海洋空間インドネシア旅行記



第4日
2005年5月18日(木)
     2006.2.9 公開

一度だけ夜中に目を覚ました。
5:45起床、さすがに体は少しだるい。
6:00、レストランでトーストオムレツの朝食を取る。
昨晩遅くまで働いていたはずのトニーアリーはもちろんすでに働いている。
ご苦労さん。

朝食のオムレツ
朝食のオムレツ

またお迎えが前日のように時間より早く来て急かされるのもアレなので
少し早めに準備を終えて待っていたのだが、今日はきっちり約束の7:00に現れた。
さっそく船に乗って出発だ。
今日はリンチャ島に行ってコモドオオトカゲを観察し、
その後スノーケリングをして帰ってくる予定。
ちなみに船も乗組員も昨日と同じ。

快調に船は海上を進んでゆく。
実は昨日の航海中に、操舵室の頭上に乗組員用の仮眠スペース
(と言っても単にモルタルで固められた屋根の上に粗末なマットが置いてあり、
陽除けにシートが張られているだけなんだけど)があることを知り、
笑顔で乗組員の許可を得て今日はそこに上がってみた。
なかなか快適だ。
横になれるというのがうれしい。
妻もそれを見ていて無理して上がってきて、ウトウトと眠りこけていた。

船のキャビンの屋根に当たる部分にあった仮眠スペース
屋根の上のスペースにはシンプルな布団も置かれていて快適だった

バトゥゴソックを出発して1時間弱、ラブアンバジョーの港に一旦立ち寄り、
昨日コモド島に上陸する時にも使った小さなカヌーを駆使して、
キャプテン自ら水と食料などを積み込む。
改めてリンチャ島へ向けて出発。

何といってもこの時の航海のハイライトは、イルカを見ることができたこと!
僕たちの乗った船の左側、10〜20mほど離れていただろうか、
数頭のイルカが時折背びれを海面に覗かせる動きをシンクロさせながら、
しばらく船と並泳しているじゃないか!
その時デッキに下りてボーっとしていた僕は、
すぐに屋根の上で休んでいる妻に向かって「イルカだぞ!」と叫び、
妻も無事に見ることができたようでよかった。

海面から出ているイルカの背ビレ
何とか撮ることができたイルカの背ビレ

その1時間ほど後だっただろうか、再びイルカを目撃!
今度は船の正面前方、こちらに向かって泳いでくる数頭のイルカたち。
船の右側ギリギリをスイスイと泳ぎあっという間にすれ違っていった。
ちょっとした興奮のひとときだった。

しかし、こうして自然の素晴らしさというものを実感している時に
同時に感じていたことがある。
それは、海にゴミがとても多いこと。
ハッキリ言って実際に現地に行く前に漠然と抱いていたイメージとはまったく違った。
日本においては悲しいことだけれども、
海どころか大気も土壌も河川も何もかも汚染され、
ゴミがあふれている状態が半ば当たり前となってしまっている。
その光景に僕たちは否応なしに慣れてしまっているのが現状だけど、
インドネシアの、しかも大手旅行代理店でもパックツアーが組まれていないような辺境、
僻地と言ってもよいコモドの海にもこれだけ多くのゴミが浮かんでいるとは、
勝手な思い込みではあるけれど、まったく想像だにしていなかった。
ペットボトル、ビニール、ナイロン…、
目につくそのほとんどがいわゆる石油を原料とする化学製品で、
バクテリアによる自然下での分解は不可能であり、
それどころか飲み込んだ生物を無駄に死に至らしめることも少なくない物たち。

たとえば僕たち日本人のように、実際の自然は身近にあまりないけれど、
様々な情報だけは過多に入ってくる国の住人は大体、
こうした環境問題について最低限のことは知っている。
海に分解不可能なゴミを捨てることが地球の環境破壊につながることは想像がつく。
それでも海にゴミを捨てる人は後を絶たないのだけれど。
ではこのコモドの人たちもそれを知りながらあえて海にゴミを捨てているのか、
というと、おそらくそうではないと思う。

多分現地の人たちにとっては、ペットボトルも食品を包んでいるビニール製品も、
ただ単に“とても便利なもの”であり、それを海に捨てることがなぜいけないのか、
地球の環境にとっていかに罪悪なのかということは想像も及ばないのだろうと思う。
彼らの住む世界は、その範囲にまではきっと広がっていない。
我々日本人がこうしてコモドに観光しに行くことはあっても、
ガイドのメウスや船のクルーやプリ・コモドトニーアリーが日本に旅行することは
まずありえない。
彼らにとっては自分たちの日々の暮らしそのものこそが重要なのであり、
世界のすべてであり、直接それに関係しないことは要するに“世界の外”なのだと思う。
喩えが適切でないかも知れないが、19世紀の産業革命時代のイギリスに、
また1960年代の高度経済成長時代の日本に、
将来の環境破壊を憂えていた人はきっと皆無に近かったのと同じように。

