文庫版解説で朝井まかて氏が、遠藤周作氏の別著作である「わたしが・棄てた・女」を読んだ時に「小説はここまで書くものなのか」と心を揺さぶられた、と印象を語っているが、著者の死後に発見されたという今作に対しても、当てる角度は異なれどまさしくその表現がふさわしい、と私は思った。
私小説、とまでは言えないとしても、自身とその家族がモデルであることは自明であるこの「影に対して」には、文字通り愛憎入り混じったどうにも昇華しきれぬ澱のようなどろりとした感情が塗り込められている。
できれば人に知られたくない、あるいは自らが思い起こしたくもないであろう過去やそれにまつわる自身の想い、それらを曝露することこそは、紛れもなく文学の一つの形であるに違いない。
本書には表題作の他、"母"を巡り関連する既作が幾つか編まれている。
どうして本作のみが生前未発表であったのか、本当の理由は今となっては分からないが、それらと比較し、通底するものとそうでないものとを慮ってみるのも、読み手の醍醐味の一つかもしれない。 |