事前に、どうやら犯人追跡に重きを置いたものではなく、脅迫テープに幼き頃の自分の声を使われた人にスポットを当てた話らしい、という漠然した情報を見聞しており、そういうことならどうも積極的に食指が動かんな…、と思いつつ書店で平積みになっているのをいつも目にしていたのだが、たまたま手に取る機会があったので。
実際に読んでみると、確かにテープの声の主の半生が1つの軸にはなっているものの、他方の軸ではしっかりと新聞記者が事件を真っ当に追いかけている様が描かれており、まずミステリーとしても一級品、確かな手応えがある。
当時、小学校高学年だった私にとって、詳細は分からぬまでもその深奥に強烈なインパクトを残したグリコ・森永事件。
被害に遭った企業名こそ架空のものに置き換えているが、一連の事件の経緯やディテールについては驚くほど忠実に実際のケースをなぞって物語は進められていく。
元新聞記者という著者の経歴が活かされた大日新聞パートはとてもアトラクティヴで、こんな次々上手いこといくかい! とご都合主義にクレームの1つも言いたくなることはあったが、それを差っ引いても充分にスリリングで面白い。
身内に事件の犯人がいるかもしれない、と疑いつつ独自に調査を進める(こちらも奇跡のような幸運がいくつも積み重なる都合のよさは見受けられる)、テープの声の主ブロックとの絡み方についても、両者の邂逅のタイミング含めてとても上手い。
そして、こうして両翼から事件の真相に迫っていく構図が、犯人グループは2つの派閥の混成だった、という著者の大胆な仮説と絶妙に符合して、読み手に妙な爽快感のようなものをもたらしてくれる。
まあ犯人の候補については冒頭から示されているし、全貌の種明かしに関しても半ば以降は想像がつく範囲内だから、サプライズやどんでん返しのようなものはないけれども、それなのにミステリーとして傑作だと思わされるのは、ひとえに高い筆力の賜物でしかない。
どんでん返しはないが、エピローグでこの小説はガラリとその表情を変え、ああこの物語の本質は30年前の事件の謎を解いていくミステリーではなかったんだな、未来ある子供の絶対性を改めて示し、そしてどれだけの時空を経ても消失することはない親子の情愛を全力で訴える、"家族"の話だったんだ、と一気に気付かされる。
もちろんエピローグに至るまでも、そうしたことを読者に伝えるパラグラフはいくつもあったが、正直そのウェイトはミステリーとしての面白さに及ぶことなく陰に隠れてしまっており、ドンと心に響くものではなかった。
ところがこのエピローグの巧さというか、腕力の強さはちょっとズルいぐらいだ、まんまと泣かされてしまったではないか。
紛れもなく著者の塩田武士氏にとって作家人生を賭けた渾身の作であり、またキャリアを代表する一冊となるだろう。 |