度食えるからここにも置いているのだ。」

結果的には直感の完勝でした。
あんなまずいもの、とてもじゃないが食えたものではない!
別々にして普通に食え!
お土産物屋さんにも売っていましたが、あれは本当に市民権を得ている食物なのでしょうか?
もし青森県の読者がいたらぜひ教えてください。

最終日、午前中の滑走を終えて昼食を済ませた昼下がり。
すぐ脇のゲレンデから聞こえてくる嬌声を耳に聞き、
しんしんと降りそそぐ牡丹雪を浴びながら露天風呂に身を沈める。
そしてシャキンとそびえ立つ杉林の木々の合間から覗き見えるリフトを眺める。
春先からは我が天敵と成り代わる杉の木すらこの時ばかりは竹馬の友と感じられるような、
日常では得ることのできない至福に満たされた一時でしたね…。



2003年12月21日(日)
「野球チーム納会」

2ヶ月ほど前にTF編集長が入れてもらい、
ここに骨を埋めよう!オレの主戦場だ!と思っているとある野球チームがあるのですが、
その2003年納会が昨日、キャプテンのてっちゃん宅で行われ、ユカリンともども参加してきました。

16時と早めの時間に集合、鍋を全部で3卓立てるとのことで、皆いそいそと準備をしていたわけです。
ボクはボケーっとしてましたけど。
てっちゃん夫人のひーちゃんは身重にもかかわらず、
いつも寒風吹きすさぶ中試合や練習に来てくれるのですが、
この日も大きなお腹とお尻をかかえてよく働いてくれていました。
感謝。
他の人々が準備をしたり買い出しに行ったりしている間、
ボクは早くも一風呂浴びて飲んだくれている家の主、てっちゃんとプレステ2に興じているなど、
とても初めてお邪魔したお宅とは思えぬほど非人道的な立ち居振る舞いをしておったわけです。
「みんなのゴルフ」おもしれーなー。

そんなこんなで鍋パーティーを兼ねた納会が始まり、皆で空腹を満たしつつ歓談。
ちなみに3つの鍋は、普通の寄せ鍋、キムチ鍋、そして世にも珍しい?トマト鍋。
このトマト鍋は、とてもこんなシャレた料理など作るどころか
食べる方すらも縁遠いちゃうんかと思わせるような顔面剛毛一文字眉毛男、
またの名を一人新今宮、イランの力作なのですが、その風貌にまったく似つかわしくなく、実に旨かった。
イランからイタリアンに改名じゃ。

集まったのは総勢12人、このメンバーの中に混ぜてもらって騒いだのは今回が初めてだったんですが、
めちゃめちゃに面白かった。

てっちゃんの弟、ケンちゃんは宴会が始まって一時間ほどで顔を真っ赤っ赤にして、
生後4ヶ月の愛息よりも早くスヤスヤと眠りの世界に落ちていきました。

オノケン監督は、28歳とええ年した大人でありながら、
22歳の好きな女の子にどんなクリスマスプレゼントをあげたらいいか甚だ真剣に場の女性陣に助言を求め、
そしてその女の子にいくら電話をしてもつながらぬと、
ポン酢の一升瓶を小脇に抱えながら一人枕を濡らしていました。

今年の首位打者&MVPに輝いたイランは、
完全にテンションが上がってしまって、しゃべりたいだけしゃべり倒したあと、
剛毛まみれの太鼓腹を放っぽり出してソファーの上で大いびきを掻いていました。

てっちゃん・ケンちゃんブラザーズのいとこ、20歳の貧乏学生・トモは、
赤貧のあまり電車賃すら持ち合わせず、この冬一番の寒気が訪れ、大阪市内ですら雪が舞ったこの日、
豊中市から八尾市まで3時間かけて、ちっちゃいちっちゃいタイヤの折りたたみ自転車でやってきていました。
関西圏以外の方に補足説明しますと、豊中市から八尾市というのは、
車で一般道なら軽く一時間、高速道路を使っても30分はかかろうかという道のりです。

他にも、ここには書き切れぬほど楽しかったこの納会、
翌日朝から仕事だったので、ボクたちはお先に失礼したのですが、
それでもてっちゃん宅を出たのは何と深夜0時。
ワシら8時間もおったんかい!
このチーム、サイコーだぜ!



