海洋空間編集長雑記



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2005年9月分




2005年9月28日(水)
「ナイルパーチを喰った、家で」


昨晩は21時前には帰途に就き、家で夕食を食べたのだが、リヴィングに入ると漂ってきた焼き魚の匂い。
「サンマ? アジ? サワラ? ブリ? サバ?」
どれも違って、なんとまあ酔狂なことに妻がスーパーで見つけて買っていたものは、ナイルパーチの切り身。

こいつはその名の通りナイル川のあたりに棲んでいるらしい
(でも確か成長過程のどこかで一旦海に下るはずだから、純淡水魚ではなくて汽水魚になるのだろうか)
大型魚で、全体の見た目は四万十川などに生息する希少魚、アカメによく似ている。

味の方はというと、要はアフリカのスズキであるから充分美味い。
全然悪くない。
淡白ながらも脂がよく乗った白身からにじみ出るほのかな甘さ。

なんにしてもチャレンジングな我が妻であるが、
これも僕の水棲生物狂いが頭の片隅にあってこその行動だったに違いない。
どうもどうも。



2005年9月26日(月)
「ドジョウ汁と宮沢和史」


今晩は金村義明さんの二十数年来に渡る馴染みにして超人気の焼肉店、
尼崎にある「高麗飯店 本店」に行ってきた。

肉の美味さはもちろんのことながら、さながら韓国一般総料理店といったごとく、
品揃えが多岐に渡っていてメニューを見ているのも面白い。
中でも特筆ものは“ドジョウスープ”。
ネーミングから想像するに、
いかにもひとクセありそうなドジョウの身が具として入っていそうだがそうではなくて、
ドジョウは作業工程の途中でグズグズに身が崩れるほどに煮込まれてしまっている。
これがなんとも言えず本当に美味い。
精のつく逸品として人気が高いのもうなずける。
もう喰えないというほどに腹いっぱい。

帰宅して先ほど、僕の大好きな宮沢和史が出演していた「SMAPxSMAP」を視聴した。
やっぱり文句なしにかっこいいじゃないか。
三線もああやって使われればさぞ幸せであろう。

彼が「島唄」を作ったきっかけは、
ひめゆり平和祈念資料館で語り部として働いているひめゆり部隊生き残りの老婆であった、という事実は、
つい先日その場所に行って同様に傾聴してきた我々にとってはショッキングな出来事であった。



2005年9月25日(日)
「120球ぐらい投げたんじゃないか」


13時から草野球の練習試合に行ってきた。
今日はワンダラーズというチームの方で、先発で投げた。

初回はまだ体が寝ていたみたいで2点を失ってしまったけど、以降は体の目覚めとともに尻上がり。
2回から5回までは無失点に抑える。
きょうのピッチングはマジで調子良かった。

その間、味方打線も絶好調、相手のミスもあって5回終了時で8-2とリード。
こりゃ快勝かと思っていたら6回、味方の守備の乱れもあって大量失点!
なんとなんと8-7と1点差に追いつかれたところで時間切れ、ゲームセット。
勝ってよかった。
まああのままやってても勝てたけど(?)!

6回途中完投、打撃成績(これがいただけぬ)は3打数0安打、エラーで1出塁。



2005年9月23日(金)
「明るいうちから宴を開く」


昨日は以前担当していた番組の打ち上げが行われたので参加。
2日続けて新地とは、酒を飲まぬ僕にしてはあるまじき事態だ。
2人のレギュラー出演者が此度の放送分をもってご卒業ということで、その送別会の意である。
立ち上げから1年間ミッチリ就いた番組だけに、僕個人的にも少なからぬ思い入れのある番組、
そして出演者だった。
今後ともひとつよしなに。



