海洋空間佳本


夜想 夜想」★★★★★
貫井徳郎
文藝春秋

2007.6.20 記
正直なところ、本当に贅沢で手前勝手な本音を言わせてもらえば、「うーん、途中から枝分かれしたパラレルなストーリーも読んでみたいなあ」と強く思ったので、物語の最終盤から結末に至るまでの流れには少し不満は感じるけれども、所詮それは極私的感性、つまり好みの問題であり、本質的にこの作品が高い品格を持つ逸品であるという観方は間違いない。

珍しく先を急がれたのか、ちょっと強引な展開もあるが、世俗的な物言いをすると“正常”と“異常”の狭間を、傍から見ているこちらが身を竦めるほどに、危なっかしくフラフラと彷徨う主人公。
歩を誤って向こう側に落ちれば狂気の沼に呑み込まれてしまう、主人公のその綱渡りがまず、これでもかという具合に読み手に対峙してくる。
あーもうなんで分かんないんだよ、とか、なんでそんなことすんだお前は、なんてツッコミを幾度も心の内で入れなければならないほどに、狭窄した視野の中で猛進する主人公の振る舞いはしかし、その一方で「自分は“普通”だよ」、と何の疑いも抱かずに信じている私たちのアイデンティティに、「私は俺は絶対こんな風にはならない」とは決して言い切れないほどのリアルさを以て訴えかける。

単行本の帯なんかには、「再び宗教をテーマに云々」とかいった文句が書いてあったけど、純粋な意味で宗教をテーマにしていたなあと私が思う「神のふたつの貌」とは違って、ちょっとそういった次元で語られる性格の長編ではないと個人的には感じた。
仏教徒であろうが基督教徒であろうが回教徒であろうが無宗教者であろうが、その信心とは関係なくすべての人に問い掛けてくる小説。
純然たるミステリーを書く技術も傑出しているが、そんな漠としてつかみどころのない壮大なテーマを内包しながらも、これだけ読みやすく分かりやすく興味深く、そして高い品位を備えた物語を産み出す著者の才能に改めて気付かされた思い。

すべて読み終えた時に自ずと心に染み入ってくる「夜想」というタイトルも、抜群にいい。





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