海洋空間編集長雑記



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2004年1月分




2004年1月28日(水)
「マイバッハ発見!」


昨日は東京で仕事だったんですが、
六本木ヒルズあたりから麻布十番の方に向かって歩いている時、
もんのすごくレアな車に出遭ってしまいました!

その車の名は、マイバッハ62。
一般にはあまり馴染みのない車かも知れませんが、
かのメルセデスもその名を連ねるダイムラー・クライスラー社が誇る最高級車ブランドで、
ナナナントそのお値段は4700万円!!!
ランボルギーニやフェラーリが2台も3台も、
ポルシェやジャガーが4台も5台も買えちゃうんですよ!!
その前に家も買えますけど!
億万長者だけが持つことのできる、超VIPカーであります。

そのモデル名の由来となっているように、全長が約6200ミリ、6メートル以上あります。
あの走る威圧感、メルセデス・ベンツのSクラスですら5メートルちょいですから、
まるで車格が違います。
リムジン並みの全長を持ちながら、シート配置は普通に前後二列、
しかも後席はたった2席で合計4人乗り!
社長や会長や組長が座るはずのそのリアシートは多分、
飛行機のファースト・クラスよりも広いはずです。

路肩に停車していたので、ドライヴァー(風貌、雰囲気から察するに
恐らく億万長者自ら運転していたと思われる)が座っていたにもかかわらず、
マジマジと観察してしまいました。
突然の遭遇によるあまりのショックとインパクトでしばし興奮状態から抜け出せず。

だって今日本で何台走ってるのか知らないけど、
マイバッハに出遭う確率って、川で河童に遭うのと同じぐらいですよ、きっと。
さすが六本木。



2004年1月25日(日)
「なんばパークス初散策」


今日は妻・ユカリンと二人、昨年大阪のミナミにオープンした巨大ショッピングモール、
なんばパークスに遅ればせながら初めて行ってみました。

日曜ということで厳寒の中でしたがさすがの人手、
お店もインテリア関係やスポーツ・ショップ、ファッションなどなど思っていた以上にいいところが多く、
二人ともにかなりのご満悦。
中でもお気に入りのブランド、DIESELの品揃えが良く、
ユカリンともども何枚か購入してしまいました。

ボクは身長の割りに腕が長いため、既製の服だと、
特にシャツなんかでは首周りや胴回りに合わせると袖が短く、
逆に袖に合わせると胴がブカブカ、という事態に陥りやすいのですが、
その点このDIESELやティンバーランドなんかのブランドはさすがにイタリアン&アメリカン、
タイトな着心地にもかかわらず袖が長めに作られていて、ボクにジャストフィットなのです。

米国人の生み出した文化にロクなものはない、と思っていましたが、
バスケットボールとベースボールとカジュアル・ファッションだけは例外だな!
ありゃ、結構あるな。



2004年1月22日(木)
「今シーズンの目標はクロマティだな」

さぶさ全開最高潮の昨今ですが、
ボクの所属する野球チームの今シーズンがまもなく始動するようで、
今からチョットワクワクのTF編集長でごわす。

ところで一昔前、読売ジャイアンツにクロマティという選手がいました。
ウォーレン・クロマティ、外野手。
さらにそれより少し前同じく巨人におった、
黒人なのに名前がホワイトとかいう中途半端なガイジンとはエライ違い、
黒人だからクロマティという潔いガイです。
1989年には打率.378というもんのすごい記録を残しています。
ちなみにこの年は8月半ばまで何と4割を超えており、
初の4割バッターか!!!と大きく期待されていたりしました。
中日の宮下にぶつけられて激怒し、彼の顔面にパンチをクリーンヒットさせたこともある、
当時熱烈な中日ファンだったボクとしてはちょっとにっくき乱暴者でもあります。

クロマティが一体どうしたかというと、彼は実に堅実なアヴェレージ・ヒッターで、
三振も少なく非常に安定感のある好打者だった、ということが突然言いたくなりました。
ボクが小学校高学年ぐらいの頃、それを如実に物語るエピソードがありました。