2005年9月22日(木)
「美食万歳」


昨晩は他部署の先輩の企画立案で番組スタッフの懇親食事会が催された。
場所は大阪・北新地の「レストラン いそむら」。
ステーキが最高に美味い名店である。

結果的に充分に意義深い、それだけでなく実に楽しいひと時だった。



2005年9月21日(水)
「三線」


沖縄旅行に行った時にさんざん気になって結局迷った挙句に買わなかった三線を、
帰ってからやっぱり、と思い直してインターネットで注文した。
先日届いたそれは元々沖縄県で学校教材として使われているもので、
もちろんちゃんとした三線よりはちゃちい代物なのだが、
あの蛇皮貼って黒塗りして、といったいかにもな三線のデザインに少なからず馴染めなかった僕としては
かなり気に入った無垢木の質感丸出しのポップなおもちゃ感覚、というカンジで、もちろん音もちゃんと鳴る。
最初から高いものを買ったとて、ひょっとしたらすぐ飽きてしまうかもしれないのでこれぐらいがちょうどいい。

実は沖縄で泊まったホテルのショップに同じものが置いてあって、
僕はそれを買おうかどうしようかさんざん考えたのだが、
この商品は本来キットで、すなわち購入者が自分で組み立てなければならない。
おそらく学校教材としては作るところから教育的一環なのだろう。
僕は自他ともに認める不器用者で、一旦は購入を諦めた理由は、
きっと上手く組み立てることはできない、という妙な自信があったから。
せっかく買ったところで組み立てに失敗するのは目に見えていた。
ところが旅行から帰ってきてからインターネットを見ていたら、
このキットの組み立て済み完成品が売られているではないか。
そこに飛びついた、というわけなのだ。

新たに弦楽器軍団に仲間入りした三線
テレキャスター、エピフォン、アコースティックギターに囲まれる
三線キット完成品

この楽器って結構ノリ一発、っていうか、割とフィーリング重視で適当に弾いていればOKみたいだし、
むしろそっちの方が様になるね。



2005年9月19日(月)
「早朝野球に始まった長くて短い一日」


今朝は、7:15集合、8:00プレイボールの草野球公式戦に行くため、6:00に起床。
だから昨晩は早く寝よう、と思っていたのに、本読んでたら結局3:30、悔恨。

7番セカンドで出場し、第1打席はファーボール→盗塁、
そして第2打席はなんと1アウト満塁というチビりそうな場面で回ってきた。
普段の僕なら実際にチビってしまって凡打に終わるのが関の山だが、今日は違って、
やや振り遅れ気味ながらもセンター前に弾き返す2点タイムリーヒット!
シビれた。

結局回ってきたのはこの2打席のみ、1打数1安打2打点1四球2盗塁。
しかし守備では小さなミスを連発して足を引っ張ってしまった…。
結果は4回時間切れコールド、3-6で敗戦。
初回の大量失点が最後まで響いた。

夕方、久しぶりに妻と2人車で大型店舗の関西スーパーまで出掛けて夕飯のお買い物。



2005年9月18日(日)
「今日も来賓」


今年の春まで番組をご一緒していた早坂好恵さんとスタイリストのFさんが今日、拙宅に遊びに来てくれた。
前夜から妻が気合を入れて仕込んでいたハッシュドビーフや
エビとアヴォカドのサラダなどで昼の食卓を囲む。
お土産で頂いた「御影 高杉」のケーキも美味しかった。

早坂さんの夫であるスペル・デルフィンの話やプロレスの話、
それに沖縄の話などを肴に楽しい時を過ごしたわけだが、中でももっとも時間が費やされた話題が、
作家の岩井志麻子さんのマネージャーであるOさんにまつわることだった、
というのはいかにOさんといえども知る由もない。
ロケに同行した際、タレントも衣装を替えていないにも関わらず、
なぜか写りもしないのに服を着替えているOさん、
テレビ局にフリル付きのシャツとピンクのジャケットを着てやってくるOさん、
自分とこの事務所所属でもないタレントのスケジュールを
そのタレントのマネージャーよりも熟知して先回りしているOさん、ありがとう!

