海洋空間ワシントンD.C.観戦旅行記



第1日
2003年4月12日(土)


毎年3月4月といった時期は年度替りということもあり、
一般社会的にとても忙しい時期であるが、
中でもボクが身を置く放送業界はもう一つ輪をかけて慌しい。
ということはつまり、
こんな時期に長期休暇をとって旅行なんぞに出かけるヤツは私の周りには皆無、
はっきり言ってしまうと“許されざる行為”に限りなく近いということである。
ところが今回ばかりはそうはいかんのだよ。
日本でも大きく報道されていたのでご存知の方も多いと思うが、
マイケル・ジョーダン Michael Jordan にとって最後のシーズン、
その最後のホーム・ゲームを観に行きたいと言ってるんです、今回は。
ツアーの予約も、
自分がこの時期何の仕事をしているであろうかまったく想像もつかなかった
昨年の12月に入れてしまいました。
どんな忙しいシフトについていようが絶対に行ってしまうぞという固い決意とともに。
と、反体制的な想いが否応なしに裏側に蠢いてしまっていたこの旅行、
その代わり日程前後には馬車馬の如く働かせていただきますという誓約をもってして、
ついに旅立ってしまったのでありました。
前置き長くてすみません。

午前5:15に起床。
例によって普段寝る時間と大差ないので、ほとんど寝ていない。
そして6:00、迎えのタクシーに乗って伊丹空港へ。
こちらは関空よりも大分近いし、
時間も時間なので高速道路を使って30分足らずで到着。
チェックインを済ませて、8:00出発成田空港行きANAに搭乗。
このたび申し込んだツアーは基本的に東京発着なので、
一度成田で乗り継ぎしなければいけないのだ。
その前にそもそも日本からワシントンD.C. Washington D.C.への直行便は
成田発しかないのだった。
予定の9:10を少し過ぎたあたりに成田に着いたと思う。
はっきり言って成田に着くまでの間は意識朦朧、
寝ぼけていたのであんまり覚えてない。
成田の団体予約受付カウンターで
旅行会社の人からゲームのチケットを受け取った時ぐらいから、
目が覚めて頭が冴えてきたような気がする。

2枚のチケットを見て目が覚めた
“ticketmaster”で発行されたチャチいチケットだが、
それでもこれを手にしたら目に見えてテンションが上がるのだった。


成田を11:10に発つANAに乗り込み、いよいよアメリカ合衆国へと向かう
戦争の真っ只中なので、結構客は少ないんじゃないかな、
と思っていたんだけど、それは大間違い、飛行機はほぼ満席であった。
俺と同じツアーなのかそうでないのか、
明らかにMJを見に行くのであろう人たちの姿も目に付く。
ワシントンD.C.までの往路は約12時間の飛行。
足元に余裕のある非常口席 Exit Seat をチェックインの時に所望、
3人掛けの真ん中ではあるが、無事にそこを確保できた。
両隣はいかにも商社マンですといった風体の日本人と、
機内でもノートパソコンでずっと文書を打っていた中年欧米人男性。 
しかしいつも思うけど、何で飛行機のエコノミー座席ってこんなに狭いんだろね。
新幹線よりも狭いし。
175cm、62sの俺があれだけ窮屈、ケツもギリギリだなと思ってるんだから、
隣の80kgは優に超えていそうな白人のおっちゃんの
艱難辛苦たるやいかばかりのものか。

真昼間なので寝れるかな、と少し心配はしていたが、
連日の寝不足が功を奏して、機内では結構眠ることができた。
2度の機内食はしっかり完食したけれど。
目を覚ましてからは、映画「黄泉がえり」を観賞 した。
テーマやストーリーにはかなり無理を感じたけれど、
ラストの方ではそれなりに感動してしまった。
柴咲コウ演じるRUIの楽曲が思った以上に佳く、
また劇中での使い方も非常に上手かった。
ただ、ドラマ「僕の生きる道」で好評を博した草g剛の演技が、
この映画においてはイマイチだったのが残念といえば残念。