夏休みのある日、ボクは同級生のタカヤくんの家に遊びに行く約束をしていました。
その日はテレビで中日vs巨人のデーゲームを中継しており、
ボクは約束の時間がくるまで家でそれを観ていました。
当然約束していた時間が迫ってきますが、試合は終盤の勝負所、
重要な局面でなかなか目を離すことができません。
巨人の攻撃、得点圏にランナーを置いて、
バッターボックスには期待の主軸、クロマティが入るところです。
約束の時間を過ぎ、タカヤくんから「まだ来ないの?」という電話がありました。
もう限界です。

バッターボックスではクロマティが飢えた黒豹のように目を光らせていますが、
ボクは諦めて家を出、“どうかタカヤんちに着いてもまだ試合が終わっていませんように”
と祈りながら汗だくになってチャリンコを飛ばし、タカヤくんの家に向かいました。

数分後タカヤくんの家に着き、
ハアハアゼイゼイ荒い息を吐いているボクの目に飛び込んできたテレビの映像は、
まだバッターボックスに立ち、ファウルで粘っているクロマティの姿でした。
試合が終わっていないどころか、同じバッター。

敵ながら天晴れ。

今にして思えば目と鼻の先のボクんちとタカヤくんちでしたが、
小学生当時のボクにとっては結構な旅路です。
ものすごくビックリしたことをよく憶えています。
そしてクロマティ伝説はここで終わることなく、何とさらに進化を続けるのです。

ボクが家を出るときにクロマティが打っていて、
タカヤくんちに着いてもまだクロマティが打ってるんだよ!
とタカヤくんにボクは興奮を隠せずに訴えているんですが、
タカヤくんは「ふーん」と言うだけでイマイチそのすごさを理解してくれていないみたいです。
思わず歯を食いしばり、地団駄踏みたくなったボクは、
じゃあ友達をもう一人呼ぼう、
そして彼が着いた時にまだクロマティが打ってたらそりゃすごいよね!?
と提案しました。
「うん、それはすごいと思う」とタカヤくんは答えました。

ボクたちはテルアキくんを呼ぶことにして、すぐに彼の家に電話をしました。
彼の家はボクの家よりもちょっとだけ、タカヤくんの家から遠くにあります。
その時は興奮していたし単にアホやったから分からなかったんですが、
今にして思うと相当見込みの薄い賭けですな。
幸運にもテルアキくんは家におり、暇だからじゃあすぐ行く、
とチャリンコを飛ばしてやって来ることになりました。

数分後、テルアキくんがタカヤくんちの玄関に姿を現した時、
クロマティはまだ打席に立っていました。

ウソのような、ホンマの話でした。

あ、で何が言いたかったかというと、今シーズンはこのクロマティみたいな偉大なバッターを見習って、
なるべく三振や早打ちの凡打を減らしたいなあっちゅうことですわ…。



2004年1月19日(月)
「異文化交流してみました」


一昨日土曜日の晩、1月9日の当欄で一度書いたお隣さん、
寒さに異常に強いデミエン(男・アイルランド人)とSさん(女・日本人)のカップルを
我が家にお招きして夕食をともにしました。
お隣さんといえども、都会のマンションなどでは
通常はたまに顔を合わせるぐらいでなかなかその素性を知る機会はないものですが、
おかげでお互いに色々なことが分かり、より仲良くなれました!

Sさんは外国人と付き合っているというイメージとは
なかなか結びつきがたいような(失礼&偏見)コッテコテの関西人。
常に笑っていてよくしゃべってくれる、ホンマにとってもおもろい姉ちゃんです。
デミエンは少し緊張していたのと、日本語が完璧には理解できないためか、
口数少なく穏やかな笑みを浮かべている時間が長かったんですが、
それでもなかなかに面白い男であるということはよく分かりました。
中でも妻・ユカリンが一番ウケていたのは、
デミエンが毎日自分の着た服をリストにしてノートにつけていること。
それもSさん曰く、新聞の文字よりもはるかに小さく、
これなら米粒に般若心経書くのも簡単ちゃうか?
っちゅうほどのこんまい字で書くのだそうで、これには一同大笑いです。
デミエンは計7つの学校で英会話教師をしているんですが、
生徒に「あの先生キタナイ」と思われないためにそうした努力をしているそうです。
なかなかマメなアイリッシュですね!