今度はオタクの城、デルフィン・好恵邸にお邪魔させていただきます。



2005年9月16日(金)
「bjリーグ私的続報」


少し前にあまりよからぬ書き方をしてしまったbjリーグだが、
なんと東京アパッチのヘッドコーチはコービ・ブライアントの父親で元NBAプレイヤーのジョー・ブライアント、
さらに同チームには選手としてスコッティ・ピッペンの甥に当たるウィリアム・ピッペンが在籍しているのだとか!
うーん、埼玉ブロンコスのデヴィッド・ベノワといい、
こりゃあますます中途半端な形じゃなくちゃんとやってほしいなあ…。



2005年9月15日(木)
「個」


何かにつけて、と今回はもう一括りにしてしまうことにするが、
数多くの人間が寄り集まって決めた事柄というものは、たいていよろしくない。
物事を決めたり、あるいは産み出したりする時、そこに参加する脳ミソの数が多ければ多いほど、
よろしくない、と僕は思っている。

何が言いたいかというと、つまりは近代法治国家において、
法を犯せば警察機構に身柄を拘束されたり民事責任を負わされることになる、
という決め事と同じぐらい、全国民が盲目的に当たり前と信じ込んでしまっている、
議会制民主主義の消極的な全面否定をしたいのである。

社会人ならば誰しもが体感していることだとは思うが、人間の頭数が増えれば増えるほど、
すべての行為についてそれに費やす時間というものもまた確実に増していく。
2人で相談すれば5分で決まるような事が、
10人の総意(あるいは多数決だっていい)を得ねばならぬとなると、それはもう大変な行程となる。
そして加えて言うならば時間的な問題だけではなくて、その頭数が多くなればなるほど、
それらの人々の持つ価値観の平均値、というものは文字通り平均化されていってしまうわけだから、
善きにつけ悪しきにつけ、極端な振り幅を持った選択肢というものは早晩死滅してゆき、
当ったり前の事しか決まらないし、産み出されない。

みんなだって解っているはず。
何百人も雁首揃えて寄り集まって法律を作ろうとしたり金の使い途を決めたりしようとしても、
きっと上手くはいかないってことを。
本当は、もちろんそんな存在いるわけないんだけど、
頭脳明晰、公明正大、清廉潔白、強権力を掌中に収めても決して汚れず真っ直ぐに聳え立つ、
“生ける絶対的客観性”のような独裁者が国を治めればいいんだ、ということを。
いるわけないから僕たちは決して能動的にではなく、
消去法として残ったいわゆる“民主主義”なんて一見物分かりの良さそうな幻想に則った気になって
誤魔化しているってことを。

結局人間という生き物は、他の人間と折り合っている。
禁断の果実を口にしたせいか直立歩行のお陰かは知らないけれど、
知性と理性というものを手に入れてしまったがために、折り合いをつけながら生きていかなければならない。
通りのよい言葉で表すならばそれは協調性、なんてことになるんだろうが、
その協調と引き換えになっちゃったものもたまには惜しまれるなあ、なんて。

一人一人を見てみれば善良なる市民に過ぎないはずなのに、
集団になると途端に猛り狂う暴徒たちに変化しうる、というようなありふれた例にしたって、
それは本能と欲望に従って自我を剥き出しにした結果なんかじゃなくて、
逆に他者と協調し折り合いをつけたがための行動パターンなのだ。

本当に自我を剥き出しにした人間は、必ず独りで闘争する。



2005年9月14日(水)
「沖縄小旅行記」


【1日目 9月4日(日)】

妻と2人楽しみにしていた沖縄旅行だが、台風14号が現在地南大東島付近、
一両日中にも九州に上陸しようかという最悪のタイミングに出掛けなければならぬとは…。
「天気悪そうなんで来週にしますわ」とか言えないのが辛い。

飛行機は何とか無事に飛び、
午前中のうちに首尾よくレンタカーを駆って那覇市街地中心部へと侵攻することができた。
ちなみに借りたのはマツダ アクセラ。
パッと見た目よりもなかなかボディがでかそうだ。