2003年12月20日(土)
「日仏伊自動車メーカーの相違点に関する考察?」


私どもは来春、引越しを控えているのですが、
引越しが済んだら愛車の買い替えなんぞももくろんでいたりします。

ちなみに現在の愛車はMGFという2シーターのオープンカー、
いわゆるロードスターっちゅうやつです。
この車はもう天気の良い日なんかに屋根開けて
琵琶湖の湖岸道路や六甲の芦有道路を流せばサイコーの車なんですが、
当然のことながらいかんせん実用性が低い。
低いというかゼロに近い。
スノーボードを積むことができないし、そもそも雪道なんか走ることすら想像も及びませんし、
座席のすぐ後ろがエンジンルームなので、シートのリクライニング機能すらない。
独身時代はそれでもまあ特に問題はなかったんですが、いざ家庭を持ってみると、
たとえばボクや妻の親が遊びに来ても車で出掛けることができない。
2人で駅に迎えに行くこともできない。
友達だって同じです。
まさにボクにとって、運転する悦びだけに満ちた車なのであります。

2台所有できるような恵まれた環境があれば別ですが、現実問題、ゆくゆくのことなんかも考えると、
やっぱりせめて4人は普通に乗れる車が必要であろう、ということで、
最近めっきりアタマの中がクルマ購入大作戦モードのTF編集長なのであります。

この数ヶ月間、休みの日を利用して、狙いを定めつつある3つのディーラーを訪れてきました。
一つは日本車のマツダ、一つはイタリア車のアルファロメオ、一つはフランス車のプジョーです。
クルマそのものに関するインプレッションはここでは置いとくとして、
お国柄といいましょうか、各メーカーの特色といいましょうか、
それとももしかしたらたまたま担当者のパーソナリティーによるものだったのか、
3つのディーラーそれぞれについて感じたボクの印象というものが、
面白いぐらいに対照的なものだったのです。

まずマツダの場合。
第一に日本車に関しては、自動車にそれほど積極的な興味を持たない多くの人たちも、
車を買うためにディーラーを訪れるという特徴があります。
細かいモデルや型式名も知らないし、エンジンやサスペンションなんかもこだわらないけれど、
家族5人が乗れて運転がラクでそこそこかっこよくて荷物が積めて
壊れなくて燃費がよくて安ければいいな、というタイプの人たちです。
お客さんの多くがそういうニーズの人たちだからなのかどうか分かりませんが、
営業マンもそういったお客さんにズバリ合ってる人なんだな、という印象をボクは持ちました。
一言で言うと、クルマそのものに対する愛情、みたいなものをあんまり感じなかったんですよね。
自社の製品に関しては通り一遍の知識はもちろんあるでしょうが、
自動車全般に関する深い知識や、その知識の源となる関心があまりないように思われたのです。
もっと彼について想像力を働かせるならば、何となく学校を卒業して、
何となく自動車メーカーに入れたから入ってしまったよ、みたいな。
違ってたらすまぬ。
試乗中に隣で同乗してくれている時も、こちらから質問を投げかけない限り、
ぬうーっと押し黙ったままなのです。
アピールしてくるポイントもクルマそのものの性能や特徴ではなく、
こんだけドバーンと値引きしますから、というコスト的なアドヴァンテージの部分。
せっかくいいクルマなんだからもっとそこをアピールすればいいのに。
決して悪い印象の人ではないんですが、
ことクルマ好きの相手としてはちょっと物足りないなあ、という感じでした。

