2017年6月12日(月)

アイアンマン70.3 セントレア知多半島ジャパン参戦記

スイム 1.9km、バイク 90km、ラン21.1km。
アイアンマン70.3 セントレア知多半島ジャパンに出場するため、前日の10日(土)に愛知県入り。
セントレア空港にて説明会、選手登録等済ませ、車で30分ほど離れたT1の新舞子マリンパークへバイクチェックインに。
今回、バイク&ラン用のサングラスを忘れるという失態を演じてしまい、エキスポ会場で2000円の格安品を購入した。
セントレアでも新舞子でも結構な距離を歩いて行ったり来たり、そしてトランジションバッグ等、準備する品々に頭を悩ませたりして、3時間のドライヴ後だったのもあって意外と疲れた。

バイクチェックイン完了

ホテルへの途上に夕食を済ませ、暗くなる頃に宿泊するコンフォートホテル中部国際空港にチェックイン。
なかなか快適そうなホテル。
翌日の準備をし、空港内にある風の湯という大浴場で一風呂浴びて、早めに床に就く。

レース当日。
5時に起きて朝食を摂る。
この日はホテルが4:30から朝食を準備をしてくれているということで、ありがたい。
6時過ぎのシャトルバスでスイムスタート地点の新舞子マリンパークのブルーサンビーチへ移動し、会場をウロウロしつつ準備を整える。
この大会は去年もエントリーしていたのだが、ちょうど直前に体調を崩して入院してしまい無念のDNS。
満を持してのリヴェンジとなった。
その割にはスケジュールの都合もあって全然練習できなかったけど...。

スイム会場では和太鼓隊の皆さんが

主催者発表の水温は約19℃。
スタート前の入水チェックの時、あまりにも水が冷たくて心臓が止まるかと思った。
呼吸も苦しく感じたので、これは早くもまさかのリタイアか...、と縁起でもない想像が頭をよぎる。
スイムの無理は命の危険に直結するので、必要以上に警戒してしまう。

スイムスタート

8:15、私が入る第4ウェーヴがスタートして泳ぎ始めたが、息苦しさは大分解消されていて、これならいけるかな、と安堵。
バトルを避けるため、かなり後ろの方からスタートしたはずだが、ある程度泳いでいくといつのまにか前後左右に人がいて、何度か軽い接触もあった。
一度ゴーグルを蹴られた時にはヒヤリとしたが、大事には至らず。

潮流がかなり速い、と前日の説明会で話があり、当日の情報でもそう聞いていたが、泳いでみるとそれほど体感はなかった。
過去のオープンウォーターよりは比較的真っ直ぐ泳げたんじゃないかと思う。

スイムアップ

速報値49分45秒で1.9km スイムアップ。
事前の予想タイムとほぼ同じだ。
このあとのトランジションで14分以上も掛かってしまったのが相変わらずだが...。

バイクスタートこの後悲劇が...

続いて鬼門のバイク 90km。
苦行の長旅になりそうだ...。
最初は約16kmの周回コースを4周するのだが、その3周目序盤でなんとフロントタイヤがパンク!
練習等も含めてパンクは初めての経験だったが、プスプスプス...、と音がして空気が抜けていくあの現象はどうしたって間違えようがない。
念のため持っていたシーラント剤をブッ込んで応急処置はしてみたが、所詮は焼け石に水。
予備タイヤを持っていないという、トライアスリートの風上にも置けぬ醜態がここにきて自らの首を絞めることに...。
はっきり言ってこの時は9割方、完走を諦めた。
ただでさえバイクは一番不得意で、順調に走っていても制限時間気にしないと、と思っていただけに。
マーシャルやスタッフにメカニックの場所を聞いたが、ちょうど通り過ぎた直後で、まだ大分遠い。
せっかくここまで来てフィニッシャーメダル貰わずに帰るのか...、と泣きたい気分だったが、微かな可能性に賭けてペコペコのタイヤで走り続ける。
そうしたら、マーシャルに聞いた場所とは違う地点になんとメカニックの待機ポイントがあり、向こうが見つけて声を掛けてくれたじゃないか!
地獄に仏とはまさにこのこと。
5分ほどで手際よくタイヤを交換してくれた2人組が神様に見えた。
ありがとうございました!