国際通りをプラプラと歩き、「波照間」という名前の郷土料理店に入って昼食。
2人とも、タコライスと沖縄そばのセットというヤツを食べる。
タコライスは初めて食べたけど、あんまり辛くし過ぎなければ美味いね。
ただ沖縄であるべき必然性は解らないけど…。
ドーナツ状の菓子、サーターアンダギーも美味い。
そしてゴーヤージュースも頼んで飲んでみたけど、元々ゴーヤーも好きだから美味しく飲めた。

タコライスと沖縄そばのセット
初めて食べたタコライスと食べ慣れた沖縄そば
そして右奥に置かれた菓子がサーターアンダギー

心配の天気は、終始曇り空で、時折ポツポツと雨粒が落ちてくるといった具合。
散策できないほどの悪天候じゃないのがまだ救い。

アロハシャツ専門店「HI KAMA'AINA」と、
オリジナル・ブランドも展開している「MAX」という店で服を3枚ほど買う。
妻も「MAX」で1枚買った。

宿泊する「ルネッサンス・リゾート・オキナワ」に移動。
ホテルは本島中部の恩納村にあり、高速道路を使って車で40〜50分ほど。

今回借りた車にはナビが付いているのだが、聞きしに勝るアホだな、この機械は、
と感じるケースがいくつかあった。
でも初めてのところに行く時にはそれはそれでお役立ちになることもある。
どっちにしろナビにばっかり頼っていたら方向感覚も麻痺するし道も覚えないので、
補完的に使うのがよろしかろう。

ホテルはロビーから最上階までブチ抜かれた吹き抜けが気持ちよい。
嗚呼、もっと天気がよければ。

ルネッサンス・リゾート・オキナワのロビー
ルネッサンス・リゾート・オキナワのロビー
1階から最上階までの吹き抜けが開放感抜群

明日は楽しみにしていた一大イヴェント、ジンベイザメとダイヴィングの予定なんだけど、チェックイン後、
主催ショップに連絡してみたら今日、明日はすでに中止の運びとのことで、明後日にスライドした。
頼むから明後日はあってくれよ…。

雨はそれほどでもないのだが風がとても強い。
暴風と言ってもいい様相だ。
夕食はホテル内でとることにする。
「セールフィッシュ・カフェ」というレストランでブッフェ・ディナー。
「トリオ・ロス・マリアッチス」という名の陽気なメキシカン楽団もレストラン内を歩きながら生演奏をしてくれ、
リゾート的雰囲気は抜群だ。
料理も一般的なメニューや沖縄料理に加えてヴェトナムの麺料理、フォーなんかもあって充実しており、
充分に美味しい。
中でも黒糖を主材料とするらしい「ちんぴん(ポーポー)」というデザートは心に残る絶品だった。
ちなみにビーチサイドやプールサイドで食事ができる3軒のバーベキュー・レストランは
悪天候のためクローズド。

部屋のヴェランダから望む
部屋のヴェランダから閉鎖中のビーチを望む…
波もかなり高い

沖縄には珍しいという天然温泉がここには湧いているらしく、館内の「温泉ヤマダ」で一っ風呂。
残念ながら露天はなかったが大浴場はやはり気持ちいい。

前後して、ホテル内のショップも一回りしてみたけど、さすがに広さ、品揃えともにかなり充実している。
この辺は海外の一流リゾートよりも日本の方が力を入れているな。

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【2日目 9月5日(月)】

もし今日ダイヴィングをしていれば明日「美ら海水族館」に行こうと思っていたんだけど、
ダイヴィングが中止になったので予定を1日前倒し、今日水族館に行くことにする。

朝食ブッフェをとった後、レンタカーにて出掛ける。
美ら海水族館はここからさらに北、本部半島にあり、高速を使って車で40〜50分ほど。
ちょうど那覇市内からこのホテルまでと同じくらいの距離と時間だな。

相変わらず雨はそれほどきつくないが、引き続き風は強い。
美ら海水族館のある「海洋博公園」に着き、
僕が行く数週間前に行った知人から「ものすごく眺めがいいから!」と聞いていた、
海に向かう大階段は人っ子一人歩いておらず、大曇天の大強風で眺めもクソもなかった。
立っているのが、歩くのがやっとってカンジ。