次にアルファロメオの場合。
まったくマツダの場合とは好対照で、悪い言い方をすればはっきり言って“クルマバカ”ですね!
ボクは顧客も従業員もこの点については共通だなと思うんですが、
たとえばアルファロメオという自動車メーカーには、
クルマというものに少なからぬ興味がなければ行きませんよね。
クルマ好きじゃなければアルファのディーラーには足を運びませんし、
それは働く側も同じだと思うのです。
それほどクルマに強い関心がなくても、トヨタやニッサンやマツダに就職する人はいるでしょうが、
それでアルファに入ろうと思う人はいないでしょう。
それをアルファロメオのディーラーでは肌で感じましたね。
とにかく話の内容も深く、そして熱い。
前述のマツダの営業マンの場合は、
ボクが知っているようなことを彼が知らなかったこともあったりしたんですが、
アルファの営業マンに関してはまったくそんなこともなく、
エンスーのエンスーたる真髄を見せられた気がします。
その人自身、プライヴェートで乗っている車がアルファ75という、10年ちょい前のマニアックなクルマ。
とてもじゃないがシロートは手を出しちゃいけない、維持費に一体ナンボ掛かんねん…、という代物です。
自動車が好き、アルファロメオはもっと好き、という愛すべきオッサンです。
ただあまりにクルマが好き過ぎるためか、商売に関してはどうも下手っぽい。
たとえ自社、アルファの製品といえども、
彼が気に入っていない車種や装置、装備などについては思いっきり興味ないことが丸出しで、
何だったら客の前でけなしたろか、というノリなのですよ。
まあ実際にけなすまではなかったものの、
彼自身が気に入っているオススメのポイントについては時間を掛けて熱く語ってくれるんですが、
そうじゃないところについては説明も短い短い。
ややもするとこっちから訊かないと触れませんしね。
恐らく信頼性や質の低い製品に関してメリットだけを弁舌巧みに語ることは、
彼のクルマニアの血が許さないんでしょう。
いやー、分かりやすい。

最後にプジョーの場合。
ここは見事なぐらいに上記のマツダとプジョーの中間、両面を併せ持ったディーラーでした。
クルマ好きが訪れる、という点ではアルファに近いとは思いますが、
ブランドイメージとしてアルファのように嗜好性の強いものではなく、
いわばフランスの大衆車、というところがあるからでしょうか、
商売っ気もそれなりに持ち合わせているなあ、と感じた次第であります。
担当してくれた営業マンは、
アルファやフィアットといったイタリア車も含めて欧州車をいくつか乗り継いできているらしく、
自動車そのものに関する愛情の深さも見えましたし、
それでいて自社のアドヴァンテージや価格の安さ、
サーヴィスの充実なんかをアピールすることも忘れません。
とてもバランスのとれた、理想的な営業マン、という印象を受けましたね。
ちなみにお土産をたくさんくれたのもココでした。

さて、ボクが買うクルマは一体何になるんでしょうか?



2003年12月16日(火)
「プチ同窓会?」


昨日夕刻仕事中、旧友のY子からメールが入りました。
今、旦那さんの仕事の関係でタイに住んでいるこれまた旧友のS子が一時帰国中で、
一緒に遊んでいるから、良かったら晩飯でもどうか、と。
幸いその日は仕事を早く終えることができたので、合流しました。

二人とも小・中学校時代の友達で、旧友とは言いつつも何と会うのは中学卒業以来の15〜6年振り。
ちなみにY子とS子も会うのは同様に中学以来だとか。
何ともまあ即席プチ同窓会のようなお食事会となったわけです。
ちなみに3人とも三十路を迎えてすでに伴侶を持つ身。
時の流れは皆に平等に。

不思議なことに子供の頃の知り合いというのは、いくら長い年月会っていなかろうが、
会うと途端に昔のままの気の置けない関係に戻れるものです。
それぞれの近況報告や楽しい昔話などに華を咲かせて、あっという間の3時間半でした。

終電で家に帰ると妻・ユカリンが「私も行きたかった〜〜〜」とオカンムリではありませんか。
そうなんです、ユカリンも中学時代の同級生だったではありませんか。

早速Y子に電話を掛け、今日のランチをY子、S子、ユカリンの3人でとる約束を交わしたようで一安心。



2003年12月11日(木)
「オウム真理教コンサート体験追憶記〜亜空間・亀山城の誘い 7」

前回の続きです。

“信者でなくても肩を揺さぶる”、まさにオウム真理教随一の名曲といえる
「シャンバラシャンバラ」の演奏も夢心地のうちに終わりを告げ、
それをクライマックスとして「キーレーン・コンサート」のプログラムはすべて終了しました。