快晴のダレス国際空港
雲一つない快晴のダレス国際空港に降りる

現地時間午前10:30ワシントンD.C.
ダレス国際空港 Dulles International Airport に着陸。
雲一つない快晴で、とても暖かい。
気温は20℃近くあるようだ。
このご時勢、アメリカの空港はどんなにか厳戒体制だろうかと身構えていたが、
肩透かし、至って普通であったな。
現地ガイドの日本人女性Yさんが迎えに来てくれていたが、
ちょっと頼りない感じ…、大丈夫かいな。
Yさんは後に聞いたところ、すでにアメリカに住んで20年ほどになるという。

以下はあくまでも私見ながら、
これはバイリンガルの人、しかも外国暮らしが長い人に多いように思うのだが、
話す日本語が少しおかしかったりする。
人間はモノを思考する時、必ず頭の中で言葉を使っている。
日本語と英米語は根本的な言語体系が大きく異なり、
その語順も対照的に違っている。
だから、日本語と英米語を同程度に使用しているような人は何かを考える時、
2つの言語がごっちゃになって、
理路整然とした受け答えになっていないことがままあるのだ。
このYさんはまさにそんなタイプの人で、
会話している時に話があっちこっちに飛びまくるし、
質問した内容に即さない回答が頻繁に返ってくるし、
というガイドさんなのであった。
でもひょっとしたら性格的なものなのかも知れないけど。

同じツアーに参加している人は大体20人ぐらい
予想に反してボクと同じように単独で参加している人が多い
もちろん男が多いが、中には1人で参加している女性も数人。
カップルは2組だったかな。
Yさんの引率でホテルに向かうバスに乗り込む。
乗り込む時に同じく1人で参加していたタカシマくんという男に声を掛けられる。
タカシマくんは22歳、北海道の牧場で働いているという素朴な坊主頭の青年で、
今回は初の海外旅行だとのこと。
恐らく若干の不安があったのだろう、今後の行動を基本的に伴にすることにする。

ペンシルヴァニア・ストリートより 遠くに見えるのは国会議事堂
ペンシルヴァニア・ストリートに立って望む
道路の先に屋根が少しだけ見えている建物が国会議事堂

ホテルへの行程はおよそ40分
車窓から見えるワシントンD.C.の風景の印象としては、緑がとても多くて、
大国の首都とは思えないほど広大で余裕がある造りの街だな、と感じた。
道も広いし、建物も高さはそんなにないものの、とにかくでかい。
入り口も間口も一層ごとの高さも柱も梁も、すべてがでかい。
街の中心部は、後述するが、政府機関や博物館などの建物が多く、
それらはみな石造りで外観的には非常に似たような建造物群だった。
途中ではホワイトハウス White House もチラリと見えて、早くも少し心が踊る。

宿泊するホテルはレッド・ルーフ・イン Red Roof Inn
赤茶色をしたレンガ造りの建物だ。
クラス的には三ツ星ということだが、
実際にはビジネスホテルに毛が生えたといった感じ。
立地的には街の中心よりやや北寄り、チャイナ・タウンの隣で、
ワシントン・ウィザーズ Washington Wizards の本拠地であり、
このたび試合を観戦するアリーナ、MCIセンター MCI Center まで
何と徒歩で3分といったところだ。
実際すぐそこにMCIセンターが見えて、かなり心ははしゃぐ。

MCIセンター
MJのラスト・ホームゲームを記念する垂れ幕も掛けられていたMCIセンター


ホテルに着いたのは正午頃だったのだが、
部屋の準備がまだできていないということでチェックインは14時過ぎになるそう。
ホテルにて合流したもう1人のツアー・ガイドの女性Yさんと同じく、
この人に任せといて大丈夫かな…? という人であった。
じゃあそれまでに昼飯でも食っとこうかということで、
タカシマくんと2人ブラブラと。
お約束、MCIセンターの周りをグルリと見た後、
隣接するチャイナ・タウンの店に入る。
ちなみにMCIセンターの関係者入り口脇では、今日の対戦相手、
アトランタ・ホークス Atlanta Hawks のチーム・バスが間もなく到着するらしく、
黒人のキッズを中心に、たくさんの人たちが入り待ちをしていた。

中華料理店では“Special Lunch Menu”の中から、ボクは焼きそばを頼むが、
日本で普通に出てくる焼きそばの2倍ぐらいの量が盛り付けてあった。
タカシマくんが注文した焼き飯も似たようなもん。
しかしこれは恐るべきアメリカ食い倒れ食文化のほんの序章
ツカミに過ぎなかったわけだが。
詳しくは後報。

