第11回 妄想し続けて二十数年、まだまだ若輩者ですわい! 2005.1.17
《今回の名言》
なんちゅうたかて 達者が何よりや
〜『アベノ橋魔法☆商店街』
クラァッ!
外見で人を判断するな!
まじめそうだとか優しそうだとか外資系企業で働いてそうだとか
夜になると1人でムラムラしてそうとか冬でも冷やしタヌキ食べてそうとか、
外見で判断しやがって!
俺はオタクなんだよ!
ええ、ええ、オタッキーってやつですよ!
ボヤッキーの仲間ではないよ。
マージョ様ぁ〜!
俺はオタクっぽくはありません。
それなりにこざっぱりした格好をしているわけですよ。
ケミカルウォッシュは履いてませんし、
シャツはチェック柄よりもストライプ系が好きです。
ポニーテールは社会に出るとき切りましたしメガネは普段かけてません。
本を読む時しかメガネをかけないんです。
あと賢いフリをするとき。
インテリ・レベルが+30ポイントなわけで。
仕事先のレディ達はキュンってなったりジュンってなったりしてるんだと思うよ。
きっと。
で、俺がいなくなった途端「なんか今日は雰囲気違ってなかった?」
「近寄りがたいけどそれはそれでス・テ・キ…」なんて話して、
中にはトイレに駆け込んじゃうレディがいたりして
も〜う仕事なんか手に付かないったらありゃしない!
…あ〜、妄想ってた〜のしぃ〜!
よーし、さっさと仕事終わらせて帰りの電車で
「初詣ででバッタリ!どっきどきお正月篇」を妄想しよう!
まさか俺がこんな事を考えながら仕事の打ち合わせをしているなんて思うまい。
それでもね、こういう俺みたいな隠れオタク
(隠れようと思っているわけではないが)は増えているんだと思う。
アニメ自体がジャパニメーションとして偏見の対象でなく、
評価されるべき「作品」となってきているのだが、
映画であったりフィギアであったりもちろんアニメであったり
何かに熱中というか執着している文化系の男性が
どうやら増えているのではないかと
秘密地下組織ブラックペッパーから報告がありました。
嘘です。
そんな組織はないです。
この前僕が単身乗り込んで壊滅させましたからね。
で、スタイリッシュなオタク青少年が増えましたね、って話です。
別段自分の殻に閉じこもっているわけでもなく堂々と
「あのさぁ、すごい面白いアニメがあるんだぁ」って話ができるってのは
いい世の中になったなと思うよ。
好きなものを好きだと言えるのはいいことです!
ゆるやかな土手の上から見える夕焼けは
山の向こうに溶けていくようでなんとも美しいものだった。
僕と彼女は土手の中腹に腰をおろして少しぬるくなった缶コーヒーを飲んだ。
冷たい風にさらされた彼女の頬がカサついている。
何気ない会話が途切れたその時、彼女がうつむきながら口を開いた。
「ねぇ、話って…なに?」
僕は緊張を紛らわせるために息を深く吸い込んで切り出した。
「あの、あのさ…」
彼女が缶コーヒーを両手で握りしめて聞いている。
僕は彼女の隣でおもむろに立ち上がって大きな声で言った。
「あのさぁ、『アベノ橋魔法☆商店街』っておもしろいアニメがあるんだぁ」
彼女が両手で握りしめたスチール缶がメキョメコッと音を立てて潰れた。
というわけで今回は『アベノ橋魔法☆商店街』!
時は現代、場所は大阪の下町「アベノ橋商店街」。
ここに住むサッシ(今宮さとし)とあるみ(朝日奈あるみ)は幼なじみ。
昔ながらの商店街は人通りも減ってしまい、再開発されることになってしまう。
店々も立ち退きを余儀なくされてしまい、
銭湯を営んでいたサッシの家も取り壊されてしまった。
あるみの家であるフランス料理店「グリルペリカン」も閉店し、
北海道に引っ越しをすることに決まるが、
あるみの祖父である雅ジイだけが店を続けると反対していた。
そんな夏休みのある日のこと、
雅ジイが店の物干し台に飾ってある四神獣の一つ、
朱雀(ペリカン)と一緒に落下してしまう。
そして次の日、
あるみとサッシは晴明神社から不思議な世界へと迷い混んでしまうのです!
第3回の『フリクリ』に続いてガイナックス作品2つ目ですね。
これがまた面白い!
この作品を見るのにキーワードとして「安倍晴明」があるのだけど、
そう言えば一時流行ったねー。
超美形のマンガが火付け役だったらしいけど、浄瑠璃「信太の狐」や、
歌舞伎「蘆屋道満大内鑑」の頃から人気のヒーロー(?)です。
平安時代の大陰陽師にして天文博士、土御門家の開祖にあたる人。
さて彼と商店街がどんな関わりで繋がっているんでしょうね?