完全に場違いであったボクたち3人の非信者も、
往路では周囲の尖りきった雰囲気に怯えまくっていたことなどすっかり忘れたかのように、
帰り道は「シャンバラシャンバラ」によってもたらされた至福感の余韻に包まれたまま、
恐怖の微塵も感じぬままにフワフワと浮かれ気分のまま歩を進めていたことを憶えています。

ここまで引っ張ったからには何か面白いオチが用意されているのであろう、
と過剰な期待をお寄せの方がもしいたら大変申し訳ないのですが、
このエピソードはすべて事実の客観的なレポートにつき、何もございません。
ボクも非常に残念です。

ただ、ここにきてようやくボクが当初から伝えたかった結論めいたところに行き着くわけですが、
先日、といってもこれを書き出したのが10月のことですからもう随分と以前になりますが、
数ヶ月前に京都府亀岡市にある亀山城址を訪れた時、
強烈に10年前のこのオウム・エピソードが思い起こされたのです。

知ってる人は知ってると思いますが、亀山城というのはもちろん由緒正しき城なんでしょうけど、
現在は大本教という新興宗教がその建物ならびに城がある公園を買い取っているようで、
その総本山となっているのでありました。
ちなみに大本教は明治期にできた宗教で、
開祖の一人には丹波哲郎の「大霊界」(これは子供の頃ボクも読んだ)にも登場する
超能力者・出口王仁三郎も名を連ねているということです。

ボクは恥ずかしながら最近までそれを知らず、
数ヶ月前に亀岡市にある湯の花温泉という有名な湯に赴いた際に、
せっかくだから近所の観光スポットも周ってみようか、と思って行ったのがこの亀山城でした。
天気も良く、城のある公園も広くなかなか雰囲気のよさそうなところに感じられたので、
多少楽しみにして中に入ろうとしていたわけです。

ところが、まず車を停めようと駐車場を探していた時から
「何かがおかしい」と思われて仕方がない。
日曜の真昼間、青空が広がっている好日だというのに、
観光に来ているらしき人々の気配がほとんど感じられないのが一点。
そもそもこういった観光スポットには当然備わっていて然るべきであろう、
有料の駐車場がまったく見当たらないのが一点。
隣接する広大な駐車場はあるにはあるんですが、
その入り口には駐車場の看板や料金所がある代わりに、
目がイッちゃってる一見オタッキーな風貌のアンちゃんが2人、誘導用の棒を手に立っており、
その両脇には、あとでわかったんですが大本教のシンボルマークを大きくしつらえた、
まるでタイガースの応援団が甲子園のアルプススタンドで振り回していそうな巨大な旗が立っているのです。
何回か周囲をグルグル回りながら見ていると、その駐車場に入っていく車も何台かいましたが、
地元ナンバーの軽自動車とか軽トラとかが多く、乗員も観光客とは程遠いイメージの、
おっさん一人であったり、おっさん二人組みであったり。

こりゃあもう絶対的に何かがおかしいなということは分かっていはいたんですが、
せっかくここまで来たんだし、城をこの目で見るまでは帰れるものかと、
近くのコンビニの駐車場にコッソリ車を停めて、公園に侵入することにしました。

車で走っている時は見落としていましたが、徒歩で入ろうとすると嫌でも目に入ってきました、
公園入り口の門扉に取り付けられている“大本教 総本山”という金属札。
うーんこの緊張感、まさに「キーレーン・コンサート」に行った時の、
長岡天神駅から会場に向かっている途中の気持ちに似通っているではありませんか!
不必要に辺りをキョロキョロ見回してしまいます。
歩く人の姿は相変わらずほとんど見られません。