ホテルの近くは中華街
ホテルの近く、チャイナ・タウンのシンボルとなっているらしいゲート


昼食後、ドラッグストアに寄って
バブルガムとかテレフォンカードとか買ってからホテルに戻る。
14:30頃、ようやく部屋に入ることができる。
ツインルームのシングルユースなので、スペース的にはゆとりがある。
先程購入したテレフォンカードを使って早速日本にいる妻の携帯電話へとかけてみる。
かけ方がよく分からず、30分ほどの悪戦苦闘の末、
ようやくコール音が聞こえてきて一安心。
時差は13時間、つまりワシントンD.C.の15:00は日本の4:00
知っててかけたんだけどすまんかったのう。
ちなみにUSAから国際電話をかけるときは、
ホテルの電話を使うよりもテレフォンカードを使う方が抜群に安い

部屋に入って2時間も経っていないのに、
外ではひっきりなしにパトカー、救急車、消防車が走り回る音がしている。
D.C.はアメリカの大都市の中でも比較的低所得者層が多い都市で、
犯罪発生率も高いそうだ。
先程街をぶらついた時も、各ブロックのコーナーごとに黒人のいわゆる乞食がおり、
ボクたちが通るたびに「小銭をくれ」と言っていた。

16:30タカシマくんとロビーで合流して試合会場であるMCIセンターへと向かう。
ティップオフは19:00、開場は18:00前後ということだが、行けば何かあるだろうし、
はやる気持ちを抑えられずに、といったところ。
まず、正面入り口入ったところの入ったところにあるスポーツグッズ・ショップ
MODELL'S という店に入り、品定めを行う。
ジャージーやTシャツなどのウェア類は正直、
日本でも入手できそうなものがほとんどだったが(ただし値段は大分安い)、
小物類はさすがに充実しており、マウスパッドやネックストラップ、マグカップなど、
現地ならではのグッズも揃っていた。
まあ自分の分やお土産類はまた後日購入するとして、
この時は買わずに出て、建物の横の方へと回ってみる。
先程人が群がっていた関係者入り口のところには、
続いてはもうすぐ地元ウィザーズの選手たちがやってくる時間帯らしく、
また人が集まり出している。
ボクと同じツアーで来ている日本人も数人、
すでにカメラを構えてグッド・ポジションをキープしている。
ボクとタカシマくんも当然、その人の輪に加わる。

来るわ来るわいろんな選手がいろんな車に乗って。
タイロン・ルー Tyronn Lue がゴールドのオープン・カーで
あのイメージとは合わず(失礼)颯爽と登場したり、
クリスチャン・レイトナー Christian Laettner もこちらはイメージぴったりに
黒のコンヴァーティブル(カマロかな)で来場、
ブライオン・ラッセル Bryon Russell は黒のブレイザーらしき4WDでやってきた。
ジェリー・スタックハウス Jerry Stackhouse もSUVだったな。

クリスチャン・レイトナー
オープンにした黒のコンヴァーティブルでやってきたクリスチャン・レイトナー


そして17:00頃だったか、ついにあの男がやってきた
初めてこの目で直に見る、神がやってきた。
ダークブラウンのレンジ・ローヴァーに乗って、
ウィンドウにはすべて黒いフィルムが貼られてはいたが、
マイケル・ジョーダンはスーツ姿で自らハンドルを握り、
助手席には同じくスーツ姿の男性が乗っているのが見えた。
他の選手は地下駐車場の入り口となっているスロープの前で
一旦減速もしくは停車して、警備員のおっちゃんと挨拶を交わしたり、
集まっているファンに少し愛想を振りまいたりしているのだが、
ジョーダンはそんな素振りは微塵も見せず、ギュイーンと地下に消えていった。
まったく突然、一瞬の出来事で、カメラのシャッターを切ることもできなかったよ。

まだ開場まで少し時間があるので、サンドウィッチでもつまもうかと、
タカシマくんと共にMCIセンターの向かいにあるカフェに入る。
しかしここでも“つまもうかと”なんていうライトな思惑は見事にかき消されてしまう
何でサンドウィッチがあんなにでかいんだよう。
付け合わせがあんなに多いんだよう。
お腹いっぱい

