海洋空間佳本


ゴサインタン ゴサインタン」★★★★★
篠田節子
文藝春秋

2008.10.26 記
皆川博子氏が書く一連のクロニクルと同様に、テレビを点けながら、音楽を流しながら、などといった“ながら読み”を許さない、強い作品。
粗いところはあると思う。
結木家が没落していく過程は、小説とは分かっていても我が事のように身につまされるほどリアルだし、それに伴うエピソードの数々も充分に読ませるものではあるが、それにしてもちょっと冗長なんじゃないか、という気がしないでもない。
だが、元来長編好きの私にとっては、骨格がこれだけ確立された作品なのだから読了してみればさしたるマイナス要因にもならなかった。
それほどまでに、文学としての力がものすごく強い。

作品そのものの評価とはまた別問題として、篠田節子氏の小説の中には必ず1つは、心に染み入ってくる登場人物の言葉や思考がある。
アクアリウム」なら、「動物好きに動物学などできるものか」。
ロズウェルなんか知らない」なら、「考えてみれば第四次産業、観光などというもの自体が胡散臭さなしには、成立しない」。
そしてこの「ゴサインタン」の中からは、「強いというのは、人を食べて自分が大きくなることで、大きくなるからお腹がすいてもっと食べたくなって、食べるからもっともっと強く大きくなって。反対に弱ければ、だれも食べない。小さいからほんの少しの生命をいただいて、平和に、何も持たずに、毎日生かしてもらっていることに感謝しながら、生きていかれる」。
これらはもちろん篠田氏だけが唱えるオリジナルな発想ではなかろうが、適切な場所に適切な語彙でもって述べられているから、何ら抵抗なく読む者の心中に染み込んでくる。
この感覚も含めて、やっぱり篠田節子はすごい。

到達する境地はある意味対極だが、ラストにつながる一連では、ちょっとだけ貫井徳郎氏の「神のふたつの貌」を想起した。





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