パンクして世話になっといて言うのもなんだし自分で覚えとけって話でもあるが、しかし公式審判のウェアを着たマーシャルはコース上のメカニックの場所をちゃんと知っておいてほしい...。

アクシデントで20分近くロスしてしまったが、何とかタイムオーヴァーでカットされることもなく、速報値3時間44分でバイク終了、T2へ辿り着いた。
64km過ぎ、周回を終えて田園地帯へ出てからのコース終盤は、確かにアップダウンはあったけど風景が変わるしそれまでの工業地帯クルクルよりやっぱり断然楽しかった。
バイクコース全体通して道幅が狭くコーナーも多く、右側を高速トップ選手たちが抜いていく時は、状況によって少し危険を感じるところもあった。
選手たちの使用バイクは、6割ぐらいがTTで、3割ほどがロードバイクにエアロバー、私のようなドロップハンドルだけのロードは1割以下だったような印象。

T2でランの準備

T2でのトランジションタイムは6分弱。
3種目の練習よりここを縮める方が効果がありそうだ...。

ランスタートは半田運動公園

ランコースも噂通り、アップダウンが激しい。
歩道橋の階段なんかも挟まるのがローカル感満載で面白い。
正直、最後のランに関しては予想では2時間ちょい、悪くても2時間15分ぐらいに収まるのでは、等と考えていたのだが、とんでもなく甘い思い違いだった。
ここまで既に5時間近く体を動かしており、つまり単純に時間で言うとフルマラソン以上のことをやってきている。
その後に走るハーフマラソンのなんと辛いことか。
昼を過ぎ、太陽が照り付け出して、気温も上がってきたし。
幸い、どこか体を傷めたというようなこともなかったので、LSDの如く少しずつながら着実に歩を進めて、ついに念願のフィニッシュラインを越えることができた。
ランは2時間31分で、合計タイムは7時間25分。
順位はビリから数えた方が断然早く、何となく目標としていた7時間は切ることができなかったが、とりあえず大きな事故なく笑顔でゴールできたことでよしとしよう。
あとはパンクがなくてトランジションでもう少しスムーズに動いていたら6時間台かな(笑)。

応援&サポートの妻と

何とかハーフアイアンマンの称号は手に入れたが、今の自分にはこれが精一杯だということもよく分かった。
この倍、フルのアイアンマンディスタンスを制限時間内にフィニッシュすることは恐らく不可能だ。
ロングのトライアスロンを完走する人たちは本当に凄いと改めて思う。

夕方、トライアスリートでごった返す空港の大浴場で汗を流してから、アワードパーティーに参加した。
意外とたくさんの人たちが来ていて、表彰等、盛り上がりを見せていた。

アワードパーティーも盛り上がった

思い返すと、午後こそ陽射しは強くなったが、バイクが終わる頃までは曇りがちの天候で、風も弱めと、コンディション的には絶好の日和だった。
それであれだけしんどかったんだから、もし強風や雨だったとしたらどれほどのダメージを喰らっていたか...。
ミドルは最初で最後? これからは51.5に絞って無理なく楽しみますか...。

フィニッシャーメダル


♪ からたち野道 - THE BOOM


2017年6月 6日(火)

もう少し寝ないと

長期出張から帰還以降も休み返上で重めの仕事が続き、疲労は溜まっているが今週はちょっと体を動かしとかないとヤバい。
昨夜はスイムメニューを1200m、今日は1時間ペース走を行った。
ほとんど時計を見ずに気持ちのいいペースで流したが、全ラップ5分17~23秒の間に収まり、意外と感覚は悪くない。
明日以降も不規則なスケジュールが待っているが、何とか体調を整えて週末のミドルを迎えなければ。
しかし日曜の天気予報は今のところ雨!
これはバイクがマズいなあ...。


♪ Old Brown Shoe - The Beatles


2017年6月 3日(土)

東北より帰る

8泊9日という、これまでの社会人生活で最長となる出張を終え、ようやく帰ってきた。
目的地は、宮城から福島。
宮城では女川原発や復興が進む街の様子などを視察させていただく機会を頂き、6日間を過ごした福島では主に浜通りを中心に回り、こちらも一言ではとても表現できない数々の貴重な経験に恵まれた。
また、今回の業務でお世話になった福島の系列局の方々にも本当に様々な配慮を賜り、平日5日のうち、なんと4日も入れ替わり立ち代わりで晩飯をご一緒させていただいたり。
毎日朝が早く、比較的ハードな日程ではあったが、その疲れを上回る満足と自身の成長につながる経験を得ることができた。

