海洋空間編集長雑記



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2003年11月分




2003年11月24日(月)
「オウム真理教コンサート体験追憶記〜亜空間・亀山城の誘い 5」

前回の続きです。

楽団員たちが奇妙奇天烈なコスチュームでステージに出てきた後、
ゆっくりとコンダクターが上手袖から歩いてきました。
同じサマナ服を着たその指揮者はロシア人ではなく日本人、
パンフレットによると筋金入りの幹部信者で、その名もウルヴェーラ・カッサパ正悟師。
この男の名は、当時オウム報道の音楽関連分野においてはちょこちょこメディアに露出していたので、
ひょっとしたらご記憶の読者諸君もおられるかも知れませんね。
いや、普通に考えたらいねえな…。

まずはスタンダードなクラシック・ナンバー、恐らくドヴォルザークだったと思いますが、
そんな曲目からコンサートはスタートしました。
演奏力に関しては、やっぱりというか何というか、
お世辞にも上手いとはいえないレヴェルであったことはよく憶えています。

何曲か“普通の”クラシック曲を演奏した後、いよいよ今回のメイン・プログラムであるところの
“オウム真理教オリジナル・チューン writen by 麻原彰晃(グル)”へと曲目は進行していきました。
それに先立ち、真打ち、尊師もステージ中央にデデーンと姿を現しています。

これも事件当時頻繁に報道されていたので、そのメロディーを憶えていらっしゃる方もいると思いますが、
「エンマの数え歌」(♪わ〜た〜しはやってない〜け〜っぱくだ〜
 お〜ま〜え〜はう〜そつき〜ゆ〜うざいだ〜♪ってやつです)であったり、
曲名失念しましたが、
♪しょうこう しょうこう しょこしょこしょうこう あっさはっらしょうこう〜♪というあの曲も演っていました。
もちろんリードヴォーカルは尊師がとっています。
学祭の講演会の時のように、神輿に胡坐を掻きながら。

サヴァンナの草原で異変を察知して厳戒態勢に入ったシマウマの群れのように、
背筋を伸ばした寸分違わぬ態勢でステージをじっと凝視し続けている信者軍団の眼からは、
今にも感涙の雫がポタリポタリと垂れてきそうです。

そしてヨッちゃんはというと、彼もそもそもはボクたちと同じバンド・メンバー、
元来が音楽好きなので、予想に反してコンサートが始まってしまうとノリノリではありませんか。
「あっこのバイオリンのミュートが甘いよな〜」などと
もうすっかりオウムお抱え音楽評論家のごとく聴き入っていました。

ボクはやはり若干の緊張と警戒心をその身に残したまま、大人しく演奏を聴いていたんですが、
そんなボクも含めて、3人のド肝を抜く目玉ナンバーがこの後控えていたなどとは、
とても知る由がありませんでした。

思い出すだに今も全身が粟立つその曲の名は、「シャンバラシャンバラ」!
ああ、恐ろしい…。

続きはまた次号!



2003年11月23日(日)
「オウム真理教コンサート体験追憶記〜亜空間・亀山城の誘い 4」

さてさて前回の続きです。

京都を出発した時のハイテンション具合など一体どこへ霧散してしまったのか、
借りてきた猫のように怯えて恐る恐る、
僕と牛頭大王とヨッちゃんの3人は会場に一歩足を踏み入れました。
まさに戦場のど真ん中、敵地の奥深くに乗り込んでいくランボーのように。
ランボーは強いからまだいいですが、我々は実力も伴わない単なる無謀な突撃です…。

長岡京市民会館の中はというと、もうやっぱりというか何というか、
そりゃもう恐ろしかったですよ、普通に。
例えて言うならば、10月15日のところで書いた「麻原彰晃講演会」の時などとは比較にならない恐ろしさです。
あの時は大学の学祭だったということもあり、
いわゆる信者ではない普通の学生たち、冷やかしの聴衆も多数詰め掛けていた、
“開かれたイベント”でありました。
ところが今回ばかりはまったく違います。
そらまあ考えたらそうですわな、偶然居合わせたなんて事態のありえない、
この「キーレーン・コンサート」にわざわざ足を運んでいるような連中の中に、
いわば物見遊山的な輩なぞは一人もいなかったことでしょう。
ボクたちを除いて。
積極的・能動的参加者しかここにはおらぬ、というわけです。
つまり、オウム真理教信者オンリー。
オウム真理教信者軍団の人並みの中にポツリ。

