海洋空間佳本


麻原彰晃の誕生 麻原彰晃の誕生」★★★★☆
高山文彦
新潮社

2019.4.12 記
私の不勉強もあろうが、思えば日本の犯罪史に残るあれだけの所業を為しておきながら、その首謀者である麻原彰晃という個人にここまで焦点を当てて掘り進めた著作はあまりないように感じる。
その中で、生い立ちから始まり、松本智津夫がいかにして麻原彰晃となり、鍼灸院やいかがわしい薬局経営を経て、ヨガサークルを巨大教団へと育てていったのかを、丹念な取材を基に綴った本書はとても読み応えがあった。
私は学生時代、信者が多かったうちの大学の学祭にやってきた麻原彰晃の講演をすし詰めの大教室に聞きにいったことがあるが、その時受けた、宗教家というよりはなんだか俗っぽい普通のおじさんやなあ、という印象を補強してくれるような面もあったり。
一連の事件の肝である坂本弁護士一家殺害や、地下鉄サリンなどについての具体的な経緯の描写はほとんどないので、あくまでそこに至る教祖個人の道程を描くのが主眼だったのだろう。

当たり前のことだが、麻原彰晃とて一人の人間であり、ましてや結果はどうあれ、一時はあれだけの信者を集めて心酔させた人物である。
理解不能の化け物だ、と目を背け思考を止めるのは簡単だが、著者のように彼を私たちと同じ人間と捉え直し、その生き様を追体験してみると、誰もが何か感じるところを見出すだろう。
彼の人生に関わりを持った何人かの人たちが証言するように、ひょっとしたらどこかで彼の暴走を止めるポイントがあったのかもしれないし、結局はそうできなかったかもしれない。
しかし、麻原彰晃=松本智津夫は決して我々と違う遺伝子を持って生まれてきたミュータントなどではなく、著者の言葉を借りるなら、私たちそれぞれにとって「隣人」だった、ということは言えるのではないだろうか。

また本書で言及されているように、1980年代後半、ひとしきり経済成長を済ませ、物質的な豊かさは行き渡りながらも、その反動たる精神的な虚しさを特に若い世代の多くが抱えていた当時の時代背景が、オウム真理教の肥大化、そして麻原彰晃の神格化に燃料をくべたことは間違いない。
当時、報道を見ながら「アホやな、こんなんなんで信じてついていくんやろ…」と冷めた嫌悪感を持って幹部や信者たちを遠くから眺めていた私だって、実は背中合わせに立っていたのに、それに気付いていなかっただけかもしれないのだ。





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