車窓から豚壱の豚丼殺処分されたイノシシ

これまでも東日本大震災の被災地を訪れたこと自体はあったが、これだけの広範囲を回り、そこに暮らす人たちの話を時間を掛けて聞いたのは、恥ずかしながら今回が初めて。

遠くまで買い物に行けない仮設住宅の人たちのために、毎月赤字を出しながらも店を営業し続ける人がいた。
慣れないスマートフォンを操作しながら、かつて自宅が建っていた更地の様子を写真に収めている人がいた。
うちの漁協より厳しく線量検査をしてるとこはない、あとは何とか保護者にも理解してもらって地元の魚を学校給食に使ってくれたら...、と呟く人がいた。

相馬市の復興住宅で、色とりどりの花々が美しく咲き誇る庭の手入れをしているおばちゃんに声を掛け、話をさせてもらった。
かつて家が建っていたところは津波に呑まれてしまい、一昨年から高台に造られたこの新しい町に住んでいるということで、今は本当に毎日が幸せだと、こちらまで顔が綻んでしまうような笑顔をいっぱいに浮かべて語ってくれた。
あまりにも楽しそうに話されるので、「その笑顔から幸せな様子が伝わってきますよ」と語り掛けた私に返ってきたのは、「やっぱり笑ってるのが一番いいよね。でも津波で息子亡くなったんだよ、消防団員だったから」という言葉だった。
心が一瞬止まった。
何とか会話を続けながらも、私は自分の軽薄さを心底蔑み、そしておばちゃんがこの飛び切りの笑顔を取り戻すまでの6年間という歳月を想像するばかりだった。
おばちゃんの笑顔を思い出すたびに、喉の奥の方から熱いものがせり上がってくる。
年を取って涙腺が緩くなった。

東北の人たちは我慢強いとよく言われるけれど、私が会った人たちも皆、「誰かを恨んでもしょうがないしね」、「誰が悪いってわけでもないからね」、「前向いて生きていかなくちゃ」と仰っていた。
確かに被災した人たち自身にとっては、そうやって気持ちを切り替えていかなければ未来が立ち行かないのだろうと思う。
でも、本当に誰も責任を取らなくてもいいのかな?
地震、津波は仕方がないとして、それに付随する人為的な要因で住んでいる土地を追われ、そこにはもう死ぬまで帰れないよ、と言われてしまった人たちがこんなにもいるのに、誰も目に見える形で何の責任も取っていない今の日本のあり方を誇ることはできるかな?
避難計画が万全かどうか、という論点の前に、事故が起きた場合に住民が避難しなければならないような、今の人類の力では飼い慣らすことができない技術を無理矢理使う合理性はどこにあるのかな?
私たちはジェットコースターに乗っているわけではないんだから、いつでも途中下車はできるし、行先が間違っていると気づいたら進む方向を変えることもできる。
シンプルに物事を考えて、時には引き返す勇気を持とうよ。

帰阪する移動日の今日は、せっかくなので頑張ってさらに早起きし、福島市内の北部にポコンと膨らんでいる信夫山に上ってきた。
周囲を山地に囲まれて盆地状になっている平野部に突如盛り上がっているような山で、それが西宮市の甲山を本当に彷彿とさせるから、多少の睡眠時間は失ってもアタックせねば!

信夫山

ハローワークの北側から上り始め、途中までは車も通る舗装路を。
私が入った山の南部に関して言うと、どうもトレイルの長さ自体はそれほどなさそうな印象。
また、標高は甲山とそれほど変わらないけど、裾野に当たる面積がそれよりもだいぶ広そうで、山そのものの規模は大きく感じた。
なにぶん初めての登頂で距離感が分からないし、ホテルのチェックアウトの時間もあるから少し急ぎめに回ったが、何か所かある展望台まではそれほど時間を掛けずに到達することができる。
今回の目的地は、仕事をご一緒していた地元の人に「ここが一番景色がいい」と教えてもらっていた烏ヶ崎展望デッキ。

烏ヶ崎展望デッキから

無事に何とか迷わず辿り着くことができたが、これは確かに絶景!
あまりの視界の開け具合に、思わずうわあと声が出た。
素晴らしい情報、誠にありがとうございました。
眠かったけど上ってみてよかった。

居合わせた人に撮ってもらった


♪ Rainbow In The Dark - Dio