18:00少し前、正面入り口に行ってみたらすでに開場していたので、
センター内に進入
先着入場何名かに配られるスペシャル・グッズ、
この日はリヴァーシブルのハットも無事に頂くことができて思わずニンマリ。
中にあるショップはさらに充実、当日のプログラムなどはもちろん、
応援用のグッズなどここでしか買えないものも少なくなく、
こんなことならもっと早くから開けて入れてくれよ、というのが正直な気持ち。
だって試合開始まで1時間しかないんだもん。
中でもひときわ目を惹いた、
シリアルナンバー入りで、“FINAL HOME GAME APRIL 14,2003”と書かれた
額装されたプレート付きのMJの写真を、お土産用も含めて3枚、購入する。
多分、観戦2試合目となる明後日も買えるんだろうけど、
この時はそんなこと思いもよらずに、とにかくすぐ買った。
他にもプログラムなど購入し、4階建てのこの施設をとりあえず一通り歩いてみる。
4階には等身大のMJのパネルが置いてあり、当然の如く記念写真。

MJのパネルに童心が甦る
等身大のMJパネルと記念撮影
ちなみに周りは子供ばっかりだった

3階および2階のVIPボックスシートのあるスペースには入れなかった。
2階には他に、スポーツ・バーのような店があり、
ドリンクやフードをとりながら巨大モニターで試合が観れるようになっていた。

ティップオフまであと20分ほどとなったところで
ボクとはシートが別ブロックのタカシマくんと別れ、それぞれ自分の席へと赴く。
ボクの席はアウェイ側のホークス・ベンチの後ろ
コートと同じレヴェルのアリーナ席ではないが、
そのすぐ後方のブロックの前から8列目、なかなかに近いし、
コートのセンターからもそれほどずれていないので試合もかなり観やすい。
席に着いた時は両チームともに一旦練習を終えて
ロッカールームに戻っている時間帯だった。

ほどなくして、再び試合開始直前のシューティング練習をするべく、
両チームのプレイヤーたちがコートに姿を現した
ホームチーム、ウィザーズ側の花道には
選手を迎え入れるべくチームが用意したたくさんのキッズが、
No.23のジャージーを着て並んでいた。
大歓声とたくさんのフラッシュに迎えられて、
マイケル・ジョーダンもコートへとやってきた。
これまでにヴィデオやテレビで幾度となく、それこそ飽きることなく彼を観てきたが、
いざ生で、目の前にその姿を見るというのは何か夢を見ているような、
少し不思議な心持ちがする。
アメリカでは“大統領より有名で、大統領より面会するのが難しい男
などとも喩えられるあのマイケル・ジョーダンが今眼前のコート上で動いている。
心理的には狂喜乱舞するというよりも、どちらかというと陶酔しているかのような、
ぼーっとした気持ちでずっとその動きを目で追っていた。
その姿を網膜に焼き付けようとしているように。

試合前 練習中のMJ
シューティング練習中のマイケル・ジョーダン


定刻の19:00を少し超えたところで女性歌手による国歌斉唱が始まり、
ジョーダンも隣のアシスタント・コーチ
パトリック・ユーイング Patrick Ewing とともに
体を揺らしながら聞き入っているように見えた。
戦争中ということもあってか、
星条旗や国歌に対するアメリカ人の反応は一層熱く真摯で、
やはり大部分のアメリカ人がこの戦争を正当と信じ、
支持している
のだという事実が肌で感じられた。

その後アウェイ、ホームの順にスターターが発表されて、いよいよ試合開始
この日ウィザーズの選手たちはいつもの青白のユニフォームではなく、
ウィザーズの前身、
ワシントン・ブレッツ Washington Bullets のユニフォームを着てのプレイだ。
去年あたりから流行り始めた、
いわゆるスロウバック・ジャージー Throwback Jersey というヤツだね。
ウィザーズ1997年から使用されたチーム名称で、
それまではこのブレッツという名前だった。
当時、ハロウィーンの日に起きた日本人留学生射殺事件などが大きな話題となり、
安易に銃が入手できるアメリカ社会が銃犯罪の増加を助長しているのではないか、
といった批判も巻き起こって、“弾丸”を意味するブレッツではイメージがよくない、
ということで愛称を変更をしたのである。

