海洋空間佳本


羆撃ち 羆撃ち」★★★★★
久保俊治
小学館

2021.12.2 記
よほど優秀な編集がついていたのかな、と勘繰るぐらいの構成力と文章力で、出だしの一章、初めて羆の母仔を仕留めた場面を回想する克明かつ凄惨な描写にいきなり引き込まれる。
それにしても、この微に入り細を穿つ書き込みはなんだ、まるで今起きたばかりのことを説明しているかのようじゃないか。
洗練されたプロの書き手によるものとはまた違う、当事者しか語り得ないダイレクトでシヴィアな現実が、鮮やかな筆致で全編に渡り描かれている。

山を主な生活のステージとし、狩猟や野営などの実態を市井に伝えんとする人たちの著作を目にする機会はこれまでも少なからずあったが、中でもこの久保俊治氏の生き様、そして彼を包む世界観はまるで別格であるように思う。
既に物心ついた時から猟や銃といった存在が身近にあったという環境もあろうが、山に生き暮らすという、我々にとってはとてつもなくハードルの高いサヴァイヴァルスキルが、まったく何でもないこととして、実にさらりと綴られている。
極寒の北海道の山中にベースキャンプを設営し、そこからさらに奥深くへとビヴァークを繰り返しながら獣を追って何日も道なき道を歩き通す…、それが著者にとってはただの日常に過ぎない、という事実に思い至り驚愕するまでに少しタイムラグがあるのだ、それがさも当たり前のように書かれているので。
獲物に気取られにくくする具体的な技術、手負いの鹿を最後まで幾日も追い続ける執念、羆を視界に入れながら状況の好転をじっと待つ数時間、藪の中で五感を駆使して姿の見えない羆に立ち向かう恐怖、捕らえた獣を掻っ捌きあるいは食用に適する植物を採集して得る日々の糧、行き当たりばったりではなく根拠を基にした推論を積み重ねて獲物の居所を探り当てる知性…もちろん一つ一つ心に残るトピックスを挙げていけばきりがなくて、例えば山中でコンタクトレンズ1枚失っただけですぐに野垂れ死んでしまうであろう、動物として圧倒的に劣った存在である私にとってみれば、すべてが超人的な所業である。
縦横無尽に人跡未踏の山を広範囲で移動しながら、遭難しないという単純な事実一つとっても、驚異だ。
1970年代に単身、アメリカに武者修行に赴いた行動力と対応力にも感服。

本書の後半は、久保氏と愛犬・フチの物語である。
フチと出会い、年月と経験を積み重ねて互いに成長していく様が、ありありと脳裏に浮かぶ。
死期が迫ったフチに向かってライフルを構える場面では、当時の著者の心情と同期してともに涙に濡れた。
別れは避けられないものだが、このような相棒と今生で巡り合うことができた久保氏は幸せだな、と思う。

山奥深くで命を懸けて獣と対峙した経験がない私は、決して著者の感覚すべてに無条件で寄り添うことはできないが、殺して喰って生きるという動物の原点が余すところなく表現された本作は、紛れもなく大自然の賛歌である。

「自然は人間が考えるよりはるかに深遠です。」





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