それでも館内に入る前に頑張って外の施設を歩き回り、
人工尾ビレで有名になったイルカ「フジ」を見たり
(でもこの時は尾ビレを付けておらずポツリと浮かんでジッとしているだけだった)、
ウミガメ館やマナティー館を見学したり、
ちょうどいいタイミングで始まった「オキちゃん劇場(オキゴンドウとバンドウイルカのショー・プール)」での
イルカ・ショーを楽しんだりする。

仲良く寄り添って沈んでいる母娘マナティー
マナティーの母娘が仲睦まじく水槽の底に沈んでジッとしていた

いよいよ本館内に入り、まずはレストランで昼食をとった後、見学を開始する。
初めの方はサンゴ礁の生き物を中心とした展示。
スクーバ・ダイヴィングを始めてからはこれらの生き物にも以前よりは親しみを感じるようになったとはいえ、
やはり相対的に個人的興味は薄いジャンルだな。
そして“黒潮の海”と続いてゆき、いよいよ大水槽。

水槽の大きさ、水量そのものはあるいは大阪の海遊館の方が大きいかもしれないが、
海遊館でも最大2頭しかジンベイザメは泳いでいなかったので、
3頭の巨大なジンベイザメが泳ぐ様は圧巻の大迫力だ。
サメやエイの類も充実している。

ド迫力の大水槽
3頭のジンベイザメを始め、多くの生体が泳ぐ大水槽はド迫力

「サメ博士の部屋」とそこから連なるサメ混泳水槽など見学し、
それから15:00に行われる大水槽への給餌シーンを見る。
水槽前で係員の説明付き、
さらには水槽上にいる給餌係の人たちと映像・音声による生中継を結んでという、
本格的なサーヴィスじゃないか。
10mのジンベイザメが垂直に立ち泳ぎしながら大量の水と一緒にオキアミを吸い込んでいく姿は
まさにこの世のものとは思えないド迫力。
一緒に潜ってたら怖いだろうなあ。

16:00になり、1時間前に申し込んでいた「水上観覧」という、バックヤード見学ツアーが始まった。
大水槽の上、先程給餌を行っていたところに上り、
トラスを歩きながらいろいろ見ることができるというガイド付きのツアーだ。
見学用ではない、バックヤードに置かれた小型水槽、
というかビニールプールのようなところに飼われている各種の幼魚たちが印象的だった。
でもサメとかエイって生まれた時にもう50cmとかあるんだな…。
あとは、給餌用の柄杓の重さにビックリ。
4mほどの柄の先に付いた桶に2kgの餌を入れて撒くらしいが、
その重量のダミーを入れた柄杓を持たせてもらったけど、ちゃんと腰を入れていないとフラフラする。
大変だ。

かなり重かった給餌用の柄杓
ダミーの2kgの錘を桶に入れて持ってみたが、かなり重い給餌用の柄杓

規模や生体の種類、数で勝負というよりも、様々な工夫やアイディアを凝らせた展示方法や、
来館者向けの充実した各種サーヴィスがとても印象強く残る水族館であった。

ホテルのある恩納村に引き返し、夕食。
「仙水庵」という郷土料理を中心とした和食店に行ってみた。
僕はブーゲンビリア御膳というのを食べたけど、ミミガーの味噌和えやとうふように島豆腐、
ゴーヤーチャンプルーにグルクンの唐揚げなどが付いており、大満足。

ホテルに戻り、JTBラウンジというところに行ってみる。
ここはJTBのツアーに申し込んだ客専用のラウンジで、なんと滞在中ドリンクやかき氷、
それに各種ケーキが飲み放題の食べ放題。
僕たちもその恩恵に与る。
ケーキは最初、どうせコンビニで売っているようなケーキに毛が生えたような代物だろう、
と高をくくっていたんだけど、予想に反してちゃんとしたケーキ店で売っていそうなものたちばかり。
2人で5個ぐらい食べたんじゃないかな。