19時から何と翌1時半まで、気付いたら6時間半もおしゃべりしていたとっても楽しい一夜でした。



2004年1月15日(木)
「今日もまた眠れぬわ…」


私が最近、次期愛車購入大作戦モードであることは前に述べましたが、
もともと好きなものには際限なくのめりこんでしまう性質の
TF編集長の頭の中はここんところもうそればっかり。

雑誌を読みふけり、ショップを巡り、カタログを熟読し、Webを徘徊し、そして考える毎日。
毎夜眠りに就くのは朝方となってしまい、
日常生活のみならず仕事にまで支障をきたしてしまいそうな勢いです…。

まあこうやってあれこれ思いめぐらしている時期が一番楽しかったりするんですけどね。
そろそろ買うであろう車種は絞り込みつつあるので、近日発表できるかも?
発注を待たれよ!



2004年1月9日(金)
「北国の男の鑑?」


昨日は、隣の部屋の人と隣の隣の部屋の人が相次いでうちにお土産を持ってきてくれるという、
物乞いデーとなりました。

隣の隣に住むAさんとこがくれたのは、
たくさんいただいたおすそ分けだというミカンと醤油、サラダ油。
そして隣の人がくれたのは、アイルランドのお土産だというお菓子でした。
何を隠そう、お隣さんはアイルランド人のデミエン(男)と日本人のSさん(女)のカップルなのです。

お土産は22時頃、デミエンとSさんが2人揃って持ってきてくれたそうで、
妻・ユカリンが応対に出たのですが、その時ユカリンはド肝を抜かれました。
何とデミエンは半袖シャツ一枚だったというのです!
それもお土産を届けに来てくれただけだったらまだ分からんでもないのですが、
そのまま2人でどこかへ出掛けて行ったというではありませんか。
会社帰りとか、たまにボクもデミエンと駅で一緒になったりするんですが、
確かに一般日本人よりはかなり薄着ではあります。
しかしまさかこの季節の晩、大阪の街に半袖で出掛けるとは…。

白人の皮下脂肪パワー、そして北国人の耐寒性能に平伏のエピソードでした。



2004年1月3日(土)
「新年早々こいつは幸先いいぞ!?」


謹賀新年。
今年もよろしくお願い申し上げます。

ボクは仕事柄これまでの年末年始はどうもバタついていることが多かったのですが、
今回は例年になく普通に休ませてもらうことができ、12月29日〜1月2日まで帰省、
明日も新年会と、それなりに有意義で楽しい休暇となりそうです。

そんな新年早々、TF編集長30年の人生最大(?)の幸運が舞い込んできました!
それは何と、年末ジャンボ宝くじ!
ふはははは、ついについにこれまで買い続けてきた甲斐があったというものだ…。

その金額とは!
…聞いて驚くなぃ、その名も“年末ラッキー賞”、ジャジャーン、1万円!

いやね、たった下3ケタ合ってただけですけど、たかだか1万円と思うかも知れませんけど、
こりゃ本当に嬉しいもんなんですよ!
毎回年末ジャンボやサマージャンボの折には30枚ずつ、
金額にして9000円ナリをつぎ込んで夢を買っていたわけですが、
初めて元金を取り戻すことができました。
当たった1万円+6等の300円が3枚=計10900円、
たった1900円浮いただけでこんなに得した気分になれるとは。
もちろん累計では数万円も損しとるわけですが。

何だか人がギャンブルの泥沼にハマるメカニズム、
胴元がいかにして儲かるかのカラクリの一端が垣間見えた気もしますが、
年の初めの幸先良し、ということでここは素直に喜んでおきますか。





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