今回の名言『なんちゅうたかて 達者が何よりや』。
これは主人公あるみちゃんの口癖です。
いかにも大阪の子やなぁと思う。
どこか大人びたものの言い方でしっかりした元気娘。
それに対してサッシはと言うと、
ハッタリが得意などこかヌケた愛すべきオタク予備軍といったところ。
不思議なパラレルワールドに紛れ込んだ2人は謎の男・ユータスや
巨乳眼鏡美女・ムネムネと出会いながら元のアベノ橋商店街に帰ろうとするが、
なぜかマニアックな設定の商店街に着いてしまう。
あるみは帰りたい、しかしサッシはなぜか帰りたくない…。
理由は伏せておくが、2人ともポジティブな思いで動いている。
しかしそのベクトルがお互いに真逆を向いているのが切ないんだよね。
なんとかしたい!
でも子供だから何も出来ない歯痒さ。
子供なりの事情があって、大人なりの事情がある。
子供に大人は分からないけど、大人は子供だったことを忘れていく…。
でも作品自体は7〜8割がギャグで、楽しんで見ることが出来ますよ。
RPGやらカンフー映画、恐竜ネタ、ミリタリー、銃器、
果ては美少女ゲームに至るまでサッシのオタクぶりを見れます。
それでもサッシがオタクっぽく見えないのは冒頭で話した事も含めて、
妄想と現実の分別化が出来ているからと言えるような気がするんだがなぁ。
つまり現実の上に妄想が成り立つというか、現実があってこその妄想なんだ。
さらに言うと、妄想とは隠れ家だと俺は思う。
始めは現実に嫌なことがあった時の逃げ込み場所。
しかしその場所が確立されると、
そこは自分にとって自由に行き来することの出来る別荘のようなものとなる。
寝起きの妄想。
通勤電車内での妄想。
仕事の合間の気分転換に妄想。
ただいまの妄想。
夕食後の妄想。
風呂上がりの妄想。
…やばい!
妄想で一日が終わっちまう!
現実が別荘感覚になってはいかんのだよ、ワトソン君!
記録しておきたまえ!
こんな風に妄想が現実を凌駕すると大変危険なので、
あくまでも現実感覚を大切にして欲しい!
そして諸君らは社会という名の荒波に揉まれ、
時には揉んで揉まれて、まぁ大変!
ところが、人間のイマジネーションというか
想像(妄想を含む)の力というものがいつ頃からか欠如しているのではないか?
すべてが与えられていくものばかりで完結している。
例えば、小説で良くある手法だけど、
結末をうやむやにして読者に委ねている物語があるとする。
それこそ読み手本人の感性で如何様にも捉えられるが、
イメージ力が無いとここが分からない。
物語も分からなければ書き手の思いすら分からない。
人の気持ちが分からない。
1から10まで説明しないと伝わらない。
イメージ力があれば1から3説明したところで
多少のズレはあっても大体は伝わるものだ。
仕事柄、ラジオCMのボディコピー(シナリオ部分)の説明をする。
これは演出に繋がることで大切なのですが、クライアントさんに話をします。
これが伝わる人とまるで伝わらない人がいる。
伝わる人には原稿を見せた時点で「あぁ、なるほど」となるのだが、
分からない人には延々とシチュエーションやら人物設定やら
オチまで説明した揚げ句、「ちょっと2役やって読んでみて?」と頼まれる。
笑いを人に説明することは大変な屈辱なのだよ!?
家に帰る途中、本気でへこんだんだぞ!
本作の主人公(?)サッシの脳内には溢れんばかりのイマジネーション、
それを喚起する力と世界観が詰まっている。
今回の名言にもなっているあるみの台詞
「なんちゅうたかて 達者が何よりや」は恐ろしく現実を表している。
この上に堂々と横たわっているのが
妄想でありイマジネーションっつうことなんやね。
妄想の一つも出来んようになったときは、達者やないような気がするんやが、
みんなはどう思う?
ぜひこの作品「アベノ橋魔法☆商店街」で
アニメーターのイマジネーションのすごさを見てください。
それとジョージ・クルーニーの吹き替えをよくやっている
小山力也氏のドラえもんのモノマネがある場面で聞けるのだ!
必ずや聞きたまえ、ワトソン君!
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『アベノ橋魔法☆商店街』
制作:ガイナックス
マッドハウス
キャラクター原案:鶴田謙二
脚本:あかほりさとる
監督:山賀博之 |
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