部屋に戻ってみると、ダイヴィング・ショップからの哀しいメッセージが待っていた。
明日のダイヴィングも中止だって!
わー!
そろそろ台風も九州、四国に抜けそうだからいけるかなあ、と思ってたんだけど…。
ショップとしてはやっぱり何かあったら責任問題になっちゃうから、
たとえ金銭的損失は出てもちょっとでも危険性が残っていれば中止せざるを得ないんだろうなあ…。
明日は何をしようか、ポッカリ空いてしまったぞ…。

気を取り直して温泉ヤマダを堪能して寝る。

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【3日目 9月6日(火)】

今日の朝食は和食、「彩」というホテル内の店で和定食を食べる。
ダイヴィングの中止によって空いてしまった今日は、「ひめゆりの塔」に行ってみることにする。
実は僕は沖縄には結構来ていて、
今回で7度目ぐらいなんだけど恥ずかしながらひめゆりの塔にはまだ一度も行ったことがなかった。
これもちょうどよい機会だ。

ひめゆりの塔は本島の南端、糸満市にあり、ホテルのある恩納村から那覇を通りこしてさらに南下、
高速道路使用して車で1時間ぐらいだったかな。
雨はもうすっかり上がっており、時折太陽も雲の切れ間から顔を覗かせる。

目的地に近付くにつれ、ありゃあ、思ったより人が少ないなあ、閑古鳥なんかなあ、
なんて思っていたんだけど、いざ車を停めて行ってみるとまったくそんなことはなく、
多くの観光客たちが訪れてきていた。

自分とこの団体客に説明しているガイドの説明を横にピタリと張り付いて盗み聞きしつつ、
碑の真下に位置する天然の防空壕跡に少し思いを馳せてみる。
それから隣接する「ひめゆり平和祈念資料館」に。

現在の日本領で唯一米軍の上陸を許し侵攻を受けた沖縄の、
いわゆる“ひめゆり部隊”にまつわるいろいろな資料が展示されており、
その読み応え、というか、60年の歳月を経ても見る者の心に迫る存在感にしばし痛み入る。
中でももっとも衝撃的だったのは、今なお存命の当時のひめゆり部隊の生き残りの人たち、
生き証人が来館者たちに向けて語る真実の体験談だ。
すでに齢80近くに達しているであろう老婆たちが声を振り絞り、
あえて辛い記憶を呼び起こしながら語り部としての責務を果たしている。
自分たちが経験してきた辛い体験をこれ以降の世代には味わってほしくない、という思いで。

驚くべきことに、館内には20代、あるいは10代とも思しきイマドキの若者たちもかなりいたのだが、
彼らもみな一様に語り部たちの前で足を止めて真剣な眼差しで聴き入っている。
涙ぐんでいる女の子の姿も少なくない。

「ひめゆりの塔」を訪れて、再確認に近いけれども、僕に分かったことは3つある。
1つは、最大の戦争責任は誰が何と言っても昭和天皇にあるのだということ。
1つは、戦後の論理はやはり“勝てば官軍”に過ぎぬだけで、
太平洋戦争も日本の侵略を米英が正義感でもって喰い止めようとした、なんてものであるはずがなく、
結局は侵略と侵略のぶつかり合いに他ならなかった、ということ。
1つは、現代の若い人たちも決して捨てたものなんかじゃない、ということ。

ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館
ひめゆりの塔(右)と、左奥に見える建物がひめゆり平和祈念資料館
太陽が顔を覗かせている

いろいろな意見や議論が巷間あるが、戦争の記憶と記録は風化させてはいけない。

資料館を出て、脇にある大きな土産物店にて昼食をとる。
海ぶどう丼を食べてみようかかなり迷ったが、結局はゴーヤーチャンプルーセットにした。

ホテルに戻り、
これまで遊泳禁止だったアウトドアプールが開放されたらしいので水着に着替えて行ってみる。
太陽はまた雲に隠れてしまっているが、入ってしまえばそれほど寒くはない。
インドアプールにも入り、さらにはタラソジャグジーというものにも浸かってみた。
ちなみにビーチはまだ閉鎖中。
プールから出て、今日は夕飯前に温泉ヤマダ。

