海洋空間少年ゴッホ



ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ編


第5回     2003.12.13


ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
ヴィンセント・ウィレム・
       ヴァン・ゴッホ
     (1853〜1890)
画家。オランダ生まれ。



晩年

ゴッホは精神の重病を患っていた。
2週間に渡る入院生活を経て、体調こそ回復傾向にあったが、
彼の中の人間は既に潰滅へと向かっていた。
それは絵画が物語るように、もう嘗ての彼とは別ものであった。
弟テオへの手紙の中では、アルルでの後悔を記し、
再び過ちを犯すことを恐れ、画家同士の交流を諦めるほど消沈していた。

彼に残された道は何だったのであろうか。
日々、不眠症に悩まされながらも、親には心配を掛けまいと努め、
被害妄想に苦しみながらも、描くことを続け、
幻覚を見ては、幾度と入院を繰り返したが、彼は必死に生きた。
描く、描く、描く…。
時には病の為、発作を起こしながら、それでもひたすら筆を走らせた。
不器用者は描くことの中でのみ、生きる意味を覚えた。
そして、描くことを続けた。
季節が変わり行き、世間も動く。
いつしかテオは結婚し、全てが上向きであるかのように思えた。

しかし、ゴッホには希望がなかった。
恋の破綻、友情の崩壊、世間の嘲笑、
理解者テオも家庭を持ち、最早、これ以上の迷惑を掛けることは出来ない。
加えて、自身の限界を強く感じた。
彼の中に、行き詰まりと憤りが渦巻いていた。
彼はどこまでも不器用であった。


1890年7月27日夕方、畑に出向き、自らの胸にピストルを連発。

彼に残された最終手段であった。

2日後の7月29日、
ヴィンセント・ウィレム・ヴァン・ゴッホはこの世を去った。
享年37歳。
彼の人生は尽く悲劇であった。
それは、私達が考える以上に凄まじく、
狂喜と混乱に満ちたものだった。

しかし、ゴッホの悲劇はこれだけに終わらない。


1891年1月25日、テオドラス・ヴァン・ゴッホがこの世を去る。

テオは立派な一家庭人となったにもかかわらず、
敬愛する兄の死を苦しみ、嘆き、後を追ったのだ。
最後に彼を突き動かしたもの、それは一体何だったのだろうか。
こうして、ゴッホの悲劇は幕を下ろす。

ゴッホの人生を総括的に見ると、まるで一本の映画のようである。
それは、最初から「見る側」の私達の為に用意されていたかのように、
言い換えれば、リアルを追求し過ぎた物語のような本当の話なのである。
つまり、出来過ぎた嘘のような実話である。
恥を曝け出し、醜態を晒し、他人に蔑まされても、
懸命に生きたゴッホと言う《ダメ人間》は、今を生きる私にとっては鑑のような存在である。


後日談になるが、テオには一人の男児がいた。
名前は、

ヴィンセント・ウィレム・ヴァン・ゴッホ


出来過ぎた嘘のような実話である。


終わり

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