感想を何から書き始めればいいのか…と思い悩むぐらいに、広範かつ多岐に渡るトピックスの数々を網羅しつつ、縦横無尽に論じまくっている。
もちろんそこには著者の恣意性も時に強く表れはしているが(特に終盤に差し掛かるにつれ、主観的な舌鋒が鋭さを増す)、因果の一つ一つを理屈に沿って丁寧に紡ぎ合わせ、ジャンル無用で推論を積み重ねて段々と"今"に近付いてくる様を読み進めるのは、ロジカルな思考を好む向きにとっては、とても快適で心地良い体験となる。
それぞれを挙げていったら収拾がつかなくなるほど多くの有意義な示唆が次々と登場してくるが、人類誕生以来の遠大な歩みとそれに関する考察を最後まで読み終えて印象に残るのは、"あなたは、私は、人間は、あるいはその他の生き物たちは今、幸せなのだろうか?"という著者からの問い掛けだ。
認知革命、農業革命、科学革命といったプロセスを辿り、人類は"地球の支配者"としてこれまで世代を重ねてきたわけだが、そうして行き着いた現在地に対し、強烈な警告を発して本書は終わる。
アニマルウェルフェアと同質の価値観まで示した上で、人類のヴェクトルに極めて批判的とも言える著者のスタンスには共感できる。
また、もしかしたらブッディスト? と思うぐらいに、仏教が目指すところの解脱の境地に深い造詣と理解を抱いていることが端々から感じられ、そしてその思想は徹頭徹尾、本書の背骨として実は貫かれているんだな、と読了後に独り腑に落ちた。
大脳新皮質が発達してしまった故に、良きにつけ悪しきにつけ"想像"する能力を身に着けてしまった人間にとって、幸福につながる唯一の道は、まさしく仏陀が説いた三法印、すなわち"諸行無常"、"諸法無我"、"涅槃寂聴"にある、という本意を幾度も換言しながらユヴァル・ノア・ハラリ氏は我々に伝えようとしているのではないか、と私は咀嚼した。
「心が何か快いもの、あるいは不快なものを経験したときに、物事をただあるがままに理解すれば、もはや苦しみはなくなる。」
序盤から、人間社会を構成する種々の要素は悉く我々が作り出した幻想である、という至極説得力のある持論(個人的に我が意を得たりと激しく首肯した)を繰り返し述べられているが、それもまた源泉となっている根っこは同じところであろう。
文章を読む限り、イスラエル人である著者は少なくとも親キリスト、親イスラムではなさそうだし、多くの侵略や蹂躙、簒奪といった蛮行を重ねてきた過去の欧州列強の帝国主義に強い反感を持っているであろうことが窺い知れる。
著者は"新しいグローバル帝国"という捉え方を示し、現代は史上稀にみる世界平和の時代である、という旨訴えているが、その点に関しては結果的に間違っていたことが今年になって明らかになったのは、実に残念である。
「人々が自分の人生に認める意義は、いかなるものもたんなる妄想にすぎない。」 |