ジェンダーにLGBTQ、不登校、動画配信、フェティシズム、クレプトマニア…2020年代に入ってから特に社会問題として耳目を集めることが多い様々なトピックスがこれでもかとぶち込まれている、最近よく見るタイプの小説ではある。
旧態依然とした日本の社会制度の象徴たる存在としての検事、引きこもりの兄に屈託し自身のルックスにコンプレックスを抱く女子大生、平々凡々とした世の価値観に馴染めずすべての事象に対してアイロニカルで特異な性癖を持つ30歳手前の女性等々…それぞれの登場人物の立ち位置を巧みに書き分けあるいは重ね合わせ、普遍的な課題を炙り出し物語に組み込んでいく技術はさすがだ。
動画投稿サイトのコメント欄にコミュニケーションを隠れ蓑にしたフェティシズムが溢れている(?)、という病理構造は初めて知り、勉強になった。
「多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。」
こんな表現で、まさに不都合を糊塗し実体のない綺麗事として濫用される"多様性"に我々が覚えている痛烈な違和感を、ものの見事に描写している。
ただ、プロットを形成する核心の1つである"水フェチ"に関しては、それが即反社会的な犯罪行為に直結するものではなく、人生に絶望する材料としては弱過ぎる…と感じられてしまうのが残念だった。
余談ながら、朝井リョウ氏が書く小説の登場人物には"桐"という漢字が名前に使われている人が多いように見受けられるが、これは如何に?
特に今作、"桐"に加え"夏"まで入った女性が出てくるのはさすがに本筋と関係ないところで気になるので、どこかで修正しても良かったんじゃないかと思う。 |