10:30頃、船はリンチャ島に到着した。
コモド島よりは大分近い、と聞いていたが、その通り。

リンチャ島の入り口
桟橋の先、リンチャ島の入り口

桟橋に降りて島のゲートに向かって歩いている時、
いきなりガイドのメウスが「君はこの島でもうコモドドラゴンを見た?」と訊いてきた。
え? 今来たばっかじゃんとかいささか不審に思いながら、
いや、まだだよ」なんて返したんだけど、
そしたらメウスは「俺はもう見たぞ!」とか何とか言うじゃないか。
何なんだよ! と思っていたらすぐに謎は解けた。
船着場の桟橋を渡り切ってすぐ、島の国立公園の入り口に当たる
ゲートの脇に置かれたリアカーの下に隠れるようにして、
コモドドラゴンが寝そべっているではないか!
全長はおそらく1.5mぐらい、まだ若いと思われる個体で、
顔つきにもまだ幼さが残っていた。
やるな、メウス

島の入り口すぐ、リアカーの下で寝そべっていた若いコモドオオトカゲ
顔のアップ
島の入り口すぐ、リアカーの下で寝そべっていた若いコモドオオトカゲ
表情にも幼さが残る

すでに心ははやっているが、
そこから200〜300m内陸に入ったところにある事務所まで歩き、
ここリンチャ島レンジャーと合流、彼についてトレッキングスタート。

リンチャ島の事務所周辺
リンチャ島事務所周辺の風景

事務所周りにいくつか木造のロッジのような建物があるのだが、
いきなりいるわいるわコモドドラゴンがその建物の軒下にたくさん!
10頭以上はいたんじゃないか。
中には数頭、2.5mクラスの大きなものもいたが、
2mに満たない若手もけっこういたみたいだった。

群れでいるコモドドラゴンに興奮しつつ、撮る
舌を出し入れしながら歩く
足の鉤爪も鋭い
他のコモドオオトカゲの尻尾の上に頭を乗せて休む
リンチャ島に群生していたコモドドラゴンたち

先客としてTシャツ短パンにサンダルという軽装
(トレッキングは結構ハードな山歩きとなるので、
Tシャツはともかく短パン・サンダルでは厳しい)の、
単独行らしき白人青年が「ワーオ!」と興奮して
パチリパチリとカメラのシャッターを押しているが、
僕も負けじと、暑さのせいだけではない大量の汗を流しながら心拍数を上げつつ、
気が付けば40〜50枚ぐらい写真を撮っていた。
ドラゴンに近付き過ぎて何度か注意もされてしまった。
どちらかというと前日のコモド島よりもこっちのリンチャ島レンジャーの方が
ドラゴンへの接近について厳しめだった。

ガイドのメウスレンジャーも、そして妻もひとしきり僕が満足するまで待っていてくれ、
それからリンチャ島トレッキングへ出発。
先にも少しだけ書いたが、
普段歩き慣れていない人にはちょっと辛いかも知れないぐらいの、
割とハードな山歩きだ。
前日のコモド島は後にスクーバ・ダイヴィングが控えていたので
短めのトレッキングだったけど、今回はみっちり1時間ほど、
レンジャーの後についてアップダウンも激しいトレッキング道を歩く。

なかなかに厳しかったトレッキング路
トレッキング道はアップダウンが激しい

トレッキングの前半に、
我々が歩いている細い道の前方を逃げていく1頭のコモドドラゴンに遭遇。
あまり大きくなく、全長1.5m前後か。
多分最初はこっちに向かって歩いていたんだけど、
人の気配を感じて引き返して行ったっぽい。
後姿とはいえ、必死で走るコモドオオトカゲを見ることができて面白かった。
ちなみに走るスピードは人間の小走りぐらいだった。
本当に逃げたければすぐに道を逸れて森の中に入ればいいのに、
それをせずにひたすら道を引き返して行ったのがご愛嬌。

一本道をひたすら引き返していくコモドドラゴン
我々が行く一本道を走って引き返していくコモドドラゴン

他にも同型ぐらいのをもう1頭、今度は道を外れた小川に沿って歩いている姿を見ることができた。

ここリンチャ島にはもちろんオオトカゲだけじゃなくて、サルバッファロー
シカイノシシなどの獣がたくさん棲んでいるらしいけど、
残念ながらその姿は今回は目撃できず。
代わりと言っては何だけど、ドラゴン捜しに神経を奪われ過ぎて、
巨大なバッファローのフンをもろに踏んづけてしまった。
うわあ。