ブレッツのジャージーに身を包んで
懐かしいブレッツのジャージーに身を包んでいる


ホークスのグレン・ロビンソン Glenn Robinson
ウィザーズのジェリー・スタックハウスがケガで休み。
ともにチームの大きな得点源となる選手、これは残念だ。
それにホークスは言うなれば弱小チーム、人気選手も少ないだけに、
“ビッグ・ドッグ”ロビンソンはその中で一番見たいプレイヤーだったからなぁ。

試合は序盤からホークスが押し気味
前半のうちに12点リードまで一時は差が開いた。
ウィザーズはシューティングがお粗末で、
クワミ・ブラウン Kwame Brown なぞはフリースローを最初の3本連続で外し
挙句の果てにはダンクを失敗
その後さらにボールを握り直してダンクを試みるもまた失敗
地元の観客に大ブーイングを浴びていた。
タイプの近い高卒プレイヤーとしては、
1年後輩のアマレ・スタッダマイアー Amare Stoudemire
(フェニックス・サンズ Phoenix Suns2003 NBA新人王)に
完全に水を開けられてしまったね。
本拠地、MCIセンターでのプレイは
今日を含めて残すところ2試合となったジョーダンは、
ゴールを決めるたびに満場拍手喝采歓声の嵐を巻き起こしていた。

ハーフタイムにはトランポリンを運び込んで、
NBAならではのエンターテインメント・パフォーマンス。
コスチュームを着たアクロバティックおっさんが
トランポリンを使った曲芸ダンクを見せたり、
観客代表の小さな子たちが出てきて、
子供用の簡易バスケットにダンクする競争をしたり。
NBAに限らずアメリカのプロスポーツ全般に言えることだが、
ルール改正なども含めた、
こうしたファンありきのエンターテインメント精神は本当に素晴らしい。
そのイヴェントやパフォーマンスが面白いかどうかは別にして(ごめん)、
“払ってる金の分だけは楽しんで帰ってもらおう”という精神は賞賛すべきだと思う。
同じサーヴィス業でも、丁寧さのかけらもないガサツなショップの店員なんかは
もっとこの精神を見習って欲しいものだが。
向こうの店員て客を客とも思ってないようなとこあるからな。

それはともかく話を戻すと、エンターテインメント精神のほかにもう一つ気付いたこと、
印象的だったのが、プレイヤーと観客との物理的な距離の近さ
これまでNBAの試合をテレビで観ている時も常々思ってはいたが、本当に近い。
ボクの座っている席は、アリーナの上のブロック、前から8列目だと先述したが、
それでも恐らく初めて聞く人が想像するよりもずっと近い。
アリーナの最前列なんか本当にベンチのプレイヤーに手を伸ばせば届く距離だから。

ボクは以前、日本で行われたNBA開幕戦、
NBA JAPAN GAMES @東京ドーム(1999)と、
シドニー五輪代表USAバスケットボールチームが来日して
全日本とエキシビジョン・マッチを行った
SUPER DREAM GAME @さいたまスーパーアリーナ(2000)を観に行ったが、
その時、どちらも大枚はたいてアリーナ席最前列のチケットを手に入れた。
いつもテレビで観ているNBAのゲームを想像して、
どんなにか近くで選手たちを拝めるのだろう、
と喜び勇んで会場に入ったが、自席の目の前にそびえる鉄柵と、
さらにその向こうに存在するコートまでの空間のあまりの広さに
愕然としたという経験がある。
ああ、こんなアリーナで最前列に座れたならば。

MJのフリースロー
フリースローを放つマイケル・ジョーダン

後半がスタート、第3クォーターはウィザーズのシュートが決まり始め、
ワンゴール差にまで点差を縮める。
ところが、最終クォーターに入ると再び離され始め、またも二桁点差。
ホークスはディフェンスもよく、
セオ・ラトリフ Theo Ratliff のブロックショットが面白いように決まっていた。
しかし、これで事切れたかな、と思った直後、ウィザーズがグングンと追い上げ
そして試合も終盤、残り2分ぐらいだったと思うけど、
ホークスのターンオーヴァーでウィザーズのファストブレイク・チャンス、
フロントコートに残っていたノーマークのジョーダンにボールが渡り、
見事なワンハンド・スラム
これは本当に40歳となった今シーズンでは恐らく数えるほどもないであろう、
それはそれは美しいダンクだった。
僥倖に思わず心高揚する一瞬。
残念ながらカメラは構えることすら思いつかなかった。