曇天の下、ホテルのプールで泳ぐ
曇天の下、客もまばらだが、せっかくなのでホテルのプールで泳いでみる

夕食は再びホテルから出て、沖縄でいつかは食べたいと思っていた山羊料理を食べに、
またも遠路那覇まで出張る。
「山海」という店だ。
外観はいかにもいった感じの、味わい深い鄙びた庵のような雰囲気を醸し出しているではないか。
ここが山羊の魔窟か。

広くない店内にはびっしりとたくさんのサイン色紙が貼ってある。
やはり評判を聞きつけてたくさんの人が訪れるのだろうか。
夫婦2人でやっているようだ。
慎重かつ堅実かつ臆病な妻はそうめんチャンプルーを頼み、僕はその名も「山羊セット」にする。
刺身、チーイリチャー(血と野菜の炒め物の意)、山羊汁がセットになっている定食だ。

「山海」の山羊セット
これが“山羊セット”だ!
左奥から時計回りに、チーイリチャー、刺身、山羊汁

いざ料理がきてみたらまず量がものすごい。
普通の定食のおかずの2食分ぐらいあるなあ。
味の方はというと、とかく山羊料理は臭い! とよく言われるが、僕は全然平気だった。
羊肉よりも少しだけクセがあるかな、というカンジ。
羊が美味しく喰える人なら問題なく食べられるんじゃないか?
山羊汁に入っていた山羊の足は豚足そっくりだった。

頑張って完食、よく食べた。
満足じゃ。

ホテルに戻り、昨日に引き続きJTBラウンジへ。
今日もケーキと、僕はかき氷も食べてみた。
かき氷というにはあまりにも豪華な一品だったけど。

もう一度温泉行こうと思ってたんだけど、気を失うように寝てしまった。

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【4日目 9月7日(水)】

朝が来て、昨日のダイヴィング中止に続くさらなる悲報が我々を襲った。
これも来る前から非常に楽しみにしていた、「ドルフィン・プログラム」が中止という知らせだった。
ここ、ルネッサンス・リゾート・オキナワのラグーン内では
OMRC(Okinawa Marine Research Center)という団体によってイルカが飼育されており、
そのイルカたちと浅瀬で触れ合ったり一緒に泳いだりできるというイヴェントが「ドルフィン・プログラム」で、
それがこのホテルのウリでもあるのだ。
何てこったい!
もう台風は抜けており、天気は回復しているのだが、ラグーンの復旧作業が間に合わないという理由らしい。
こりゃマジで近日にもっかいリヴェンジするしかないなあ…。

沖縄に来たのに海に入らずに帰るわけにはいかない、と、朝食後、チェックアウトを済ませて、
ついに開放されたビーチへ!
でも開放されたのは砂浜だけで、まだ遊泳禁止は解かれていなかった。
せめてスノーケリングだけでも、と思っていたんだけど、デッキチェアーで寝っ転がっているしかなさそうだ。
本州とはまた違う太陽光線が熱い。

帰る間際になってようやくビーチに遊ぶことができた
帰る間際になってようやくビーチに遊ぶことができた
ほんの1時間弱寝転がっていただけだが、色白の僕は真っ赤に…

正午前に引き上げ、ホテル内のレストランで昼食をとる。
ランチ・ブッフェもただで喰えるのだ。
目の前で焼いてくれるクレープのアイスクリーム包みが美味いじゃないか。
タイミングの悪いことに最後の昼食を食べている間に遊泳禁止は解除され、
ビーチサイドのテーブルで食べている我々の目の前でみなが次々と海へ入っていくのであった。