しかし、次第に公園の中心部、城の建物があるであろう地域に近づいて行くにつれ、
何やらお経のような、呪文のような人の声が聞こえてきました。
それも一人二人の声ではなく、何十人単位のものです。
その不気味さとおぞましさに内心畏れながらも、
もう真相を突き止めようという衝動は抑えられません。

これも後々分かったことですが、この亀山城はもう建物は残っておらず、
お寺の本堂のような建築物がいわばメインの施設として使われているらしいのです。
その本堂の中に、いましたいました、所狭しと正座をして整列している、
恐らく100人はくだらないであろう大本教信者団が。
その全員がきっちり声を揃えて件のお経だか呪文だかを詠唱しているのです。
この光景は21世紀に現れた魔界か、はたまたボクの精神が創り出した幻想なのか?
一瞬本気でそう思いましたね。
普通じゃない、この人たちは!

一人、もしくは少数の僧に当たる身分の人がお経を詠み、
それを大勢の信者が聴いているという図はたやすく想像ができます。
しかし、全員が暗誦しているという事態にまでは普通考えが及びません。
そんなことはありえない、とボクの脳ミソは判断を下すわけです。

結論;この場を速やかに離れなければいけない。
すかさず踵を返して元来た入り口へ向かったのは言うまでもありません。
不思議なことに戻る途中、まったくこの場、状況とは結びつかない、
制服姿の女子高生3人組とすれ違いました。
一刻も早くここから立ち去りたい、という気持ちは強かったんですが、
それよりも「!?!?何なんだこいつらは!?!?」という疑問の方が勝ってしまい、
恐怖感を少しの間鎮めて、、しばし彼女たちの動向を見守っていました。

まるでそこらの街中を闊歩しているかのように、彼女たちは普通に談笑しながら歩いています。
そして普通の足取りで、例の魔界、幻渦巻くあの本堂の中へと消えていったのでありました。

人間、知らなくていいこともあるもんですなあ。



2003年12月3日(水)
「オウム真理教コンサート体験追憶記〜亜空間・亀山城の誘い 6」

ついに12月に入ってしまい、足掛け3ヶ月に渡る長期企画?になってしまった…。
早いこと終章に辿り着かねば。
っちゅうわけで、11月24日分の続きです。

オウム真理教は元々尊師がやっていたヨーガを発展させて作り上げた宗教のはずですが、
一般ウケするためか、日本人により馴染みの深い仏教の要素も少なからず採り入れており、
マハーヴァーラタとかニルヴァーナとかラーマーヤナとかいった仏教用語も冊子などにはしばしば出てきます。
そのくせメシアとかアルマゲドンとか、モロキリスト教だろそれっていう思想要素もしばしば用いている、
要するに当ったり前ですがそこには何の一貫性もないインチキ教なわけですが、それは置いとくとして。

“シャンバラ”という言葉も仏教用語の一つで、その意味は確か“理想郷”とかいうものだったと思います。
その言葉が二度重ねられた曲名、「シャンバラシャンバラ」。
「理想郷理想郷」。
そしてその名の通り、いやむしろその名を凌駕するような果てしなく甘美な曲でしたとも、それは!

もう細かいことはもちろん曲を聴いていただかないことには説明できなくて申し訳ないのですが、
まるで70年代の旧き佳き特撮戦隊ヒーローものの主題歌のような勇ましいリズムに、
何とグル直々に歌唱する詩が乗っているのです。
「♪シャンバラシャンバラッ シャンバラシャンバラッ♪」という歌詞が。
『ああ電子戦隊デンジマン』の冒頭を飾るコーラス、
「♪デン デンジマン デン デンジマン♪」に大きく通ずるところがあります、リズム、節回しともに。

会場を埋め尽くしたサマナたちはそのリズムに合わせて両肩を左右に揺らしています。
横ノリです。
そしてふと横を見てみると、牛頭大王とヨッちゃんもノッています。
その体を左右に揺らして恍惚の笑みを浮かべているではありませんか。
そしてふと我が体を見てみると、見事に音楽にノッていました。
グラグラと揺れている肉体と精神。
オウム・ミュージック侮るべからず。

続きはまた次号!





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