トレッキングを終えて汗びっしょり、事務所周りに戻って水を飲んで一休み。
居合わせた白人カップルの男の方が
新宿プロレス」という日本語が書かれたTシャツを着ていたので反応してしまった。
意味を教えてくれと言うので教えてあげたら喜んでいたように見えた。
ケニアで見た「大和魂」Tシャツを着ていた白人を思い出したよ…、
相変わらず日本語や漢字は流行っているのかな。

船に戻り、午後のイヴェントであるスノーケリングを行うべく船は走る。
どうやら針路はラブアンバジョー方面、帰る方角を向いているようだ。


昨日引き続き船上でメウスお手製のランチ
昨日に引き続きガイドのメウスが作ったランチを食べる

そして船上で昨日に引き続き、ガイドのメウス手作りランチをいただく。
メイン・ディッシュは前日と同じバラクーダの甘酢煮
でもマジでかなり美味いからまったく不満はなし。
あとは昨日とは少しだけ趣が変えられた卵入りの焼きそば、いわゆるミーゴレンと、
野菜炒め、そして巨大キュウリのスライス
腹が強烈に減っているということもあったんだろうが、
どれもこれも本当に美味しくて妻ともども大満足だ。
さらに食後にはよく熟れた大きなメロンも供された。
天気も良いし、まったく気持ちがいい。


美しいビビダリ島のビーチ
美しいビビダリ島のビーチ

ちょうど食事を終えて少しボーっとしている頃、
スノーケリングを行うビビダリ島という小さな島のビーチに船は到着。
沖縄の八重山諸島のビーチを少し思わせるような、
原生林を背負った真っ青な波打ち際が目にも鮮やかな、小さくて美しい砂浜だ。
ここは外国人ツアラーのスノーケリング・ツアー・スポットにどうやらなっているようで、
僕たちの他にも白人旅行者たちが先客としてすでに何人か海に飛び込んでいた。

ところがいざスノーケリングを始めようという段になって
甚大な(でもないか)トラブルが発生!
何と船に我々が使う分のフィン(足ヒレ)が積まれていないというのだ。
どうやら話を総合してみると、ガイドのメウスが、
昨日僕たちがスクーバ・ダイヴィングの際に使っていたフィンを
自前だと思い込んでいたようだ。
本当はレンタルの品である。
それでメウスの勝手な判断によってこの日、フィンは用意されなかった、
というのが真相らしい。

まあミスは仕方がないし、起きてしまった以上
善後策を速やかに考えるのがベストであると分かってはいたのだが、
ここが日本人と異なる東南アジア人だからこその価値観と言えるのか、
ガイドのメウスはなかなか素直に謝ろうとはせずに
あれやこれやと言い訳を続けてかわそうとする。
すまん、悪かった、と一言言えば、
こっちも旅行にきてまで諍いごとを起こそうと思っているわけではないので、
しょうがないなあ、で済む話なのに、いや会社からの連絡が、とか、
この船のキャプテンが勘違いしたんだ、とか筋道の通らない言い訳を繰り返す。
しかもそこに悪気はおそらくないというのが、また始末が悪い。
だから僕ももう無性に腹が立ってきて、
「そんなん、昨日使ってたフィンやマスクが俺たちのものだったのか
一言聞けば済むことだろう!
それを怠って勝手に判断したあんたの責任じゃないのか!
こっちは高い金払ってんのにあんたのおかげで気分を害されてんだぞ、
分かってんのか!」といった主旨の罵声を何とか英語で構築して浴びせかけた。
ガイドのメウスは、根はいいヤツだし親切だし、
大部分においては僕たちのために
一所懸命頑張ってくれているというのは充分感じているのだが、
それ以上にこの時はいい加減な責任逃れ答弁に怒髪天を衝いてしまった。

さすがに何とかしなきゃと思ったのか、メウスは近隣に停泊している船に声を掛け、
ほどなくして空いているフィンをゲットすることができた。
気を取り直してスノーケリングを楽しむ。

海も空もひたすら青い
青い空の下、青い海をスノーケリング

この美しいビーチも、いざ飛び込んでみると昨日のコモドほどではないにしろ、
そんなに透明度は高くなかったけれど、
やっぱり魚を始め生物の数が日本近海とは比較にならないほど多種多様で
とても面白い。
名前は分からないけど、青や赤や黄のカラフルな熱帯魚たちや、
表層を群れで泳ぐサヨリのような細長い魚、
それにたくさんのソフト、ハード・コーラルを間近で見るのは、いつまで経っても飽きない。

スノーケリングでこんな写真も撮れる
水面に顔をつければもうこんな光景が広がっている

瀕死で漂っていたタツノオトシゴ
瀕死で波間を漂っていたタツノオトシゴ

この時もデジカメを手に海に入っていたので、
調子に乗って何度か潜りながら写真を撮っていたんだけど、そんな最中の一瞬、
右腕の肘から下のあたり、下腕部にものすごい痛みが走った!
火で焼かれたかのような鋭い痛み。
まんまとやられてしまった、これぞまさにファイアー・コーラルの仕業。
見る見るうちに患部は赤く腫れ上がり、まるでクラゲに刺された時のよう。
痛い!

