ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ編
第1回 2003.10.4
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ヴィンセント・ウィレム・
ヴァン・ゴッホ
(1853〜1890)
画家。オランダ生まれ。 |
世界的に有名な画家である。
代表作は「ひまわり」。
人生は、誰もが波乱万丈に満ちているように思えるが、
彼ほど悲惨な人生を送った人物もいないだろう(つーか、いねぇーな)。
悲惨、否、悲惨過ぎる。
これは悲劇である。
幼少期
「親」という生き物は、子供にどんな期待を抱いているのだろうか。
「伸び伸びと育って欲しい」、
「将来は立派な人間になって欲しい」、
「罪だけは犯さぬよう」、
「私の叶えられなかった夢を託して」、
「ワンパクでもいい、たくましく育って欲しい」…
その思いは、人それぞれ、千差万別であろう。
しかし、誰もが口を揃えて、「元気に育って欲しい」と願う事に相違は無いだろう。
1853年3月30日、
父、テオドラス・ヴァン・ゴッホと母、アンナ・コルネリア・ヴァン・ゴッホの間に
長男として生を授かったヴィンセント・ウィレム・ヴァン・ゴッホ
(以下、分かり易いようにゴッホとする)は、どんな期待を受けて生まれてきたのだろうか。
どんな期待を抱かれようとも、
やはり「元気に育って欲しい」は、ゴッホ夫妻の共通の願いであったはずだ。
基、彼らにとっては、その思いは人一倍強かっただろう。
何故なら、二人の間には、ちょうど一年前の同日に死産した男児がいたからである。
世の中には、「因縁」と言うものがある。
この『ヴィンセント・ウィレム・ヴァン・ゴッホ』と言う名前には、
実は深い意味が込められていたのだ。
それでは、世の「親」は子供に対してどんな思いで名前を付けるのだろうか。
例えば、世の中には、かつての英雄(ヒーロー)の名前をとって、名付ける親が多々いる。
例えば、それは、歴史上の人物かも知れない。
テレビや映画の英雄かも知れない
(例えば、中田英寿のファンの中には、子供に「英寿」と名付けている人が、きっといるはずだ)。
そして、何よりも親はその子が彼らのようにたくましく、強く育ってくれる事を願うだろう。
稀に、殺し屋の名前を付けている親もいるが、
それもその人なりの思いがあってのことだろう。
それとは対照的に、賊軍の名前を付ける親というのは、まず少ないと言う事だ。
つまり、脇役や敗者の名前を付ける人なんて、
それこそ稀ではないだろうか(かなり、マニアックだ)。
これから元気にすくすくと育って欲しいと願っている子供には、
なかなか付けられたものではない。
しかし、ゴッホ夫妻にとってそれは少々意味を異にしていた。
そして、それは少し奇妙でもあった(つまり、彼らこそある意味マニアックなのである!)。
ゴッホは幼少の頃、『脳膜炎』という大病をし、それが、後の彼の暗い性格を形成し、
孤独へと導く一要因となったと言われている。
しかし、彼を鬱屈させる決定的要因は、こんな出来事があったからである。
ある日、ゴッホ少年はいつもと同じように広場で遊んでいた。
その日に限ってはしゃぎ過ぎた彼は、
いつしか気付かぬうちに広場の外れ外れへと来てしまっていた。
そして、そこにあった大きな石に躓いてしまったのである。
その石は、なんと墓石だった。
そして、そこに刻まれていた名前は、
『ヴィンセント・ウィレム・ヴァン・ゴッホ』。
彼自身の名前だったのである。
しかし、それは彼の名前であって彼ではなかった。
そう、それはまさにゴッホ夫妻の、あの死産した子供の名前であったのだ。
つまり、彼の兄の墓だったのである。
一年違いの同日生まれの同名。
そして、ゴッホ自身は、そのことを知らされずに生きてきたのである。
何と言う悲劇の始まりであろうか。
このことが彼にショックを与え、「もしかして、俺って捨て子?」と懊悩する結果を招いた。
そして、後年、妄想の虜になっていく訳である。
ここで、私が問いたいのは、このゴッホ夫妻の感性である。
例えば、これは外国特有の習慣と言う訳では無いだろうが、
先人の名前を付けるということが、しばしば見受けられる。
ゴッホ夫妻においてもそれは同様で、ゴッホには死産した兄の名前を与え、
後に生まれるゴッホの最大の理解者弟テオ(本名テオドラス)には、
父親と同じ名前を授けている。
余談ではあるが、『ドラえもん』の「のび太」もパパの名前を貰って、
子供に「のび助」と名付けている。
しかしながら、先人と言えど死産した子供の名前を付けるというのは、
どのような心境であろうか?
憶測するに、死産した兄と同じ日に生まれたゴッホは、
二人から見れば、まさに『生まれ変わり』と言った具合だったのだろう。
そして、「今度こそは、『元気に育って欲しい』」との意味で名付けられたのだと思われる。
ただ、私には、その子がどうしても元気な子に育つとは考え辛い。
もし、元気に育って欲しいと願うのならば、その過去を明確にし、せめて、
『ヴィンセント・ウィレム・ヴァン・ゴッホU世』(ベタだな)
ぐらいの名前にすべきではなかったのだろうか。
ゴッホの人生を孤独へと導いたのは、
まさにこのちょっとイタイ両親のせいだと私は思うのだが、如何なものだろうか?
兎にも角にも、そんな重たい荷物を背負いながら、ゴッホは成長していく。
そして、絵画の才能を徐々に花開かせ、それが唯一の心の支えとなっていくのであった。
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