表紙にも大きく記されているし、6日間の内に2度に渡り単独・無酸素でエヴェレストに登頂した離れ業についての詳細を綴ったものかと思いきや、もちろんそれに関する記述もあるがヴォリュームはほんの僅かで、全体を通して感得した印象は、"山との向き合いを通じて語られるキリアン・ジョルネの人生哲学"。
訳文の妙もあろうが、心に響くフレーズが多い。
「スローライフのために速く走っている。自分らしくあるには孤独が必要だが、生計を立てるには人と関わらなくてはならない。」
「インターネット以前の社会では、まだ人生で長期的な結果を追い求めることは可能だった。」
「登山とはただ、命を危険にさらして頂に到達し、そのあと降りてくるというだけのことだ。どう考えても英雄的行為とはみなせない。これはただの愚行だ。」
「真のクライミングとみなせるのは、ルートもわからないまま、裸足で、チョークもロープも持たずに出発した場合だけで、それ以外のすべては妥協だ」
「少なさこそ豊かさであり、大切なのは何をするかではなく、どのようにするかなのだ」
「進化に逆らうことは自分が進化するための完璧な方法なのかもしれない。」
世界のトップに君臨するトレイルランナーとして知られながら、決して人に注目されることを好まない彼のパーソナリティーが随所で表現され、また終盤の"ぼくを永遠に変えた出来事"の章では、そんな価値観を持つ彼の感性が捉えた現代社会の本質が鋭く、赤裸々に看破されている。
夜を徹して山を走り続けること、8000mを超える高所で活動を続けること等が、彼にとっては何ら特別でない日常の些事のように、であると同時に他方で、間違いなく死と隣り合わせの綱渡りであることが確実に伝わるように描写されており、読んでいるこちらは静かに背筋が冷える。
「ようやくぼくは、その日の恐怖に打ち克ったことに満足して家に帰った。」
こんな、彼の狂気とも言える一端を象徴する言葉もあるように、いつかキリアン・ジョルネの命も道半ばで山に呑み込まれてしまうんじゃないだろうか…? という嫌な予感めいた危惧もないではないが、大切な人のためにも最後の一線は決して越えまいとする絶対的な信念めいたものが、礎にしっかり貫かれている気がして、畢竟安心して最後のページを閉じた。 |