ファイアーコーラルにやられた
ファイヤーコーラルにやられてしまった
ちなみに傷跡は数ヶ月残った

僕がサンゴにやられたのを機に上がることにする。
時刻は15:40頃、スノーケリングをしていたのは40分間ほどだった。

船に上がるとみんなが集まってきて、傷の心配はもとより、
僕が撮ったデジカメの写真を1枚ずつ興味深そうに眺めて
あれやこれやと言い合っていた。
これまで船の上でデジカメで撮った写真を僕や妻が見つつ話していても
彼らは別に興味を示すことなく、今回のように自ら近づいてきて見にくる、
なんてこともまったくなかった。
初めての現象である。
ひょっとしたら、僕がさっき、フィン・トラブルを巡って声を荒げてしまったので、
船のクルーたちも彼らなりに感じるところがあって気を遣ってくれたのかも知れない。

16:00頃、バトゥゴソックに戻り着く。
今日は昨日と違って早い帰還となった。
プリ・バグース・コモドトニー、今日はコモドドラゴンの写真がプリントされた、
プリ・コモドのロゴ入りTシャツだ。
明日はバリに戻るので、
リコンファームのためメルパティのチケットをガイドのメウスに預けて別れる。

僕たち以外の唯一のゲスト、アメリカ人ダイヴァーもすでに戻ってきており、
彼のコテージの前で出会った。
今日はウミガメを3頭と、でかいマグロを見たと興奮して教えてくれた。

シャワーを浴びたり、うろうろして写真を撮ったり、
桟橋でサンセットを眺めたりして過ごす。
本当に時の流れ方が日常とはまったく違う。
日本で通常の生活を送っている時はボーっとすることが苦手で、
何もしない、ということがなかなかできない僕だけど、
こういうところに来ると、時間に追われず何もせずにボーっとするということは
こんなにも心地よく豊かなことなのか、とつくづく感じられる。
でも結局また日本に帰ったらなかなかそういうわけにもいかないんだけど…。

ハイビスカス
ブーゲンビリア
夕暮れの桟橋
プリ・コモドをうろついて非日常の光景を写真に収める

18:30、レストランにディナーを食べに行く。
今日はいつもの1Fとは違い2F。
もうすぐ客がたくさんやってくるので大忙しだ。
昨日までは見なかった従業員も増員されている。

レストランの外観
プリ・コモドのレストラン外観

これがレストラン2階
いつもは1階だったけどこの日の夕食は広々とした2階で

おなじみのフルーツカクテルサラダミネストローネ
それにシーフードの串焼きチキンカレーに、タマリンジュースオレンジジュース

ミネストローネ
毎食時欠かさず頼んでいた具だくさんのミネストローネ

シーフードの串焼き
エビや魚、貝などの串焼き

食べていたら、黒ぶちメガネを掛けた大木凡人似のおばちゃんに話し掛けられた。
自己紹介みたいなものはなかったが、明らかに客でなく、ホテルに属する人間である。
彼女は日本に行ったことがあり、富士山も見たし、
東京の銀座では道に迷ってしまった、といった話題で盛り上がった。
服装こそ、ここバトゥゴソックの他の人々に準じるカントリーなものだったが、
話を聞いている限り、おそらく彼女は相当の大金持ちである。
話す英語も発音、文法、語彙ともに洗練されており、
教育水準もかなり高いであろうことが窺われた。

食事が終わった後でこっそり従業員のトニーに聞いたら、
やはりヒルダという名の彼女こそがこのホテルのマネージャーで、
ジャカルタ出身、おまけに独身であるということまでご丁寧に教えてくれた。
ちなみに年齢は40代後半ぐらい。

すっかり夜の帳も下りたその頃、ちょうど団体のゲストが到着した。
14人のベルギー人たちであるということ。
若干寂しかったこれまでがウソのように騒がしくなってきた。

一旦部屋に戻ってくつろいでいたが、久々に人の気配がして何か落ち着かなく、
偵察がてら敷地内を歩き回ってみる。
ベルギー人たちもウロウロしており、何人かと挨拶を交わす。
どうやら中年の夫婦たちの集まりであるようで、みんなメチャクチャでかい。
このプリ・コモドのコンパクトなベッドで眠れるのだろうか…。
レストランに差し掛かると、
なにやら幹事らしき男性他数人がホテルの従業員相手にまくし立てていた。
何事だろうか。
まさか「ベッドが小さいじゃないか!」なんてクレームじゃないとは思うんだが…。

22:00には眠りに就いたと思う。




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