また来るぜ。



2005年9月12日(月)
「来客続く」


昨日は一応、徒歩1分のところにある
「夙川老人いこいの家」なるささやかな施設が投票所に設定されていたので投票に行き、
夕方から会社の後輩3人(21歳・男、24歳・女、29歳・女)が遊びに来た。
すき焼き食べたり川沿いを海まで散歩したり歌歌ったりなんかして、久々に4:00まで遊んだのだった。
さすが若者たち。
手土産として持ってきてくれた大阪・豊中にあるケーキの名店、「ムッシュ マキノ」のケーキは美味かった。

そして今日は昼から、夫妻共通の友人、Hさん(女)が遊びに来る。
Hさんは現在は北海道の旭川に住んでいるんだけど、
出産のために実家のある大阪に帰ってきている臨月の妊婦。
妊婦用のジーパンがあるなんて初めて知った。

近くの天ぷら専門店「天翔」でランチ。
ひらめのしそ巻き、生麩、イカなど絶品。
塩も2種の岩塩と1種の海洋塩があって、味わい深い比較ができる。
そして今日も頂いた手土産のケーキは阪急百貨店内の名店、「GOKAN」のもの、美味。

生まれたらまた見に行きますよ。



2005年9月9日(金)
「ノンポリなりの感想」


いよいよこの11月に日本初のプロバスケットボールリーグ、“bjリーグ”が開幕する。
僕も11月20日に行われる大阪エヴェッサvs新潟アルビレックスを観に行く予定なんだが、
思えば今回のリーグ発足に関してはとても一言では表しきれないいろいろなゴタゴタがあった。
いや、そのゴタゴタは今もなお引き続いているから現在進行形だな。
しかもさらに、また新たなプロリーグ設立を目指す団体、その名も“日本プロバスケットボール協会”なんて、
完璧に日本バスケットボール協会にケンカを売っているとしか思えない協会が打ち立てられる動きも
あるとかないとか。
彼の国みたいに、独立リーグが林立してそれが成り立つほどの国土の広さも
競技者の土壌も持ってはいないのだから(いや、其の国にしたって成り立ってはいないか、決して)、
何とかしてうまくやってもらえないものかなあ…。
それにしてもかつてユタ・ジャズを中心にNBAで活躍したDavid Benoitの埼玉ブロンコス入団には
心底驚いた。
そして大阪エヴェッサは一番ダサい…。

うまくやってほしいと言えば、話は大きく変わって衆院選の民主党。
ここであんまり舌鋒鋭く書いてみたりすると、いくら糞ほどの影響力も与えない駄文とはいえ
選挙期間中に声高に叫ばれるのはちょっと気が引けるので最低限にしておくけど、
なぜ民主党が“外交政策”を今回の選挙戦で前面に押し出さないのか、素人なりによく解らない。
もともと解散の理由がアレなだけに、
郵政・年金・税制改革といった国民の生活に密接に結びついた政策で勝負したくなるんだとは思うけど、
今回ばかりは倒すべき強敵の得手とする(少なくとも世論において)それらのフィールドで戦うことは
野党である民主党にとって得策ではないと思う。
それよりもみんな今の狂騒の中で忘れかけているかもしれないが、
現小泉政権の行っている施策の中でもっとも国民の反対感情が強いことって、
たぶん自衛隊のイラク派遣なんじゃないか。
今年末で再び派遣期間が一応は満了するはずだけど、このままじゃまた延長される公算が大きいと思う。
かなり前から「自民圧倒的有利」なんて票読みがあちこちでなされているのに、
民主党は何でそこに踏み込まないのかな?
社民党や共産党と同一視されることを嫌がってるのかな。
現況ではおおまかにいって、この騒ぎの発端である郵政民営化法案を巡る諸々を始め、
小泉首相の評価は再び上昇してきているように感じるから、大勢は予想通り、って気がする。



2005年9月1日(木)
「他山の石」


探している本があったので書店に行って訊いてみたんだが、
書店員が直木賞受賞作品さえも知らなくてビックリした。
2軒回ったんだが、2軒とも、それも複数ずつの店員たちともに。
大阪の都心にある大手で。
もちろんそんな人ばっかりではないはずだが、お願いしますよ。





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