海洋空間編集長雑記



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2003年10月分




2003年10月22日(水)
「オウム真理教コンサート体験追憶記〜亜空間・亀山城の誘い 2」

頑張って続きを書きます。

講演会の後、実名・住所記入をぶちかましたアンケートを終え帰宅、
その数日後のこと…。

いやー、来ましたね、当然。
家に。

ボクが当時住んでいたのは京都市左京区は下鴨神社の近く、
マンガかドラマにでも出てきそうな、まさに絵に描いたようなボロアパートの2階だったんですが、
ある日の晩、22時頃だったでしょうか、自室で独り暇していたボクは
何をするでもなくボーっと窓から外を眺めていました。
そしたら、どこかで見たことのあるような紫色の装束に身を包んだ怪しいニ人組が
アパートの階段を昇ってくるのが見えました。
数秒の後、それが麻原彰晃トークショーの時にウロウロしていた、
「サマナ服」を着込んだ出家信者たちであったのに気付いたボク。

さすがに気付きましたね、この純粋なTF学生も。
努めて落ち着いて、部屋の明かりを消してしばらく息を潜めることにしました。
足音は予想に違わず、着実にボクの部屋の方に近づいてきます。
そしてボロアパートだったのが幸か不幸か、
外の二人が交わしている会話もはっきり聞こえます。

「名前何だったっけ?」
「○○(ボクの名字)。」
「…ええと、あ、ここだ。」
コンコン。コンコン。
ドンドン。

自分の名前を呼ばれているのを聞いてあそこまでドッキンとしたのは、
後にも先にもこれが初めてではなかったでしょうか。

幸いにも普段から「北斗の拳」と「ゴルゴ13」を愛読書としていたボクは
こうした緊急時の気配の消し方にも通じていたようで、というのはもちろんウソで、
運良く居留守ミッション成功を収め、サマナーズを撃退することができました。

その後は、もう直接家まで訪ねてくるということはありませんでしたが、
オウム真理教関連の冊子や、
教団が主催する催し物の案内などはしょっちゅう送られてきました。

元来が、無宗教が当たり前の日本人の中にあってさらに、
ベストオブ無宗教とでも言うべき信仰心の欠けたこのボクのこと、
もとよりひとかけらの依頼心も湧かないままですが、
面白いので一応機関紙などは律儀にも目を通していました。
そんなある日、中でもボクの興味を惹く一枚のチラシを見つけました。
それは、『キーレーン』という、オウム真理教団に所属し、
その楽団員の多くはロシア人から成るオーケストラが行うクラシック・コンサートの誘いでした。
ロシアは当時オウムの侵食を激しく受けていた地域で、
オウム真理教支部もあり、信者数も少なくなかったようです。
その演奏予定曲目は、確かドヴォルザークなどの東欧諸国の“普通の”曲もありましたが、
多くはオウムのオリジナル曲であるとのこと。
しかもその作曲はすべて、by麻原彰晃。
ウソくせー!

学生当時、ボクは割りと結構な勢いと真剣さでバンド活動をしていたので、
音楽全般には少なからず関心があったんですが、それに加えてこの魅力的な?音楽の集い。
入場料も無料ときてます。
ただでさえ刺激の少ない、怠惰極まりない学生生活において、
それはあまりにも甘美な、危険な撒餌なのであります。
正直言って行きたくてたまらなくなりました。
音を聴きたいというのと同時に、
いわゆる怖いもの見たさという感情に似た衝動ももちろんありました。

ちなみにかの牛頭大王ももちろんボクにまったく引けをとらないバカなので、
麻原彰晃講演会後のアンケートにおいて包み隠さず自分の名前と住所を記入していました。
ですから彼の家にも同じ郵便物が届いているはず、と思い、
ボクはすかさず彼に電話して『キーレーン』のコンサートに激しく興味を覚えている旨伝えたのです。
そうしたら、ボクに劣らず頭のおかしい牛頭大王は、
自分もまったく同じ気持ちである、という返答をボクに返したのでした。

こうして、
「キーレーン・コンサート〜オウム真理教狂信者軍団がお送りする
 阿鼻叫喚の音の宴・裏切り者はこの世から抹殺するぞ〜」at長岡京
への決死の潜入プロジェクト実行が決まったのでした。

続きはまた次号!



2003年10月15日(水)
「オウム真理教コンサート体験追憶記〜亜空間・亀山城の誘い 1」

唐突に危険なカミングアウトをさせていただきますが、
ボクはかつて麻原彰晃の講演会を聞きに行ったことがあります!
あえて言っときますが、もちろん信者ではありませんよ。

ボクが通っていた大学にはその名も「麻原彰晃研究会」なるサークルがあり、
オウム信者の青田刈り田圃として、全国的にも有名な大学だったので、
学祭の時に講演会をしに尊師がやってきたのです。

折りしも当時は坂本弁護士行方不明事件の後、
事件とオウムとの関わりが取り沙汰されているまさにその時で、世間の注目度も高く、
講演会は400人ほど座ることのできる大教室で行われたのですが、立ち見も多数出るほどの大盛況。
そこにボクは牛頭大王と二人、チョコンと腰掛けていたのでした。

彰晃は屈強な弟子たちに担がせた巨大神輿に鎮座して登場してきました。
周りには側近の上祐氏や故村井氏、新実氏らの姿も見えます。
幹部ではない一般信者たちは、紫一色の作務衣のようなものを着ています。
この衣装は「サマナ服」ということを後で知ったんですけど。

