まず個人的な印象として、件の兵庫県知事選挙の後に読んだので、その内容に戦慄すら覚えた。
また、"陰謀論"に囚われて抜け出せない人に関する記事等もちょうど最近目にすることが多かったので、そちらも実にタイムリー。
序章から極力平易な言葉遣いで鋭い考察を飛ばしている。
決して革新的で真新しい提唱が為されているというわけではないが、私たちが日常、虚実ない交ぜとなった情報過多社会に生きる中で、なんとなく感じ取っていた曖昧模糊とした焦燥や煩悶を一つ一つ拾い上げて明瞭に言語化し、説明してくれている。
フェイクニュースという言葉自体は比較的新しいものだが、ここで展開されている論法は、例えば"人はなぜ占い(あるいはオカルトでも)を信じるのか"を考察する際に古来繰り広げられてきたそれと重なる部分が大きく、哲学や心理学と相性が良いことが理解できる。
政治的なポピュリズムに対し、"知的なポピュリズム"という概念を打ち出してきたことには、なるほどと深く頷いた。
一方でマスメディアの末端に身を置いてきた一人としては、第4章に差し掛かり神妙な面持ちとなる。
著者による客観的な分析がそこでは行われており、口を極めてオールドメディアの有り様を非難するようなものでは決してないが、これまでと比して劣化してきている面があることは否めない。
期せずして背筋がぴんと伸びていることに気付いた。
人文学に関する専門的な素養を持たない人にとっても分かりやすくしたためられた本書は、カオスのような世の中で意識的あるいは無意識的に"哲学"を用いて思弁する道への格好の入口となり得る。
答えは本の中ではなく、あなたの、私の、一人一人の中にある。
余談ながら著者は私の大学時代のクラスメイトであり、鬱蒼とした森に覆われた彼の下宿にぞろぞろと集まり、夜通しあれやこれやと口角泡を飛ばしていた日々が読みながら思い出された。
と言ってもほぼすべてが何の社会的意義もない単なる与太話であったが…。
「現在、多くの国や社会では、住民投票や選挙等の直接的・間接的な民主的手続きを通じて意思決定が行われている。しかしこのプロセスは、それぞれの社会の成員が政治的な問題に対する判断能力を具えていることを前提にするだけでなく、一人ひとりにある程度正しい情報が共有されていることをもまた前提にする。したがって、もしもこの前提が崩れるとすれば、民主的なプロセスそのものの信頼性が揺らぐことになり、決定された結果の正統性にも疑いの目が向けられることになる。」 |