…って、実はこんなことを書いてwebで発表してること自体がすでにヤバいのかも知れないですけどね。
表立った活動は控えているとはいえ、
オウム真理教信者の存在というものは確実に現在もあるでしょうから。
まー乗りかかった船だ、しゃーないか。

さて、大人し〜くして待つこと数十分、定刻になり、
会場の照明が薄暗くなって、“キーレーン”の楽団員たちがステージに登場してきました。
全員当然のように真っ白なサマナ服に身を包んでいます。
そしてその構成員たちはチラシの通り、大部分が白人、ロシア人のようでした。
第2外国語としてロシア語を履修していた牛頭大王は興奮したのか、
「ダスビダーニャ!ガスパージン!キーレーン!」と奇声を発し始めましたが、
ボクは恐ろしいので彼の方に顔は向けませんでした。
ヨッちゃんに至ってはもうブルブルと体を震わせ、口からはよだれが垂れています。

こうして史上稀に見るとんでもないクラシック・コンサートは幕を開けたのです。

続きはまた次号!



2003年11月13日(木)
「オウム真理教コンサート体験追憶記〜亜空間・亀山城の誘い 3」


10月22日分の続きです。

「キーレーン・コンサート」にはボクと牛頭大王のほか、
バンド仲間のM山ヨッちゃん(男)を仲間に引き入れ、3人で行くことにしました。
ちなみにあれから10余年、現在のヨッちゃんはマサイの女戦士を妻に娶っています。

私の記憶が確かなら、「キーレーン・コンサート」が催されたのは長岡京市民会館。
当時京都市内に居住していた我々は、
河原町駅から阪急電車に乗って長岡天神駅へと向かったわけです。

往路の電車中では、
今まさに赴かんとしている非日常の世界がすぐそこまで迫っていることによって
我々の精神状態も甚だ高揚していたようで、
オウム絡みの軽口なんかもバシンバシンと叩いていたわけです。
しかし、目的地の駅に降り立った瞬間にそのお祭り気分、ピクニック・テイストは
どこかに吹き飛んでしまいました。

明らかに空気が違う。
この街を包む“気”が違う!

改札口を出たすぐのところに、「サマナ服」を身に纏ったサマナたちが
案内用のプラカードを持って能面のような表情で佇んでいる。
駅から会場に向かう道中に立っている電信柱すべてに、
今日の「キーレーン・コンサート」のビラがビッチリと貼られている。
そして電柱だけでは無論なく、会場に近づくごとに案内役のサマナたちの数はいや増してくる。
笑っているものなど誰もいない。
着飾っているものなど誰もいない。
その無音のプレッシャーたるや、我々の体を粟立たせるにあまりあるものです。

こんなところではうっかりしたことはとてもじゃないが、決して口走ることはできません。
最初からどちらかというと今回の冒険小旅行に乗り気ではなかったヨッちゃんは、
「俺の身にもし何かあったらお前らのせいやからな…」と激しく弱っています。
アウトロー・ガイ、アナーキストとしては当時かなりのものだったはずのボクと牛頭大王も、
さすがにハマグリのように押し黙り、将軍様の葬儀に参列しているかのような沈痛な面持ちで
無言の行進を続けるしかありません。

もうこうなったら自分たち以外、周囲のすべての人間どもが、
人間ではない異形のものに思われてきて仕方がなかったことを強烈に憶えています。
四面楚歌などという言葉では生ぬるい、まさに死地に赴こうとしている特攻兵のような気分です。

好奇心につられてここまで来てしまったものの、
本当にこんな遊び半分でこのような催し物に参加しようとして正しかったのか、我々は?
という思いが一歩ごとに募っていく一方、着実に物理的な距離は目的地に近づいていき、
やがて会場の長岡京市民会館に到着と相成りました。

続きはまた次号!





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