「え〜、煩悩は、必ず、死滅させることができる。」
という一節から始まった講演はおよそ一時間にも及んだでしょうか。
途中、あまりの退屈さと学祭期間中特有の超寝不足のため、
もったいなくも少しウトウトしてしまうという失態も…。

講演終了後、聴衆たちからの「質問コーナー」の時間が設けられていました。
何ともざっくばらんなのか厳かなのか、
ここはウケ狙いで質問をぶつけてもいいものなのかそれともそんなことをすると命に関わってくるのか、
実に微妙な分かりにく〜い空気の大教室。
そこに果敢にも挙手してその質問を大教室中に響き渡る大声で読み上げた、
最前列に座る勇気あるメガネ男。
「尊師!尊師は先ほど『人間は皆平等である。偉いとか偉くないとかはない。』とおっしゃっていたのに、
どうしてそんなに高いところから我々を見下ろして話されているんですか!」
「(ニコリ)ん〜、君は、たとえば、マンションで、上の階に住んでいる人ほど偉いと思うのかい?」
「うっ!そ、それは…!」
茶番だ。

全体的な印象としては、「何か宗教家っぽくないなぁ」という感想を
その話しぶりや話す内容から受けたことを憶えています。
とにかく俗っぽい、そこらへんのおっさんという感じ。
まあ後から考えたら当たり前ですな。

帰り際、「麻原彰晃研究会」のメンバーたちによるアンケートがあり、
ボクはそこに何を思ったのか何も思っていないのか、
何と自分の氏名や住所を普通に書いてしまったんですね。
当然、何事も起こらないわけがありません。

続きはまた次号!



2003年10月12日(日)
「タダでK-1、行けてしまった」


思いもかけずにご招待券をいただくことができ、
昨日、大阪ドームで行われた『K-1 WORLD GP 2003 開幕戦』を観に行ってきました。

結果は周知の通り、フランソワ・ボタとボブ・サップがともに反則負け、
ボタに至っては試合時間わずか19秒と、すこぶる残念なものでした…。

ボブ・サップは本当にもうどうしちゃったのというぐらいのスタミナ不足の感がありあり。
1分経たないうちにもう肩で息をして、完全に動きが止まっちゃってましたね。
それに加えて、レミー・ボンヤスキーのハイキックが鼻面をかすめた瞬間、
あの泣きそうな子供のような「イタイヨ〜」という表情を早々に見せるなど、
メンタル面での脆弱さも相変わらずだったような…。
試合後、谷川貞治プロデューサーも
「サップは今日の顔ぶれで他の誰だったら勝てたのか?」と言っていたようですが、
その言葉にもすかさず首肯できてしまう戦いぶりでした。
あの時勝利を我々に誓ったじゃないか、お前は!
ナイスガイなだけに残念な気持ちもひとしお。
彼の今後やいかに…。

K-1サイドも、今日はサップを何とか勝たせて12月の本選に出てもらいたい、
という意向を持っているだろうことが強く感じられました。

ボタ、サップともに反則負けの理由は「倒れている相手に打撃を打ち込んだ」というものでしたが、
サップのそれは、角田信朗統括プロデューサーが「悪質」と評し、
即反則負けがアナウンスされたボタのものと少なくとも同等か、
ともすればそれ以上に「悪質」かも、とボクの目には見えました。
サップの時はボタの時と違って、
完全に角田レフェリーが体を間に割って入れてストップをかけた後でしたからね。
しかし、サップの反則に対しては、即座に失格となったボタと異なり、
相手のボンヤスキーのコンディションさえ回復すればそのまま試合を続行する、
という判定が一時は下されました。
結局はボンヤスキーのダメージが大きく試合続行が不可能だったため、
サップが反則負けとなりましたが、あの時間帯、大阪ドームには何とも形容のしがたい、
重たく澱んだ空気が漂っていたものです。

チケットも完売することができず、興行的には恐らく厳しかったであろう今大会。
カンフル剤的な存在として引っ張ってきたフランソワ・ボタが早々に消えてしまい、
さらにシヴィアな状況が予想される12月6日の東京ドームでのグランプリ本選のために、
ボブ・サップはK-1マネーにとって極めて重要な選手だったことでしょう。
ワンマッチでサップあるいはボタが出てくることは充分に予想されますが、
グランプリ優勝候補筆頭がアレクセイ・イグナショフとも言われている本大会、
果たして興行的な成功が収められるかどうかは甚だ不安…。

…って金払ってない身で言い放つようなことじゃないなこれ!
と今気がつきました。



2003年10月8日(水)
「JR運賃の怪」


先日、仕事で神戸まで電車で行く機会がありました。

ボクの勤めている会社は大阪市内にあり、最寄り駅はJR環状線の天満駅というところなんですが、
そこから環状線でJR大阪駅まで出て、そこで神戸線に乗り換えてJR神戸駅まで乗っていきました。
片道の運賃は540円。
現地での仕事を終えて会社への帰途、JR神戸駅で切符を買おうと運賃表を眺めていたら、
ふとおかしなことに気が付きました。

ちょっとややこしいかも知れませんので、よく読んでください。
JR神戸駅からJR天満駅までの運賃は540円(JR大阪駅乗換え)。
JR神戸駅からJR大阪駅までは390円、
そしてJR大阪駅からJR天満駅までは120円。

分かりますでしょうか?
JR神戸駅からJR天満駅まで直行したら540円かかるのに、
一旦JR大阪駅で改札を出て、切符を買いなおしたら合計510円で行けるんです。
これって誰がどう考えても圧倒的におかしくないですかい?
JR西日本の方、もしこれを読んでいたら愚民に事情を教えてください。





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