書き出しから、安定して不安定さが醸し出される。
大事件が起きるでもなく、ある大学生男子の何気ない日常が淡々と綴られていくだけ…? いやでも何かがおかしいぞ、決定的に何かがずれている…と、読者は正体不明の不安に襲われ、ぞわぞわする胸騒ぎを抱えることになる。
道徳や倫理の観念が専ら自己の外側にしか見出せない、という点において、主人公はいわば原始的な欲求のみに忠実に従って生きる獣のようなものか、と当初思ったが、動物であっても種によっては備わっている優しさや情愛のようなものもおそらく主人公の内面から湧き上がってくることはないだろうから、さらに不気味な存在と感じられる。
いわゆるサイコパスにカテゴライズされる表層上は有能な人物が、何かのボタンの掛け違いをきっかけに転げ落ちていく様が、創作でありながらも極端に走ることなく、ごく身近で起こり得る事例として描かれているところが、また不気味さを感じる著者の力量である。
人間の醜悪な部分をクローズアップするディテールの書き込みは、サイコパスならずともすべての読者が持つ弱点をずばりと抉り、その切れ味は本当に恐ろしい。
デビュー作「改良」が見事に正常進化を遂げている芥川賞受賞作、と言えるだろう。
遠野遙は癖になる。 |