終盤はずっと1点差で
ワンゴールごとにリードがひっくり返る文字通りのシーソーゲーム
そして残り20秒ぐらいの時だったか、何とジョーダンのジャンパーで逆転
100-99でウィザーズがリードタイムアウトに入る。
場内はもちろんオールスタンディング、歓声のるつぼだ。
そして、誰もがウィザーズの勝利を信じて残り時間が0になるのを待っていた時、
ホークスアイラ・ニューブル Ira Newbleリバウンド・ダンクを決めた
まさに悪夢。
一瞬にして静まり返ったMCIセンター。
そのまま試合は終了、101-100ホークスがウィザーズを下した

ここで話は大きく変わるが、今年のオールスター・ゲームでのこと。
1stOTの終了直前、ジョーダンがミラクル・ショットを決めてイースタンが奇跡の逆転、
試合はそのまま終わるかと思われたが、
その後イースタンのプレイヤーがファウルを犯して相手にフリースローを与え、
結局試合はダブル・オーヴァータイムに入った末、
ウェスタンが勝利する、という事態が起こった。
そのゲームの後誰かが、
「今がジョーダンの時代ならばあのまま試合は終わっていた。
そうならなかったのは、ジョーダンの時代が終わりを告げたという証ではないか」
と語っているのを見た。その時はそうかなぁ、と思い、
ファウルコールをした審判の空気の読めなさを責めていたボクだったが、
奇しくもこの日の逆転負けの試合を観終わった後、
ボクは同じような気持ちを感じていた。
もしもジョーダンが今もNBA界の神のままであったならば、
あのまま当然のように試合は終わり、
当然のように
ジョーダンは勝利の立役者として
インタヴューを受けていたのではないか


それと関連しているのかどうかは分からないが、
もう一つ試合を観ていて思ったことがある。
それは、ことあるごとにジョーダンコート上で笑顔を見せていたこと。
審判と会話を交わす時、相手プレイヤーと話している時、
相手チームのベンチに向かって語りかけている時。
それは少なくとも、
シカゴ・ブルズ6度のNBAチャンピオンに導いていたあの頃には
決して見せなかった表情だった。
オフ・コートでは昔から常に紳士的でにこやかなジョーダンだったが、
コートの上で終始あのような柔和な表情をしていたことなど記憶にない。
覚えているのは、たとえ味方といえども必要とあらば厳しい顔で叱責し、
常に相手を倒すべく、闘志に溢れるコンペティターの表情。
しかしこの日のジョーダンはボクの判断する限り、戦う者の顔ではなかったと思う。
それは、残り限られた時間をできるだけエンジョイしようとしている者の顔だった。

試合後、アリーナの正面入り口で再びタカシマくんと合流、
彼は夕方食べたサンドウィッチでいまだ腹が減っていないらしく、
2人でホテルに戻った後、
ボクは荷物を置いて1人でMCIセンターに隣接するマクドナルドに出向く。
チーズバーガーシーザーサラダ、そしてコーラを頼むが、ここでも死にかける
チーズバーガーは日本のものと変わらないが、サラダのでかいことでかいこと
サラダ食うだけでラーメン1杯食ったぐらいの手応えあり。
コーラも何でスモールがあんなにでっかいのよ。
店の中も、日本のマクドナルドなどとは比較にならない不潔さ、
そして店員のぶっきらぼうさ。
スマイルなんざ金を出してもどうにも買えそうにない。

夜行ったマクドナルド
MCIセンターのすぐ横にあったマクドナルド


マクドナルドを出た後、
途中カフェ・バーらしき店に寄ってボトル・ウォーターを買い求めるが、
そのレジに並んでいる時、酒くっさい黒人のおっさんに
「1ドルくれ」とか話しかけられた。
「No,I cannot.」って言ったら去っていったけども、
外国にいることを感じさせてくれた一瞬。
午後10:00日本では朝の11:00、さすがに眠いや。
シャワーは朝にして寝よう。



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